「ハ行音の問題」について
(1999.05.03 更新)
このページは「ハ行頭子音の問題」のつづきです。
問題1
5.ハ行頭子音の変化について
6.再びハ行頭子音の変化について
7.三たびハ行頭子音の変化について(1999.05.27 更新)
通説:p→F→h(ただし、「ヒ」のみはhからに変化した)
*p:両唇閉鎖音、F:両唇摩擦音、h:声門摩擦音、:硬口蓋摩擦音
さていまハ行頭子音の変化をXV→Fu/i/ha,he,hoのようにあらわしたのですが、この問題についてこれから考えることにします。そのために普通には意識することがない無気音と有気音の違いについてみることにします。日本語にみられる無気音と有気音の違いとは次のようなものです。(小松 昭和56:134)
「…メモ用紙のような紙片を唇のすぐ前に持ってきて、「タカイ」「カタイ」と言ってみると、「タカイ」の[ta]では、出た息のために紙片が揺れるが、「カタイ」の[ta]では、その紙片がほとんど動かない。… (以下略)」
上の引用でわかるように、日本語には息が弱く出て紙片が揺れない発音と息が強く出て紙片が揺れる発音の二つがあります。そして息が弱く出て紙片が揺れないほうを無気音、息が強く出て紙片が揺れるほうを有気音とすると、日本語にも無気音と有気音の違いがあると考えることができます。しかし上にみられる日本語の無気音と有気音の違いは中国語などにみられる無気音と有気音の違いよりは小さく、そしてなによりも日本語を話すうえで語の識別に役立っていないように見えるため、私達はこの違いをふつう意識することがありません。しかし私達が無気音と有気音の違いを持つ中国語などを習ったときや、無気音と有気音の違いを持つ外国人に日本語の発音を教えたときにはその違いを感じることができます。たとえば無気音と有気音の違いを持つ言語を話す人が「高い」「硬い」をそれぞれthakai/khataiのように同じ「タ」「カ」であっても違ったローマ字綴りをするのをみたり、「高い」の発音はtakaiなのかthakaiなのかときかれたりした時にそれを感じることができます。
ところで上にみられる日本語の無気音と有気音との違いはhの有る無しを用いて、次のように比較することができます。
無気音(CV):有気音(ChV)
*Cは子音、Vは母音。たとえばthakai[takai](高い)、khatai[katai](硬い)。右肩のhは有気の印。
*追記(2005.9.7):この違いは小松氏の本を読んではじめて知ったことですが、柴田氏の著書(柴田武 1987:109)にこの点について記憶すべき記述があるので、以下それを引用します。「日本語のカ行やタ行の子音が語頭では有気音であるが、語中では無気音になるということ(k‘ata「肩」、t‘aka「鷹」)は、戦時中に日本語教師が東南アジアの学生から指摘されたことである。それまで日本の音声学者や言語学者でこのことに気づいた人はいなかったのではないか。」
注:以前日本語を教えていてこの違いを日本語学習者の「thakaiですか、takaiですか」といった質問から気づいたようにも思うのですが、はっきりしません。―――「いつ、どこで、誰に、どのような単語」でといった詳しいことは思いだせないのですが、「thakaiもtakaiも同じに聞こえたためその質問者が何を質問しているのか全くわかりませんでした。それでいくどか何を質問しているのかその質問者に問い返した記憶があります。(棒線以下の文章を2005.9.8に追記しました)
ところで現在のタ行音には破擦音のチ([ti])・ツ([tsu])がありますが、これらはそれぞれティ([ti])・トゥ([tu])に遡ると考えられています。そこで「高い」と「硬い」にみられる無気音と有気音との違いを古代のカ行とタ行にも考えると、それぞれの語頭と語頭以外の発音は次のようであったと考えることができます。
語頭 語頭以外
カ行:kh- k
タ行:th- t
*ただし、ここでは子音のみの比較をしています。
kは無気軟口蓋閉鎖音([k])。tは無気歯茎閉鎖音([t])。khは有気軟口蓋閉鎖音([k])。thは有気歯茎閉鎖音([t])。
ところでハ行音は両唇閉鎖音p([p])に遡ると考えられ、そのpもカ・タ行と同じ閉鎖音なので、ここで古代のハ行音の語頭と語頭以外にもそれぞれ有気音と無気音の違いを考えます。そしてそう考えるとハ行音の語頭では有気音、語頭以外では無気音であったと考えることができます。また上代から中世にかけて語頭ではハ行頭子音の変化を、語頭以外ではハ行転呼を起こしているので、ここでカ・タ・ハ行の語頭と語頭以外の子音をそれぞれ時代別に比較してみると、次のようになります。
(先史時代) (上代〜中世〜)
語頭 語頭以外 語頭 語頭以外
カ行:kh- k kh- k
タ行:th- t th- t
ハ行:ph- p F以下 f以下
*いま仮にハ行頭子音の変化をF以下、またハ行転呼の変化をf以下としておきます。
さてここからはハ行頭子音の変化を考えます。そのために世界中の色々な言語にみられる破擦化についてみることにします。
破擦化は閉鎖音が破擦音に変化し、「破擦の最後が単なる摩擦音になってしまう」(シュービゲル 1982:97)現象で、「すべての閉鎖音に可能であるが,[t]に最もよく現れ,[t]もしくは[ts]になる。[k]に対応する破擦音は[kx]もしくは[k]で,[p]に対応するものは[pf](少しく場所の移動がある)である。」(シュービゲル 1982:96)このように破擦化はすべての閉鎖音にみられるのですが、日本語では中世以後、タ行の閉鎖音[ti]、[tu]が破擦音チ([ti])、ツ([tsu])に変化したことはよく知られています。
ところで有気閉鎖音athaと破擦音atsaは非常に音が近いことがカイモグラフをみるとわかります。(シュービゲル 1982:70:カイモグラフの図はこちら。athaは図のb、atsaは図のd) このように有気閉鎖音と破擦音の音の近さから、有気両唇閉鎖音ph([p])から両唇破擦音pf([p])への変化を仮定すると、両唇閉鎖音p([p])が両唇摩擦音F([])になる破擦化の過程を次のように考えることができます。
無気両唇閉鎖音 有気両唇閉鎖音 両唇破擦音 両唇摩擦音
(p-------------→)ph------------→pf---------→F
*上の珍しい両唇破擦音pfは沖縄の久高島にみられます。たとえば[paku](箱:中本 1990:212)
ここで通説にみられるハ行頭子音の「フ」の変化をみると次のようになります。(小松 昭和56:251)
「…ほかのハ行音節の子音が[]から[h]に変化しても、「フ」だけはそのままに[u]の状態を保ち続けて現在に至ったとみなすべきであろう。すなわち、[]は唇の音であり、[u]もまた唇の音であるから、[u]が[]を支えて[hu]に変化しなかったということなのである。」
つまり「フ」は他のハ行音よりも唇による影響が強かったため、[u]の状態を保ち続けて[u]や[hu]などに変化しなかったと考えることができます。そこでそう考えるとハ行頭子音のF以下の変化は次のようにあらわすことができます。
1.フ :Fu
2.フ以外:FV1→i/hV2
*Fは両唇摩擦音([])。は硬口蓋摩擦音([])。hは声門摩擦音([h])。V1は母音a・i・e・o。V2は母音a・e・o。
そして先の破擦化の過程をハ行頭子音の変化にあてはめると、ハ行頭子音の変化は次のように考えることができます。
pV→phV→pfV→FV→V/hV
*p・ph・pf・F・・hは上に同じ。Vは母音a・i・u(平唇のウ)・e・o。
*それぞれの変化は上の1、2のように読みかえること。
ところでハ行頭子音の変化を上のように考えたのですが、少し問題があります。そこで再びファ行音からハ行音への変化を橋本氏の表記と一般表記(IPA)であらわすと、次のようになります。
ファ行音 ハ行音
橋本氏の表記:X→[V]---→[V]
IPA表記 :X→[V]---→[ha]・[i]・[u]・[he]・[ho]
*Vは母音([a]・[i]・[u]・[e]・[o])。はそれぞれの母音Vの無声化音([]・[]・[]・[]・[])。但し、uは平唇のウ([])。はその無声化音([])。Xはファ行音([V]・[V])に変わる前の音。
ところでフを除くファ行音([V])からハ行音([V])への変化を考えると、先の小松氏の考えにみられるように口の開きが丸くなかったため唇の締まりがゆるみ、そのあとに発する母音Vにひきずられて[V]へと変化したと考えることができます。しかしフはファ行音でもハ行音でもどちらも[u]で変化をしていないので、もしこの変化を認めようとすると、フはハ・ヒ・ヘ・ホよりも口の開きが丸かったため唇の締まりがゆるまず[u]にとどまり変化しなかったと考えなければなりません。(これが先ほど引用したところの通説です。)しかし先ほど両唇閉鎖音pが両唇摩擦音Fになる破擦化を考え、その変化の途中に両唇破擦音pfを考えたので、ハ行頭子音の変化をファ行音からハ行音への変化と考えずに両唇破擦音pfからハ行音への直接の変化であると考えることにします。そうすると両唇破擦音pfからハ行音への変化を次のようにあらわすことができます。
橋本氏の表記:[pfV]→[V]→[V]
*V・は上に同じ。pfは両唇破擦音[p]。
この変化式はわかりにくいので、一般的な表記に改めると次のようになります。
フ :pfu---→Fu
ヒ :pfi----→i
ヒ・フ以外:pfV---→hV
*pfは両唇破擦音([p])。Fは両唇摩擦音([])。は硬口蓋摩擦音([])。hは声門摩擦音([h])。Vは母音a、e、o。uは平唇のウ([])。
つまりハ行頭子音はpfへ変化したあと、その後単なる摩擦音になってしまう破擦化を起こしたのですが、フだけは口の開きが丸かったため(円唇性が強かったため)唇の締まりがゆるまず[u]にとどまり変化しなかったのです。そしてハ・ヘ・ホは円唇性が弱かったため一挙にha・he・hoに変化したのですが、ヒは口蓋化を起こしたため(Fiを通りこして)hiにならずiになったと考えることができます。(注意:橋本氏の表記でみられるようにハ行頭子音が[V]→[V]のように変化したことを破擦化や円唇性、また口蓋化といった言葉を使って解釈すると上のようになり、その変化はpfV→Fu/i/hV(Vはa,e,o)とあらわすことができるということです。)
このように考えてくるとハ行頭子音(語頭のハ行音)の変化は次のようになります。
p→ph→pf→F//h
*pは無気両唇閉鎖音([p])。phは有気両唇閉鎖音([p])。pfは両唇破擦音([p])。Fは両唇摩擦音([])。は硬口蓋摩擦音([])。hは声門摩擦音([h])。
*但し、ハ・ヘ・ホはそれぞれ[ha]・[he]・[ho]、ヒは[i]、フは[u](uは平唇のウ([])。
ここでハ行頭子音(語頭のハ行音)の変化に対する通説と新説をならべておきます。
通説:p→F→h→
新説:p→ph→pf→F//h(近畿地方周辺で→hと変化)
*再構形の印(*)はここでは、またこれからもあえてつけません。
*お断り
ここまで考察を進めてきて数日前に気づいた点があります。なぜ近畿地方周辺の方言(昔の都なまり)は関東地方などの方言(昔の東国なまり)よりも早く非口蓋化してi→hiの変化を起こしたのでしょうか。この問題に答えようとしたのですが、更新が大幅に遅れていますのでとりあえずここまでとします。次回はこの問題から解いていくことにします。