2.現代日本の三人の開拓者
では、これからオーストロネシア語族と日本語を比較する旅にでかけましょう。まずそのためにはガイドブックを読むことからはじめねばなりません。どんなに独創的な考えでも一人で思いつくというものではありません。どんな道を歩くとしても必ず先行者がいるのが世の習いです。
日本語がインドネシア語やハワイ語の属するオーストロネシア語族と深いつながりがあると見た先行者として、ポリワーノフ・泉井久之助(いずれも故人)のお二人がおられます。しかし、私はこれらの先行者の著書・論文を読んでいず、またここではこれら先人の足跡をふりかえる場でもありませんので、省略して現代日本の三人の先行者を紹介することにします。
まず川本氏から。川本氏は多くの実例をあげ、日本語がオーストロネシア語族と深いつながりがあると、強く主張されています。川本氏のオーストロネシア語族にかける情熱は次の言葉にあらわれています。(川本 昭和61:316p)
「私は若い研究者に期待するしかないと今思う。先入観を捨てて南島語に着目して欲しい。南島語こそは、日本語と同系の可能性のずば抜けて高い言語だからである。」
(著者注:南島語はオーストロネシア語族のこと。)
しかし、川本氏の著書・論文を読まれた方はすでに気づかれているはずですが、川本氏の情熱に反して、著書・論文に述べられていることには問題点が多いことです。その多くの問題点の一つに、子音連続の特殊性に対する考え方があります。
日本語とオーストロネシア語族は一般には子音連続を許さないのですが、例外規則があります。そこでその例外規則をみてみることにします。(川本 昭和61:306-7)
「南祖は一般に子音連続が起こらないが、例外が二つある。一つは語根重複の時、もう一つは特殊音素及びRである。
dutdut pugal qa(R)ta
現代日本語も一般に子音連続を許さないが、特殊音韻Nすなわち撥音「ン」とQすなわち促音「ッ」のみが子音連続を生じる。
miNna《皆》 taNbi《度》 siQkari《確》 haQpA《葉》
これこそ南祖と共通の著しいむしろ特異な音韻特徴である。撥音と促音は中古中世の頃にモーラ的音韻として発達したとされるが、モーラを構成しない音韻としては、恐らく古くから存在していたと思う。」
(筆者注:南祖はオーストロネシア祖語のこと)
上の引用からわかるように、日本語とオーストロネシア語族には特殊音韻(それぞれN/Qと/R)を除いては子音連続を許さないという、共通の特異な音韻特徴がみられます。そして川本氏はこの音韻特徴をさらにオーストロネシア語族の接中辞に結びつける考え方をだされました。そこでその考え方を次にみてみることにします。(それぞれ川本 昭和57:278-9p、川本 昭和61:309p)
いま上の二つの文章の中に、日本語を話す私たちにはなじみのない「接中辞」という言葉がでてきました。この接中辞はオーストロネシア語族の特徴ともいえるもので、語幹の語頭子音と母音の間に挿入される接辞で、文法的意味をもっています。ここでタガログ語の接中辞の構成法と機能をみておきます。(土田 平成2:86p)
「たとえば、フィリピンのタガログ語では「買う」を意味する動詞の行為者焦点形(つまりActor Focus)の既然法(つまり「買った」)は、語幹-biliの語頭子音と母音の間に接中辞-um-が割り込んだb-um-iliである。…(以下略)」
上の例にあるように、語幹bili(「買う」)に接中辞-um-を挿入することによってbumili(「買った」)の意味(行為者焦点形の既然法)を表わすことができます。
このように川本氏は、先ほどあげた「衣」(km:が化石化した接中辞)や「鳶」(toNbi:撥音N)や「デッカイ」(deQkai:促音Q)のなかにオーストロネシア語族の接中辞を見ようとされました。たしかに上の接中辞の構成法や音韻は日本語の撥音Nや促音Qのそれとよく似ているようにみえます。
ところで、先の二つの引用を比較すると、接中辞の化石化の例とされた「衣」が昭和61年には削られていて、撥音(N)/促音(Q)を昭和57年では「接中辞」とみられたのに対して、昭和61年には「接中辞的な現象」と表現がトーンダウンしています。そしてこのトーンダウンは川本氏自身、日本語の撥音・促音をオーストロネシア語族の接中辞と関係づけることの難しさを感じられた証と見られ、川本氏の自信のなさがあらわれていると思えます。
それはともかく、日本語の撥音・促音をオーストロネシア語族の接中辞と関係づける川本氏のアイディアはすばらしいものです。しかし、川本氏の主張通り撥音・促音の文法的働きを「強調など」と考えたとしても、タガログ語の接中辞の機能と比較すれば、その機能は余りにも違いが大きいのがわかります。もちろん日本語の撥音・促音とタガログ語の接中辞の機能の違いがどんなに大きくても、その違いが生まれた理由が説明できれば問題はありません。しかしながら川本氏には上のように「接中」の構成法の類似を指摘することはできても、機能の違いの起こった理由を説明できないとすれば、日本語に「接中辞」があるとか、ないとか(あったとか、なかったとか)言えないはずです。そして現在のところ、日本語の撥音・促音をオーストロネシア語族で定義されている接中辞と同じものであると考える研究者は、このアイディアのすばらしさを認める私を除いては、川本氏以外いないのではないでしょうか。
ところで通説では、日本語にはハワイ語と同様接中辞はないと考えられています。しかし日本語にはハワイ語と同じように接中され、同じ機能で、意外なところに今も生きて働く接中辞があります。もちろんそれは上にみたタガログ語の接中辞とはあまりにも姿かたちが変わってしまっていて、一見接中辞とはみえないものですが、確かにそれは接中されているのです。皆さんも一度その隠れた接中辞を探してみてください。(これもまたのちの更新時にとりあげていくつもりです。)
いま上でみたように川本氏の考えには論理の飛躍がめだつのですが、もう一つの例として「タンコブ」(瘤)を考えてみます。
オーストロネシア語族の接頭辞*ta-の機能はゴンダによれば、次のようです。(川本 昭和57:272-3p)
「 タ 南島祖語*ta-はゴンダによれば《無意識的または偶然にある状態になる》というのが根本的な意味である。(J.Gonda前掲)*・*Rを伴って*ta--,*taR--ともなる。
南島祖語 *ta()bun 堆積
(*bunbun 集まる)
マレー語 tr-tjut ぎょっとした
tr-tawa ぷっと笑う…(以下略)
…/南島語*ta--に*が付いて*taとなることがあるように、日本語のタもンが付くことがある。「タンこぶ」のタンがそれである。…(以下略)」
そして川本氏はオーストロネシア祖語の接頭辞*ta-の構成法・音韻・機能と「タンコブ」(瘤)の「タン」が上のようによく似ているところから、次のような考えをだされました。(川本 昭和55:83p)
「現代語「タンコブ」は、南祖*ta-からきたと思われる唯一の例だ。…(以下略)」
確かに「タンコブ」(瘤)を「タン」(taN:そのような状態になること:強調)+「コブ」(kobu:瘤)と考えると、オーストロネシア祖語の接頭辞*ta-の構成法・音韻・機能とよく似ていると考えることができます。しかし、オーストロネシア祖語の接頭辞*ta-の痕跡が、日本語では「タンコブ」の単語一つにしか残っていないと言われれば、このホームページを読んでくださる方にも単純にはうなづけなくなるはずと思います。なぜなら、もし本当に接頭辞*ta-の痕跡がたったひとつしか残っていないとすれば、上の比較から「日本語の起源」を解き明かすことは、気の遠くなる話で、川本氏の信念の問題になってしまうと言えるのではないでしょうか。
このように川本氏の考えには論理の飛躍や強引な考えが多く、日本語とオーストロネシア語族との間に見られる顕著な対応や素晴らしいアイディアが説得力をもっていません。「闇夜に象をなでる」の喩えではありませんが、川本氏の素晴らしいアイディアはてんでばらばらで、日本語とオーストロネシア語族との多くの共通点が有機的に構成されていないので、少し懐疑的な、しかし正当な批判をする人々からはとても同意を得られないのです。
しかし、川本氏の見つけられた多くのとっぴなアイディアの中には、日本語とオーストロネシア語族とが同系であることを証明する為の豊かなアイディアがたくさんあります。
皆さんもハワイ語の文法書をみられれば、川本氏が指摘されるように日本語とよく似たものがたくさんあることに驚かれることでしょう。「玉磨かざれば光りなし」です。ダイアモンドの原石は川本氏が沢山捜してこられていますので、私はそれらの原石を磨くことにしましょう。そしてそれらの原石を磨くことによって、日本語とオーストロネシア語族との同系を証明することにしましよう。 (戻る 崎山氏紹介)
次は村山氏です。村山氏の研究態度、また方向性といったものは崎山氏が20年以上前に述べた次の文章によく表われています。(崎山 1978:143-4p)
「…村山が取り上げた南島語の接辞はまだその一部にしかすぎない。村山には多くの問題意識がある。やはり形態音韻論的現象としての連濁が南島語の連結小辞(127頁参照)の由来だとみること(87)、沖縄語に奈良時代の言語と一致する形が見出されるときは大体においてそれは南島系と見てよい(88)という考えのもとに、…(以下略)」
上の紹介文にあるように、村山氏は日本語とオーストロネシア語族との深いつながりを探るために精力的に努力されていました。そして日本語の「連濁が南島語(=オーストロネシア語族)の連結小辞の由来」(前出)とみるような素晴らしいアイデイアを考えつかれました。
ここで修飾語と被修飾語をつなぐ役割をする、連結小辞(連辞:=リンカー)をタガログ語について見てみることにします。(村山 昭和49a:235p)
Ang malaki|ng
bhay …(以下略)(「その大きな家…」)
the 大きな 家
Ang bhay na malaki …(以下略)(「その大きな家…」)
the 家 大きな
上にみられるng(=)、naがリンカーで、村山氏はこれを連濁のもとと考えられました。そして村山氏の素晴らしいところは「…コノ,ソノは単純な指示代名詞ではなくて,指示代名詞(コ,ソ)プラス連辞という構造をもつものです。」(村山 昭和49a:234p)と、リンカーを指示代名詞コソアドのノにもみられたことでした。
このように村山氏はリンカーを正しく連濁や格助詞ノと関係づけられたのですが、その後「…『濁音』というのは鼻音結合(nasal combination, ドイツ語 Nasal-verbindung)に由来するという見解が確立されつつある」(村山 1981 156-7p)という風に、考えが一歩後退したのは非常に残念なことでした。なぜなら「連濁」を単なる鼻音結合の結果とすることで、日本語とオーストロネシア語族の同系を証明する多くの手がかりをなくしてしまったからです。(連濁や格助詞ノがリンカーともと同じものであることは、のちの更新時に示すつもりです。)
ここで村山氏の熱情とその努力を称え、「日本語ーオーストロネシア語族同系論」の道標として、記念碑となる比較をあげておきましょう。(川本 昭和55:37-9p。)
泉井氏 村山氏
日本語 : ダク《抱く》 mundakafu《ムダカフ》
オーストロネシア祖語:*Dakap《抱く》
マレー語 : mndakap《抱く》
(mnが前接辞)
ところで上の比較にもでていますが、比較例《抱く》の最初の発見者はオーストロネシア語族研究者で有名だった泉井氏(故人)です。「泉井氏は昭和二十八年、日本語《抱》と南島祖語*Dakap《抱く》を比較」(川本 昭和55:37p)されました。そしてその考えを受け、その後村山氏はそこから一歩踏み出して、古語の《ムダカフ》にオーストロネシア語族の前接辞*maN-を認め、マレー語のmndakap《抱く》と比較されたのです。
現代語の「抱く」(ダク)はムダク→ウダク→ダクという風に発音が変化したと考えられています。そして上代日本語の「ムダク」は東北地方にみられる鼻にかかった発音をもっていて、mundaku(ムンダク)のような発音であったと考えられています。このようなことを知ったうえで、古語《ムダカフ》とマレー語のmndakap《抱く》を見れば、きれいにそして、見事に日本語とマレー語が対応しているのわかります。このすばらしい対応を見たときの新鮮な驚きを川本氏は次のように述べておられます。(川本 昭和55:39p)
「このムダカフとマレー語mndakapを初めて比較したのは村山七郎氏であった。その論文は、たしか昭和四十三年頃の『週間読売』の「日本語特集号」に載っていた。わたしはびっくりした。一つには、その比較の語例のすばらしさに、もう一つは、アルタイ学者の村山氏が、南島語に強い関心を示したことに対してだった。」
ここでお二人の考え方にみられる重要な差異を見るために、泉井氏がオーストロネシア語族(=南島諸語)の日本語への関与をどのように考えておられたかを、川本氏の著書より孫引きしてみます。(川本 昭和55:78-9p:原著は『マライ=ポリネシア諸語−比較と系統−』 泉井久之助著:弘文堂
昭50(未見))
「南島諸語(マライ=ポリネシア諸語)の日本語に対する系譜関係の有無について、私が質問をうけたことは一再にとどまらなかった。私は常に、むしろ否定的に答えてきたけれども、そのうらに、以上のような語彙的並行の事実の若干が存在することは、また常に気がかりでもあった。それをまとめて見れば、上に掲げたような対応の規則性らしいものもあらわれて来る。しかし、それはどこまでも語彙的事実であって、日本語の文法的機能と体系に有機的に関与しているものではない。マライ=ポリネシア語において活発に働いて来た鼻音現象が日本語に生きて働いた形跡もなければ、マライ=ポリネシア語的な統辞法も、日本語の文法ならびに語彙的派生に関与的に働いたこともない。すべてマライ=ポリネシア語的要素と推察されるものは、日本語においてすでに固定した形で現れる。」
上の泉井氏の言葉からわかるように、オーストロネシア語族の日本語への関与が「語彙にとどまり、文法には生きて働いた形跡がない」とするなら、日本語とオーストロネシア語族との関係は(オーストロネシア語族からの)語彙の借用程度の問題ということになって、日本語とオーストロネシア語族との関係はやはり取るにたりないと言わざるをえません。しかし、村山氏は「南島語は語彙的に日本語の基礎語彙の極めて大きな部分を占めるのみならず、日本語の重要な特徴である「連濁」、動詞語幹を作る際の接頭辞の働きといった文法面にまで、南島語からの要素が見られるから」(崎山 1978:142p )とされました。
このような考えの違いは先にあげた比較例によくあらわれています。泉井氏は単に《抱く》と*Dakap《抱く》を比較されたのに対して、村山氏は泉井氏の比較から一歩踏み出して、前接辞*maN-をmundakufu《ムダカフ》に認め、オーストロネシア祖語から分岐した一言語である、マレー語のmndakap《抱く》と比較されたのです。つまりお二人の違いはオーストロネシア祖語の前接辞*maN-を認めるか否かであると考えることができます。そして村山氏のように、オーストロネシア祖語の接辞の一つである*maN-を古語《ムダカフ》に認めれば、日本語とオーストロネシア祖語との間に文法の機能の対応を見ることができます。そしてこのような機能の対応が見られれば、そこから、村山氏などが考えるように、真の意味での言語混合の考え方を生み出すこともできますし、そして私のように純血(単一)主義的オーストロネシア祖語同系説の展開も可能となります。だから上にあげた泉井氏と村山氏の《抱く》の比較例の酷似とは裏腹に、お二人に見られる考え方の相違は余りにも大きいといわねばなりません。(崎山 1978:142p にも泉井氏と村山氏の考え方の違いが載っています。)もしかりに村山氏の《抱く》の比較が間違っていると決めつけたとしても、確かに日本における日本語のオーストロネシア語族同系説はこの単語の比較からはじまったのです。
ここまでの紹介からわかるように、前接辞*maN-を日本語に認めることで、日本語とオーストロネシア祖語との比較が始まったと言わなければなりません。その意味で村山氏の古語《ムダカフ》に前接辞*maN-を認める冒険(着想)を称えるべきです。そして村山氏のこの冒険は「日本語起源論」解決への進むべき道を指し示したという意味で、一代エポックメーキングとして高く評価されなければなりません。上にあげた比較例「ムダカフ」とそれをとりあげた村山氏の名はいつまでも記憶されなければならないでしょう。
村山氏が比較言語学のセオリーどうり、着実に一歩一歩考察を進めていくための道具は、崎山氏が「村山が取り上げた南島語の接辞はまだその一部にしかすぎない…」(崎山 1978:143p)といっているように、前接辞*Ma(N)-一つのように見えたのは大変残念なことでした。ジャングルの開拓に斧一つで立ち向かっておられた村山氏の冥福を祈りたいと思います。 (戻る 川本氏紹介)
さて、最後に崎山氏です。崎山氏はオーストロネシア語族の言語を研究されていて、精力的に日本語にみられるオーストロネシア語族の要素を取り上げておられます。たとえば奈良時代の上代日本語に機能の残存が認められている接辞「イ」について、内容のある論考(崎山 平成2:99-122p)を発表されました。崎山氏がまとめた接辞「イ」の機能のなかから、例をあげると、次のようになります。(崎山 平成2:101-2p)
そして崎山氏は「このように相互連関的でなく説明される「イ」は、その意味的関連性からみても、もとは同じ語(あるいは小辞)であったと考えられる。」(崎山 平成2:102p)と接辞「イ」の成り立ちを正しく見ぬかれ、オーストロネシア語族(メラネシア語派を中心とした原オセアニア語)の*iと比較されました。(上の論考には接辞「イ」の他にも色々と素晴らしい考えがだされていますが、それは直接読んでいただきたいと思います。また日本語とオーストロネシア語族にみられる地名と人名にあらわれているイ・シの相関についてはこちら) ところでいまここで上の論考をとりあげたのは、その内容の素晴らしさをいうばかりでなく、「日本語起源論」を解決するための手法、いうなら日本語起源論者が行うべき仕事のあり方を、この論考が示しているからです。日本語と他の言語の間に語彙の「音則」程度のものが見つかればただもうそれだけで鬼の首をとったように日本語との同系証明が終わったかのように考えられている、巷にあふれる「日本語起源論」にたいする警鐘となるものがそこにみられるからです。崎山氏が上の論考で示したような手堅い比較によってこそ、「日本語起源論」は論じられなければなりません。
ここで現今の日本語起源論者がいま一度心に命じ、耳を傾けなければならないことを、崎山氏の言葉から拾っておくことにします。(崎山 平成2:99p)
「これまでの日本語系統論における南方の言語の扱いについてみると、かならずしも正当ということはできず、むしろ遺憾な点が多い。とくに南方の比較言語学的な成果に無頓着に、現在の一言語だけを取り上げて、いかにも南方の言語の代表であるかのようにみなして議論したり、また南方の言語について確実な根拠も示さないまま、日本語における文法的要素をあたまから否定した人も少なくない。…(以下省略)」
ところで、崎山氏には大きな泣きどころがあります。たとえば崎山氏があげておられる、次のような現象はどのように考えればよいのでしょうか。(崎山 平成2:118p)
「東インドネシアからこのルートを通って琉球の八重山方言にいたる言語で、語末に現在では無意味の鼻音(excrescent ng)を添加する現象がみいだされることが多い。…/八重山では、波照間島方言で、sk-ng「月」;pato-ng「ハト」などのようになる。首里方言の動詞の終止形に現われる起源不明の-ngもこの線上で考えることができるかもしれない。…(以下省略)」
上の崎山氏の本文中にでてくるミクロネシア西部のパラウ語のstoa-ng「店」(英語storeの借用語)と波照間島方言のpato-ng「ハト」、また首里方言の動詞の終止形(たとえば[katu]「書く」)にみられる語末鼻音-ngの並行的現象は日本語とオーストロネシア語族とが同系ゆえ起こっているのでしょうか。それともただ単に奇妙に現象が似ているだけなのでしょうか。
ここで今では通説となってしまった、首里方言の動詞の終止形に対する高名な言語学者の考えを、次に紹介します。(服部 昭和34:334p、また334-357p)
「琉球方言の動詞のいわゆる終止形は、「をり、あり」に当る語のほかは、今日の標準語(内地方言の多くのもの)の動詞の終止形は「書く、読む」などにそのまま当るものではなく、そのいわゆる連用形「書き、読み」に当る形と「居をり」に当る動詞との複合したものである。…(以下省略)」
ところで服部氏の上の考えは古代語の動詞終止形「居り(をり)、有り(あり)」の由来ばかりでなく、動詞活用形の起源もまたうまく説明できません。そして日本語とオーストロネシア語族にみられる語末鼻音-ngとの並行的現象が説明できないのはいうまでもないところです。ではなぜ服部氏の仮説が上のような問題に何も答えをだせないのでしょうか。それはいうまでもなく琉球方言にみられる語末鼻音-ngの由来がいまだ正しく解けていないからです。
このように考えてくると日本語の起源を解くためにはその一つとして、まず琉球方言にみられる語末鼻音-ngの由来を解くことが必要です。そしてそこから得られた結果を、たとえばオーストロネシア語族の語末鼻音-ngと比較することが必要なことはいうまでもないでしょう。「動詞活用の起源」「係り結びとはなにか」「連濁はなぜ、いつ起こるのか」といった、日本語の起源を解くうえでの重要な問題が何一つ解けていないのに、どのようにして他の言語と比較することができるのでしょうか。私が崎山氏には大きな泣きどころがあると言ったのはこういうことです。現在の国語学者や言語学を受け売りしている言語学者は日本語にみられる上のような問題をまず解かなければなりません。そしてそれらの問題を解き、そのあと比較言語学の教える道にしたがって、「日本語の起源」を解いていくことが、当然といえば当然の筋道なのですから。(もちろん上の語末鼻音-ngの並行的現象は日本語とオーストロネシア語族とが同系であることに由来するものです。後の更新で考えることにします。)(戻る 川本氏紹介 村山氏紹介)
すこしばかり三人の方々の考えかたを紹介しました。川本氏はたとえば「タンコブ」(瘤)に*taN-の痕跡を、また撥音・促音をそれぞれオーストロネシア語族の特殊音韻(N・Q)と見るなど、素晴らしいアイディアを多くだされています。しかし、その手法は日本語起源論という大きいジャングルを素手でめったやたら切り開くといったものです。それに対して村山氏は斧(前接辞*maN-) 一つに心をきめ、こつこつと語彙の対応を見いだすことによって、オーストロネシア語族との同系を模索されていました。また崎山氏はオーストロネシア語族の研究者という強みをいかし、語彙の対応をよりどころにして、日本語とオーストロネシア語族の文法機能の対応の発見にちからを注がれています。しかしいま見てきたように三人の方々の努力・熱意にもかかわらず、日本語起源論の解決というジャングルはあまりにも大き過ぎるというのが偽らざるところです。そしてまたその困難さゆえに、上の三人の方々は日本語におけるオーストロネシア語族の関与を非常に深いとは見られても、やはりアルタイ諸語との混合言語の考えをされています。崎山氏が「日本語も含めて民族語としての長い伝統をもつ言語を考える際に、言語純血主義的(単一血統的)発想からの転換を迫られているのである。」(崎山 平成2:120p)と述べていることは、日本語の起源を唯一オーストロネシア語族とすることがいかに困難かを如実に物語っているといえるでしょう。「言うは易く、行うは難し」の喩えがあるように、オーストロネシア語族単一(純血)同系説で日本語の起源を説明することは至難の技です。でも言い出しっぺは世の中に必要です。やはり「王様は裸だ」といわなければなりません。
それでは、これを読んで下さる皆様と一緒に日本語の起源を探る旅に出掛けることにしましょう。そして日本語が唯一オーストロネシア語族と深いつながりがあることを、このホームページを読んでくださる皆さんと一緒に見ていきたいと思います。
追記:以前『「日本語起源論」を越えて』の書名でワープロを打ちはじめた文章のうちの一章を今回加筆訂正したものです。(この章の初筆は1995.8)
1999.3.11 ichhan