「ハ行音の問題」について
(1999.05.03 更新)
このページは「ハ行音の問題」にたいする通説の紹介とそこにみられる問題点を簡単に述べています。
1.ハ行音の発音
2.ハ行頭子音の変化
3.ハ行転呼音の変化
4.通説の問題点
1.ハ行音の発音
現在のハ行音は次のような三種類の違った子音であらわされる音です。
ハ([ha])、ヒ([i])、フ([u])、ヘ([he])、ホ([ho])
hは声門摩擦音([h])、は硬口蓋摩擦音([])、は両唇摩擦音([])。
*これからをFであらわすことにします。
これからハ行音の問題を考えていくのですが、そのためには上代のハ行音がどのような発音であったか知る必要があります。そこで奈良時代のハ行音の発音を知るために、文献にみられる万葉仮名の表記をみてみます。(上代語辞典編修委員会編 1985:585、336より)
「語頭のハ(ハ行頭子音) 鼻(はな) 表記:波奈
語頭以外のハ(ハ行転呼音) 沢(さは→さわ) 表記:佐波、左波」
このように語頭と語頭以外の区別なくハは「波」であらわされています。また古代中国語の漢字音の研究成果によれば、ハ行音の発音は次のように考えられています。(福島 1976:141)
「 ハ…波・破・幡 ヒ…比・悲・斐 フ…不・布・敷 ヘ…敞・弊・反 ホ…保・倍・本
これらの漢字音は韻鏡では重唇音や軽唇音に属するので、p音系統やF音系統の中国音で日本語のハ行子音を表わしていたことになるのであるが、奈良時代のハ行音がパピプペポであったかファフィフゥフェフォであったかはっきりしないのである。
そこでもし平安時代の初期にハ行子音をFと発音した資料があれば、その前の奈良時代もハ行音はファフィフゥフェフォであったということになるが、慈覚大師の在唐記(注3)(八世紀中ばのもの)に梵語のpa音に日本の「波字音」で呼ぶが「唇音を加う」とあるので、パを発音するのに軽い両唇音のFを重くしてP音に発音させたのであって、平安時代にはハ行子音は両唇音のFであったといえる。この解釈に異論をとなえるむきもあるが、両唇音説に従いたい。」
このようなことから、ハ行音は語頭と語頭以外の区別なく、どちらも同じようにファ行(F)もしくはパ行(p)で発音されたと考えられています。
2.ハ行頭子音の変化
語頭のハ行音は次の引用にみられるように、p([p])→F([])→h([h])のように変化したと考えられています。(小松 昭和56:249)
「ハ行子音は、文献時代以前に両唇破裂音の[p]であったが、すでに奈良時代には両唇摩擦音の[]になっており、さらに江戸時代に入って声門摩擦音の[h]に変化した。」
上のp([p])→F([])の変化は唇の緊張がゆるむと、p(両唇閉鎖音)からF(両唇摩擦音)に変化する現象で、唇音退化と呼ばれ色々な言語によく見られる音韻変化の一つです。そしてこのp→Fの変化が古代の語頭のハ行音にみられ、奈良時代以前にp→Fの変化を完了していたと考えられています。これが「p音考」としてよく知られている語頭ハ行音の変化です。
ところで上の変化で、ヒとフがp→F→hの変化からはずれていて、それぞれ[i]と[u]となっています。フのほうはpu→Fuと変化したあとそこで変化がとまったと考えておかしくありませんが、ヒのほうはFiやhiと違ったものとなっているので、何か理由があると考えねばなりません。そこで小松氏は母音iの影響で口蓋化を起こしたためiになったと考えられました。小松氏の考えをまとめると、その変化は次のようなものです。(小松 昭和56:252-3).
Fi([i])が江戸時代頃に再びhi([hi])に変化し、そのあと母音iの影響で口蓋化を起こしたため、ヒ([i])になった。
一般式としてあらわすと次のようになります。
pi→Fi→hi→i
ところでハ行頭子音がp音に遡るとする上の考え(「p音考」)は現在でも沖縄などの方言にpやF音が残っているところから、専門家のあいだでは支持されています。現代日本語方言大辞典より、p・F音の残存と考えられる例を、次にあげてみます。(平山 平成5:6巻 4643:アクセントは省略)
「骨 [puni]
沖縄県宮古島平良市
骨 [Funi] 鹿児島県奄美大島名瀬市」
上の考えに従い、通説によるハ行頭子音(語頭のハ行音)の変化 を、次のように表わすことにします。
上の変化を一般式として、次のように表わすことにします。
pV→FV→hV→V
*Vはa、i、u、e、o。但し、それぞれの変化は上の1,2,3のように読みかえること。
*「ハ行頭子音の変化について」の考察はこちらへ
3.ハ行転呼音の変化
日本語にはハ行転呼と呼ばれる珍しい音韻変化が平安時代中期以降より一般化しています。これは語頭以外のハ行音がア行音(一部はワ行音)に変化している現象で、その変化は、次のように考えるのが通説となっています(小松 昭和56:292)。
「…これは、平安時代中期以後、語頭以外のハ行音が、ワ行音に変化したことに起因している。すなわち、
貝 :kai>kawi>kai 苗:nae>nawe>nae
今日:keu>keu>keo>kjo: 塩:io>iwo>io
という過程で、まずそれらはいったんワ行音になり、そのあとで、それぞれに変化して今日にいたっているのである。…(以下省略)」
*筆者注:1.は両唇摩擦音F([])。[は硬口蓋歯茎摩擦音([])。
2.「沢」はsaa→sawa(さは→さわ)と変化。
上の通説に従い、これからハ行転呼音(語頭以外のハ行音)の変化を、次のように表わすことにします。
4.Fa-→wa (ハの変化)
5.Fu-----→u (フの変化)
6.FV→wV→V (ヒ、ヘ、ホの変化)
*Vはi、e、o。但し、助詞ヲはFo→wo。
上の変化を一般式として、次のように表わすことにします。
FV→wV→V
*Vはa、i、u、e、o。但し、それぞれの変化は上の4、5、6のように読みかえること。
*「ハ行転呼音の変化について」の考察はこちらへ
4.通説の問題点
語頭と語頭以外のハ行音の変化に対するそれぞれの通説を上に紹介しましたが、実はいくつかの点で問題があります。それを個条書きにすると次の通りです。
では、これらの問題を解いていくことにしましょう。