「ティダ」の語源を探る
(2000.10.20 更新)
このページは前項「14.濁音化と鼻音化の音韻変化について」からの続きです。
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15.前鼻音化現象とは?
前回は日本語にみられる「濁音化」「鼻音化」の音韻変化がオーストロネシア語族の前鼻音化現象(それぞれ鼻音前出と鼻音代償に対応)に似ていること、そしてその対応は日本語とオーストロネシア語族が唯一同系であると考える根拠になるのではないかという考えを提出しました。そこで今回は日本人にはなじみのうすい前鼻音化現象についてみることにします。前鼻音化現象の鼻音前出と鼻音代償が日本語の「濁音化」「鼻音化」のそれぞれに対応することの詳しい説明は次回からはじめることにして、ここではそれらのちょっとみの似かよりをみておくことにします。
まず前鼻音化現象というものがどういうものか知るために少し長くなりますが、次に引用することにします。(崎山 1978:113-4)
「・・・その現象(注1)は次頁の表(注2)に示すように(資料4)原南島語(注3)の十二の子音(破裂音と摩擦音あるいは破擦音)を頭に持つ形態素(共時的には語幹、語基(=二次的語根、歴史的には語根の集まりであるが共時的意識のもとではそれ以上に分析を許さないもの)であり、通時的には語根となる)に他の形態素(共時的には接頭辞であり、通時的には語幹形成素また接頭辞のこともあった)が結合し合う時、結合個所に同じ器官で調音される鼻音が現われるのであり、その現われ方には二種類、すなわち「前出」(Zuwachs)と「代償」(Ersatz)とがある。
注1:前鼻音化現象(Prnasalierung)のこと
注2:ここでは下記の表(資料4)のこと
注3:オーストロネシア祖語のこと
資料4
(鼻音前出) (鼻音代償)
b〜mb 〜 b〜m 〜
p〜mp 〜 p〜m 〜
d〜nd d'〜n'd' d〜n d'〜n'
t〜nt t'〜n't' t〜n t'〜n'
g〜g g'〜'g' g〜 g'〜'
k〜k k'〜'k' k〜 k'〜'
この表はデムプウォルフが考えたあくまで理想的な体系を示したもので、現在、この体系の維持の仕方は言語によって異なる。例えば、現在のインドネシア諸語は接辞法にこの現象を残すことが多いが、タガログ語では前出として、
g-〜g-,h-〜h-,V-〜V-,w-〜w-,y-〜y-,d-〜nd-,r-〜nr-,l-〜nl-,b-〜mb-,m-〜m-,n-〜n-,-〜(a)-(例えば接頭辞ma-はmaganyk「誘われる」:maganyk「勧誘する」、接頭辞pa-はpaalan「名」:paalan「名詞」のように)、
代償として、
k-〜-,t-〜n-,s-〜n-,p-〜m-,b-〜m-(makals「ほどける」:maals「ほどく」、mabahay「家のある、住宅地の」:mamahay「居住する」のように。ただしb-には語によって前出となることもあるmabas「濡れる」:mambas「濡らす」、
のように原則としてすべての音にこの現象が起こり、また起こさない時とは接頭辞に文法的な機能の違いを生ぜしめる。南島語一般としていえば、起こさない場合(*ma-)は語基の状態になること、起こす場合(*maN-)は他動詞的な働きを持つわけだが、タガログ語の場合、起こした形は習慣的・反復的行為をも表わす。」
前鼻音化現象とは上のようなものをいうのですが、わかっていただけたでしょうか。前鼻音化現象という言葉をはじめて耳にされた方にはわかりにくいと思いますので、簡単にもう一度それをみてみることにします。
破裂音(g・b) 鼻音(g・mb)
鼻音前出(g→g):maganyk「誘われる」 maganyk「勧誘する」
鼻音代償(b→m):mabahay「家のある、住宅地の」 mamahay「居住する」
つまりタガログ語ではmaganyk(破裂音のg)がmaganyk(鼻音をともなうg)に、mabahay(破裂音のm)がmamahay(鼻音のm)にかわる現象がみられるのです。そしてそれらはそれぞれ鼻音前出・鼻音代償とよばれていて、そこには「誘われる」→「勧誘する」、「家のある、住宅地の」→「居住する」といった意味の変化がみられるのです。このように前鼻音化現象というのは音韻変化(たとえばmabahay→mamahay)が語彙変化(この場合「家のある、住宅地の」→「居住する」)とつながった現象であるのです。
ところでここまで読んできてくださった方のなかには、「あれ!そんなことなら日本語にもあるじゃないか」と思われた方もあるのではないでしょうか。前鼻音化現象なんていう難しい言葉にとらわれると、前鼻音化現象とよく似た現象が日本語にもあるのを見落とすものです。少しそのことを書いてみることにします。
今日は東京で木枯らし1号が吹き、札幌では初雪が降ったとか、滋賀でも寒い一日でした。ところでこういうふうに寒いとき、私のところでは「おおー、さぶっ!」といいます。滋賀では「寒い」ことは普通「さぶー」といっているのですが、「さむー」ということもあります。そして本当に寒いときは「ほんまにさぶいな〜」とか「ほんまにさむいな〜」とかいったりします。ところで自分の言葉を内省してみると、このように寒い時には「おおー、さむっ!」といわないこともありませんが、どちらかといえば「おおー、さぶっ!」ということが多いように感じます。そして「おおー、さむっ!」と「おおー、さぶっ!」をくらべると、「おおー、さぶっ!」のほうがより強く「寒さ」の感じを表現できるように思います。たしかに私自身「おおー、さむっ!」より「おおー、さぶっ!」のほうを多用しているので、日常的に使用していることから「おおー、さぶっ!」のほうがより「寒さ」の感じがでるのではないかと考えることもできます。しかしやっぱりこのことをさしひいても「おおー、さむっ!」より「おおー、さぶっ!」のほうが、「寒さ」の感じがより強いのではないかと感じられます。もしこの私の内省が正しいとすれば、「おおー、さむっ!」の強調形が「おおー、さぶっ!」であると考えることができます。つまり滋賀方言ではm(鼻音)→b(有声破裂音)の変化で語彙を「強調」させることがあると考えることができるのではないでしょうか。
今度は「たけ」の例を考えてみましょう。(それぞれ上代語辞典編修委員会編 1985:417,日本大辞典刊行会編13巻 昭和50 :15)
「たけ[長・高](名)長さ。高さ。身長に用いる。「日本武尊・・・身長一丈ミタケヒトツエ、・・・(以下省略)」(著者注:上代特殊仮名遣いの符号は省略しました。たけ(tak)のケは乙類。)
「た・ける【長・闌】《自カ下一》 文 た・く《自カ下二》@十分にその状態になる。日が高く昇り、日盛りになる。・・・(以下省略)」
上の記述では「たけ」に対して「長」「高」の漢字が、「たける」に「長」の漢字があてられていて、また「たけ」の意味に「高さ」ばかりでなく「長さ」もあることから、古代の日本人は「高いこと」と「長いこと」の間になんらかのつながりをみていたことがわかります。そしてもしこの考えが正しいとすれば、「高」と「長」のあいだにt(無声破裂音)→n(鼻音)の語彙派生を考えることができるのではないでしょうか。また前に「候ふ・侍ふ」(さもらふ)から「侍」(さむらい)への変化を書いたことがあったので、ここでもう一度それをみてみることにします。(それぞれ日本大辞典刊行会編 9巻 昭和49:141-2,122;121,136)
さもらふ さぶらふ/さぶらひ さぶらい さむらいsamorafu→saburafu/saburafi→saburai→samurai
ところでほかにも「生むうむ」「産屋うぶや」(m→b)、「睡ねぶる」「眠るねむる」(b→m)といった言葉があり、破裂音から鼻音への、またその反対の鼻音から破裂音への音韻変化は昔から「相通」(下記注を参照ください)としてよく知られている現象です。
注:「そう-つう サウ・・【相通】《名》@古代から日本の韻学で用いられた理論で、あい似た音が通用して用いられること。・・・(以下省略)A(ーする)@から発展して、五十音図のたての行の五音内、もしくは、よこの段の十音の内で音が通用すること。前者を五音相通、同声相通、後者を同韻相通、あるいはその相通する音をもって、イエ相通、サタラナ相通などといった。・・・(以下省略)」(日本大辞典刊行会編12巻 昭和49:297 による)
ところで前鼻音化現象の鼻音前出(たとえばp〜mp、b〜mb)と鼻音代償(たとえばp〜m、b〜m)の変化は次のような一連の音韻変化の一部であると考えることができます。
鼻音前出 鼻音前出
p-→mp-→mb-→b-→mb-→m-→mb-→b・・・
鼻 音 代 償
鼻 音 代 償
そしてこのように考えると、日本語の連濁と相通現象(たとえばハマ相通)を上の前鼻音化現象と比較することができるでしょう。そこでその比較を図式的にあらわすと、次のようになります。
《日本語》
例:したは-------→したば(下葉:連濁)
例: ねぶる→ねむる:さむ----→さぶ(ハマ相通)
(入わたり鼻音→濁音) p--→mp--→mb--→b--→mb--→m--→mb--→b--→
《オーストロネシア語族》
例:mabas→mambas(鼻音前出)
例: mabahay→mamahay(鼻音代償)
注:例はタガログ語(前に引用したものから)
さてここまで(連濁と)相通現象が前鼻音化現象と良く似た現象であることをみてきましたが、皆さんはどのように感じられたでしょうか?今回は音韻変化のありさまがよく似ているといった指摘をしましたが、もしここでそれらに意味の相関も認められれば日本語とオーストロネシア語族の親族関係の証明に大きなはずみになることでしょう。そのことは次のような崎山氏の言葉にはっきりとみることができます。(崎山 1978:115)
「要するに、前鼻音化現象というのは、現在のインドネシア諸語の接辞法からも明らかなように、音韻的現象のみならずある機能的働きがそこに伴う文法的現象でもあり、単なる音韻現象だけの比較を越えて、このような現象が言語間に認められれば、より一層強固に親族関係の証明をすることになる。・・・(以下省略)」
ここまで読んできてくださった皆さんは日本語の(連濁と)相通現象とオーストロネシア語族の前鼻音化現象との似かよりをどのように考えられるでしょうか。上の似かよりはただ単なる他人の空似なのでしょうか。それとも日本語とオーストロネシア語族の同源をものがたる重大な証なのでしょうか。(もちろん私はこの似かよりは他人の空似ではなく、同源を証明するものであると考えているのですが)
次回は日本語とオーストロネシア語族の鼻音代償、そして鼻音前出の対応をみていきたいと思っています。