「ティダ」の語源を探る
(1999.10.15 更新)
このページは「ティダ」の語源を探ります。
01.まえがき
02.「ティダ」の語源説
03.「ティダ」の古音
04.撥音「ン」について
05.「天道説」と「照ら説」の関係について
06.発光天体の語基について
07.語基tとnについて
1.まえがき
沖縄・奄美の方言で「太陽」は「ティダ」(「ティ−ダ」とも)といいます。この言葉は「…日本語による解釈が行はれてはゐるが、まだ満足すべき定説の聞けないもの」(亀井 昭和48:119:ただし『世界言語概説』(下)p335-54からの重引の一部です。)として名高い言葉の一つです。今回はこの「ティダ」の語源を探ることによって、日本語はインドネシア語・フィリピノ語やハワイ語などが属するオーストロネシア語族と深い関係があることを示してみたいと思います。
これまでの語源説を簡単に紹介します。
A)“チダル(チラル)”説
B)“テラ(照)”説
C)“天道”説
D)“照るもの(処)”説
E)発光天体説
*「ティダ」の語源に関する諸説の紹介は村山 1988:140・215-7、外間 昭和56:179-191、亀井 昭和48:115-119・p452などにみえます。また村山氏の新しい考えは村山 1993:80-88、村山 1995:104-6,155-8。)
Aの“チダル(チラル)”説は台湾のアミ(ス)語(阿眉斯語)で「太陽」をチラル([tial]:何汝芬他 1986:137。服部 昭和34:222にも)ということから、故新村出氏がそれを琉球方言のティダに結びつけた説です。(新村 昭和15:14-6に再録。また同じく語源を南方に求める安藤正次氏の説があります。これらの説の簡単な紹介は村山 昭和54 180-4、また亀井 昭和48:115-6に再録)しかしながらこの新村・安藤説はただこれらの言葉の音と語義が似ているといった類音・類義比較であり、史前日本語を再構したうえでの比較考察ではないため、このままでは言語学の上からはこれらの説を認めることはできません。
Bの“テラ(照)”説はティダを本土方言の「「てる(照)」との語源関係を想定せんとする案で」(亀井 昭和48 :116)す。ここで仲原善忠氏の説(『おもろ新釈』
昭和32)を重引します。(亀井 昭和48:117より。また外間 昭和56:181-3にも)。
「太陽はテダ(Tida)とも日(Fii又はHii)ともいうが、「中略」テダの語源は明らかでない。テリヤ(即ち照るもの)からテラになり、ラ行ダ行の混同からテダにかわったと説かれる。(80)」
つまりこの説はteri+ya→terya→tera→tedaと音韻変化したと考えるわけです。ここでyaに「〜するもの/〜するところ」の語義を考えれば、この音韻変化は琉球方言としては無理のない変化と考えてよいものです。しかしteriは明らかに連用名詞形であり、そのことよりteriyaは「照ること/もの+もの/ところ」というおかしな複合語になり、またteriya(照りや)に対応する語が本土方言に全く見られないことから、この説も問題があると考えられます。
Cの“天道”説は「《ティダ》の語源は、「《天道(と、漢字をもって書くところの語)》に求むべきであろうと、…(このあと省略)」(亀井 昭和48:148。)して、字音語「天道」に語源を求めたものです。しかしこれに対しては、村山氏の次のような批判があります。(村山 1988:140、216。上村孝二氏の“天道”説は未見)
「…首里方言のティーダのアクセントは平板型であり,もし天道テンダウの字音に由来するならば,ティーダは下降型アクセントを持つ可能性が大きいからである。アクセントを考慮すれば,天道テンダウ字音説よりも照らテラからの変化と見る説のほうが分がよさそうである。」
つまりティダのアクセントを考慮するなら、“天道”説は成り立たないと考えられます。
Dの“照るもの(処)”説は故服部氏が「クダモノ」(果物)と「ケダモノ」(獣:けだもの)の語源説の中で、ティダの語源説に触れられたものです。(原著未見:月刊『言語』1978年1号よりの連載の第20回
p107以下)服部氏は「クダモノ」「ケダモノ」をそれぞれ「木の物」「毛の物」と解釈して、これらの語にみえる“ダ”に連体格助詞“ノ”と同じ機能を見られたようです。しかしこの“ダ”を“間”(合ヒ+ダ)に見られるダと同じものと考え、ダに「処(ところ)」の語義を服部氏は考えておられるようであると、村山氏は分析されています。そしてティダを*tai(照るもの:連用名詞形)+da(処)→teeda→tiida(太陽)の音韻変化であると、服部氏は考えておられるようだとして、「照るものところ」から「太陽」への語義変化は考えにくいと、村山氏は批判されています。(村山 1988:215-220)
ここでは村山氏のこの批判に従って、“照るもの(処)”説も問題があると考えておきます。
最後の発光天体説は村山氏が「ティダ」に古語の「イナノメ(稲目)」・「シノノメ(細竹目)」との関係をみて、オーストロネシア語族の祖語形*t'ina(「光」)と同根とみられたものです。この説はティダの語源を直接述べたものではありませんが、ティダの語源に深くかかわっています。このすばらしい村山氏の説は項をあらため、検証することにします。(→発光天体説)
3.「ティダ」の古音
「ティダ」の語源を探るために、まずティダの古音を考えることにします。琉球の島々で「太陽」にあたる言葉は次のとうりです。(平山第4巻 平成5 :2907-8:アクセントは省略)
名瀬(奄美):[tda] 本部(沖縄北部) :[tira]
平良(宮古):[tida] 鳩間(八重山) :[tida]
また琉球の古典には次のような言葉があります。(それぞれ亀井 昭和48:123、p138、p137)
語音翻訳(但し:諺注による):[t(h)ed]
おもろ(さうし) :ティダ
混効験集(18世紀初頭) :オテダ
ところで本土方言と琉球方言とのよく知られた音韻対応にe(本土方言)/ i(琉球方言)があります。たとえば「毛」「目」「此れ」「声」についてその対応をみてみると、次のようになります。(それぞれ平山第3巻 平成5:1737/1738、平山第6巻 平成5:5009/5010、平山第4巻 平成5:2014/2015、平山第4巻 平成5:1850/1851:アクセントは省略。また平山 昭和43:172にも)
毛 目 此れ 声
京都方言(京都):[ke:] [me:] [kore] [koe]
名瀬方言(奄美):[k] [m] [kur] [kui]
このような音韻対応と上の古語に見られる「t(h)ed、ティダ、オテダ」を照らし合わせて、亀井氏は *teda>tida(亀井 昭和48 :124)の音韻変化を考えられました。亀井氏の考えにしたがい、「ティダ」(「ティーダ」)の古音を「テダ」とします。
このようにA〜Dの語源説はそれぞれに問題があり、ティダの語源を解き明かすことができていません。しかしこれらの説の中で、亀井氏の「天道説」にはティダの語源を解く鍵があります。そこで「天道説」の内容を紹介する前に、その論文にでてくる「お天道さま」(オテントサマ。またオテント−サマとも)の撥音「ン」について、まず考えることにします。
本土方言において、撥音「ン」であらわされる音には次のように色々なものがあります。(例はそれぞれM.シュービゲル 1982:79・p79・p82・p79・p79・p50より)
m:両唇鼻音---例:[kmi](紙)
n:歯茎鼻音--- 例:[kni](かに)
:硬口蓋鼻音-例:[a] (にゃ)
:軟口蓋鼻音-例:[kai](鍵)
:口蓋垂鼻音-例:[k](かん)
:鼻母音-----例:[tai](単位)
*例の口蓋垂鼻音はにかえてあります。
*これからは上の鼻母音を、色々な鼻音をまとめてで表わすことにします。
このように日本語には色々な鼻音・鼻母音が存在するのですが、不思議なことに私達はただ一つの文字「ン」でもって、上の鼻音・鼻母音を表現しています。ところでこれらの鼻音は日本語の文法では撥音と総称されているのですが、これらの音は奈良朝の人々には苦手な音であったと思われます。たとえば漢語の「南/散」の語末はそれぞれ鼻音m/nであったのですが、ナム(またはナミ)/サニなどとそれぞれu・i音をつけ加えて書き表わしていたからです。(橋本進吉 1980:150)そしてそれらの語末鼻音m/n/ngはその後、次のように変化しています。(橋本進吉 1980:162)
「…院政時代から鎌倉時代になると、次第にそのmとnとの区別がなくなって「ン」音に帰し(「覧」「三」「点」などの語尾mが「賛」「天」などの語尾nと同じくn音になった)、またngはウまたはイの音になり(「上ジヤウ」「東トウ」「康カウ」などの語尾ウ、「平ヘイ」「青セイ」などのイは、もとngである)、……(以下、入声音の語尾p・t・kの変化は省略)」
そして奈良時代の日本語(都訛り)には語末鼻音m/n/ngを表記するための撥音表記「ン」がみられず、平安時代頃から現われてきたことやまた今でも上にみたように色々な鼻音・鼻母音を「ン」の文字一つでまかなっていることを考えあわせると、奈良時代においては語末鼻音m/n/ngはなかったと考えることができます。つまり平安時代のはじめに語末鼻音が生まれてもなお「…撥音の一部分についてかな文字がないという状態であったという」(山田 1990:42-3)べきで、このように考えてくると撥音は通説どおり新しく平安時代頃から生まれたと考えることができます。
ところで奈良時代には語末鼻音が存在していず、しかも撥音が通説どおり平安時代頃から生まれたとするなら、このことはどのように考えれば良いのでしょうか。何もないところから撥音が生まれたとは考えにくいので、そこで撥音の生まれた理由として鼻母音から鼻音への音韻変化を考えることにします。するとその変化は次のように考えることができます。
C>CV *C:子音、
:鼻母音、V:母音、:撥音
さて、上のような音韻変化を想定すると、「お天道様」への音韻変化を、次のように考えることができます。
otto:sama--→oteto:sama
*:eの鼻母音、:撥音(=口蓋垂鼻音)
つまり奈良時代においてt(鼻母音化したテ)であったものが平安時代ののちte:(テン)になり、それまで存在しなかった撥音が発生し、その後それに見合う撥音表記「ン」が文章語に見られるようになったと考えることができます。このように鼻母音から鼻音への音韻変化を考えることで、奈良時代には語末鼻音m/n/ngがなく、そのためそれらを表記するための文字(ン)がなく、撥音表記が平安時代頃から現われてきたという通説をうまく説明できます。そして今でも色々な鼻音・鼻母音を「ン」の文字一つでまかなっているという、日本語の特殊性もこの撥音の発生が新しい事実から説明できます。
さて前に引用した字音語の「東」(トウ)の音韻変化については、次のような考えがあります。(日本大辞典刊行会編 20巻 昭和51:710)
「…また、撥音尾を「い」や「う」にあたるかなで表わしていると見える例があり、これは韻尾のとnとが近かったことの反映であろう。…(以下省略)」
上の考えから撥音の音韻変化を、次のように考えることができます。
CV>CVu
*C:子音、V:母音、:撥音、u:母音ウ
また先に撥音の発生の理由として、C>CVの音韻変化を考えたので、これらの音韻変化を一つの音韻変化としてみると、次のようになります。
C>CV>CVu
*C:子音、:鼻母音、V:母音、:撥音、u:母音ウ
ここで鼻母音のをと考えると、上の音韻変化は次のようになります。
t>ta>tau
ところで字音語の「道」(タウ)は「トー」(たとえば「神道」)へと変化しているので、この変化を「お天道様」にあてはめると、次のようになります。
tt(>teta)>tetau>tento:(テントー:お天道様)
つまり上のような変化を考えることによって、本土方言の「お天道様」のより古い音をttと考えることができます。そしてこのように考えると、このttを琉球方言の古音テダと次のように比べることができます。
tt(本土方言):teda(琉球方言)
ここでta→daの連濁を仮定したうえで、本土方言と琉球方言を比べると、その違いは母音が鼻母音かどうかの違いであることがわかります。つまりこのように考えてくると、本土方言の「お天道様」と琉球方言の「ティダ」は同源語であると考えることができます。亀井氏が「ティダ」の語源に対して、「(U) けだし、その語源は漢字で「天道」と書かれるかたちにひきあてられるものであろう、…」(亀井 昭和48:138)と推測されたことは、「お天道様」を字音語ではなく、和語であると考えることによって正しいということができるでしょう。
ここで「お天道様」「照ら」「ティダ」のより古い音をttと考えることにすると、それらの音韻変化は次のようになります。
「お天道様」:tt>tetau>teto:
「照ら」 :tt>td>tr>tera
「ティダ」 :tt>td>teda>tira
つまりtが連濁を起こさずに鼻母音がu音化(t>tau)したものが「お天道様」で、連濁を起こしたのちr音化(t>d>r)したものが「照ら」であり、連濁を起こしたのち非鼻母音化し、その後teが高母音化(t>d。td>teda。のちte>ti)したのが「ティダ」であると考えられます。このように「照ら」も「お天道様」や「ティダ」と同じくその音韻変化の道すがら違った変化をしたためと考えることができます。
ここまでの考察によって、「お天道様」「照ら」と「ティダ」とは語源が同じであると考えることができましたが、では「お天道様」「ティダ」「照ら」の言葉の源は何なのでしょうか。これからこの問題を考えていくことにします。
まずそのために、亀井氏の「天道説」の考えをまとめながら考えていくことにします。「太陽」「月」に対しては、次のような色々な言葉が存在しています。(亀井 昭和48:125-133)
《太陽》 《月》
字音語:太陽(たいよう) 月(がつ)
日常語:日(ひ) 月(つき)
連濁 :日々(ひび) 月々(つきづき)
幼児語:お日様(おひさま) お月さま(おつきさま)
古語 :お天道様(おてんとうさま) *
宗教語:日天様(にってんさま) 月天様(がってんさま)
筆者注:*印のところ(正確にはp132の図式)は亀井氏の考えとは違っています。
ここで同じく口語である「お日様」と「お天道様」を比べると、どちらも“をさなことば”(亀井 昭和48:130)ではあっても前者は創作童話、後者は古い子守唄に使われるといったニュアンスの違いがあります。そしてこの幼児語(をさなことば)の新古を「月」に対しても同じように考えてみると、*印をしたところに共通語のみを知る若い人々には耳慣れない「のんのさま」(又、のの・ののさま・のんのん・ののさんとも。(日本大辞典刊行会編 16巻 昭和50:36)という言葉がみられます。そしてこの「のんの様」の言葉は「の」の繰り返しがみられること、また次のような文語が残っていることからも古い言葉であることがわかります。(亀井 昭和48:130)
「みとり子
ところでここでの考察とは直接関係してはいないのですが、アイヌ語にも「ノンノ」という言葉がみられるので、ここで幼児語とアイヌ語を紹介しておきます。(片山 1993 p59-61。注:幼児語「のんの」(「のの」とも)は日本大辞典刊行会編 16巻 昭和50:81/36よりのもの)
幼児語 :「神・仏や日・月など、すべて尊ぶべきものをいう語」
アイヌ語:「尊ぶべきものを言う」
さて「のんの様」の言葉は文語に見られたこと、古い子守唄に使われたこと、また現在では方言にみられることから、この「のんの様」の使われ方を日常語から幼言葉に、そして(共通語の中で)死語になり、かろうじて方言の中に生き残っていると考えることができます。
ところで幼児語の「のの(さま)」は先にみたように、「太陽」(お日様)と「月」(お月様)の両方を指していたと考えられます。そしてこの「ののさま」の語義変化については、亀井氏のすばらしい考えがあり、次にそれを紹介することにします。(亀井 昭和48:131)
「…太陽に言及することがまれになり、そして、太陽を意味しなくなったのは、言語表現の世界において、それがオテントーサマのかたちに、いはば遠慮をしてのこと、つまり、もとはおとなのことばであったオテントーサマがをさなことばのなかまいりをするやうになって、「ののさま」の方は、その意味のひろがりのはばをみづからせばめたものと解される。……(以下省略)」
筆者注:ただし、古語「お天道様」に対するものを「の(ん)のさま」と考える点で、亀井氏の考え(p132の図式)とは違っています。
さて、このように「ののさま」はもと太陽と月の両方を指していたこと、そしてその後「月」のみを指すようになったことから、「ののさま」にたいして、次のような語義分化と語義縮小を考えることができます。
「ののさま」の語義分化:太陽/月
「ののさま」の語義縮小:太陽と月→月
ところで太陽も月もどちらも発光天体であることから、「ののさま」の古い語義を発光天体と考えると、この発光天体にたいして次のような語義分化と語義縮小を考えることができます。
語義分化:発光天体→太陽/月
語義縮小:発光天体→月
ここで発光天体の語義分化と語義縮小を考えるために、琉球の古典『おもろさうし』と『混効験集』にみられる古語「シノ」「シナ」をみてみることにします。村山氏の本から重引しそれをまとめると、次のようになります。(村山 1988:209)
『おもろさうし』:
「照ル シノ」-「御月之事」
マ ミヤ シナ マ ミヤ
「照ル シナノ 真庭」−「照る太陽の真庭」(真庭は神祭の場所)
『混効験集』(1711年):
てるかは−御日の事
てるしの−右に同(筆者注:右とは上のこと。つまり「太陽」)
これらの古語から「シノ」は「太陽」と「月」の両方を、シナは「太陽」のみを指していることがわかります。そしてこの「シノ」と「シナ」の語義の違いから、村山氏は「シノ」に「光」・「発光天体」の語義を考えられました。(村山 1988:209/村山 1993:82)そこで村山氏のこの考えにしたがうと、「シノ」「シナ」の語義を次のようにまとめることができます。
「シノ」 :発光天体(太陽と月)
「シナ」:太陽
ところで先ほど「ののさま」の古い語義を発光天体と考え、それが「お天道様」と「ののさま」に語義分化したと考えました。そこで琉球方言の「シノ」の古い語義を発光天体と考えたうえ、同じように発光天体の語義分化と語義縮小を考えると、次のようになります。
語義分化:発光天体→太陽/月(「シノ」)
語義縮小:発光天体→太陽(「シナ」)
*村山氏の語義変化は「シナ」→「シノ」は間違っています。(村山 1988:210)
ところでここまでの考察でわかったように、本土方言と琉球方言の両方に発光天体の語義をあらわす語彙があること、そしてそれにたいして語義分化と語義縮小がみられることから、本土方言と琉球方言の発光天体、そしてそれからの変化を、次のように比較をすることができます。
発光天体 「太陽」 「月」
本土方言:「ののさま」----→「お天道様」/「ののさま」
琉球方言:「シノ」--------→「シナ」 /「シノ」
ところで発光天体である本土方言の「のんの様」は「ノ」の重複と撥音「ン」からできていると考えられます。そしてこの撥音「ン」は先にみたように鼻母音からの音韻変化(C>CV)と考えることができるので、「のんの様」の語基をnと考えることができます。つまりこの考えは、次のようにあらわすことができます。
nn(>non>)nono(sama)
*はじめの鼻母音が消失したものは「のんの」。前後両方とも鼻母音が消失したものは「のの」。前後両方の鼻母音が鼻音化したものが「のんのん」。
さて琉球方言でも発光天体を「シノ」と考えることができるので、ここでも「シノ」の語基をnと考えると、「シノ」への音韻変化を次のように考えることができます。
si+n>sino
*siは接頭語。siについてはのち考察します。
とりあえずここまでの考えをまとめると、次のようになります。
「のんの様」:nn(>non)>nono(sama)
「シノ」 :si+n>sino
*発光天体の語基をnと考えてあります。
ここまでの考察によって発光天体に対して語基nを引き出すことができたのですが、この語基nとoteto:sama(お天道様)とはどんな関わりがあるのでしょうか。(この問題を考えるためには上代特殊仮名遣いについての知識が必要です。これについてなじみのない方は上代特殊仮名遣いをみてください。より詳しくは橋本進吉 1980:13-120)。
ところで万葉仮名の使いわけから、奈良時代の母音エには甲類と乙類の二つの異なった音があったと考えられています。そしてこの母音エをもつ言葉には次のような特徴がみられます。(大野 1978:195)
「…エ列音は甲類も乙類も言葉のはじめに出てくることが非常に少ない。……(中略)……ヤマトコトバの中でエ列音で始まるものはきわめて少ない。エ列音は多くは語中・語尾に現われるものである。……(以下省略)」
このようなエ列音の特徴から、「お天道様」の古音ttに出てくる音も新しいと考えることができます。また「日本語では二つの母音が連続すると融合して別の母音をつくることがあった」(大野 1978:185)ので、ここでaiとoiの音韻変化をみてみることにします。(大野 1978:185)
「…大概taigaiが[te:ge:]に、接頭語のドとイカイ(巨大)の結合doikaiが[dekai]になる。つまりai→e:,oi→eという変化が生じた。」
*融合母音については甲・乙類の音韻変化をみてください。
上の音韻変化にみられるように、日本語には融合母音をつくることがあるので、oi→e(ただし甲類のエ)の音韻変化を仮定すると、「お天道様」の古音ttへの変化を次のように考えることができます。
tt>tt>(>tetau>tento:)
ところで本土方言には次のようなt/s両形(t→sの変化を仮定して、s音化と呼ぶことにします)やs音消失という現象が見られます。(それぞれ上代語辞典編修委員会編 1985:635/601、p361/89)
t s
《s音化》 :フタグ−フサグ(「塞ぐ」)
《s音消失》:シネ---イネ(「稲」)
上のような音韻変化がみられるので、ここでs音化(t>s)とs音消失(s>)の音韻変化を仮定すると、ttへの変化は次のようになります。(ここでは喉頭音消失の変化は省略してあります。)
ttt>tst>tt(>tt>tetau>tento:)
*ttへの変化がttt>tst>ttであるかttt>ttであるか、今はどちらであるかわかりません。それでs音化の可能性を残すため、とりあえず上のように考えておきます。
上のような音韻変化を考えることによって、「お天道様」のより古い音をtttと考えることができました。そしてこのようにして考えだした古音tttの語基をtと考えることにします。そうするとこの語基tと先に発光天体から引き出した語基nとを、次のように比べることができます。
「お天道様」 発光天体(「のんの様」)
語基:t /n
さてこのように考えてくることによって、「お天道様」の古音tttと「のんの様」の古音nnから語基tとnをそれぞれ引き出すことができました。そして発光天体の語義が「太陽」と「月」に語義が分化しているので、このことを考え合わせ、次のような音韻変化と語義の変化を考えることができます。
一次語基 二次語基
t/n------→t(「太陽」)/n(「月」)