A.「日本語起源論」を越えて


1.まえがき

 日本語はどこから来たのだろうか。日本語を母なる言葉として覚え話す私達は時にこんな思いを抱く時があるでしょう。そうした時私達はまた同時に「我々日本人はどこから来たのだろうか」と問うてもいるのでしょう。そしてある人は雲南の照葉樹林の奥地に、あるいは南の島々に、また北のモンゴルの大地に思いをはせ、楽しいロマンのひとときを過ごすことでしょう。
 ところで私達は小さい時、「浦島太郎」の昔話を聞いたことがあるでしょう。龍宮城から戻った浦島太郎が箱を開けた瞬間、龍宮城の夢の生活が一瞬にして暗転してしまい、浦島太郎はおじいさんになってしまったストリーは子供心に不思議でした。でも、なぜ「浦島太郎」はおじいさんになってしまったのでしょうか。なぜ腰蓑をしているのでしょうか。そして浦島太郎が亀の背に乗って行ったという「龍宮城」とは一体どこにあるのでしょうか。腰蓑や龍宮城、また浦島太郎がおじいさんになってしまったということは何を意味しているのでしょうか。
 ここで「浦島太郎」の昔話を現代のひとつの寓話として考えて見ることにすれば、龍宮城は我々の話す日本語のふるさと(原郷)、また一瞬にしておじいさんになってしまったという場所は我々の住むこの日本と考えられるのではないでしょうか。そしてそう考えるてみると、なぜ浦島太郎は腰蓑をしているのか、また浦島太郎が一瞬にして全く身寄りのないおじいさんになってしまったという比喩は何のか、その意味が分かるのではないでしょうか。つまり「浦島太郎」の昔話を言語学の寓話として見れば、腰蓑・龍宮城は「日本語」がポリネシアなどの太平洋の島々につながっていることを示す暗示と見ることができるのではないでしょうか。また浦島太郎が身寄りのないおじいさんになってしまったことは世界の中で全く孤立したように見える「現代日本語」を暗示しているのではないでしょうか。
 それでは、このホームページを見てくださる皆さんと一緒に龍宮城(太平洋の島々) へ旅立つことにしましょう。龍宮城は水中にあるといいます。だから、水の中で溺れないように注意深く、「日本語はどこからやって来たのか」を考えて行くことにしましょう。