「日本書紀歌謡次清音字の問題」
(2011.9.8 更新)
このページは「上代のカ行音は有気音だったのか?-日本書紀歌謡α群中国人述作説から考える」をのせています。
1.日本書紀歌謡次清音字の問題
2. 日本書紀歌謡喉音字の問題
1.はじめに
昨秋森博達氏の『日本書紀の謎を解く 述作者は誰か』(中公新書)を読みかえしました。森氏は従来の日本書紀歌謡の語句などの偏在による区分論の限界に気づかれ、その限界を超える方法として中国語音韻による区分を考えられてきました。そして以前から日本書紀歌謡の「仮名字種の偏在は漢字音の相違に基づいて」(森 1999:71)いて、原音(中国音)によって表記されているα群(14−19巻と24−27巻)と複数の字音体系に基づいているβ群(1-13巻と22・23巻)の2群に区分される(森 1999:78,89-90)ことを明らかにされています。この新著ではα群の述作者の特定にまでいたっている点で森氏のライフワークといってよいものとなっています。
ところでこの中国語音韻による区分論には森氏が不問にされている大きな問題があります。そこでこれから森氏が作成されている資料(1)を用いて、日本書紀歌謡の次清音字と喉音字の二つの問題(2)を考えていきたいと思います。
2.次清音字の問題
中国語の音節は声母(頭子音)・韻母(介音+主母音+韻尾)・声調(平・上・去・入の四声)の三類五要素に、また声母は発音部位によって「唇・舌・牙・歯・喉」の五音に大別され、発音方法の相違によって「全清(無声無気音)・次清(無声有気音)・全濁(有声音)・次濁(鼻音等)」に分類されています(森 1999:58-61)。そこでまず無声有気音とみられている次清音字の問題を考えることにします。書紀歌謡に現われた次清音字の表記(森 1999:113, 118, 122,124)(3)を声母・群別にみると、次表のようになります。
五音 |
牙音 |
歯音 |
舌音 |
唇音 |
||||
行 |
カ行 |
サ行 |
タ行 |
ハ行 |
||||
牙音 |
歯頭音 |
舌頭音 |
重唇音 |
軽唇音 |
||||
α群 |
16 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
β群 |
75 |
14 |
1 |
0 |
54 |
1 |
65 |
19 |
上表によればα群ではカ行に次清音の渓母字khが16例、ハ行に重唇音滂母字phが1例みられますが、β群と比べるとカ行を除き次清音字がほとんど見られないことがわかります。そこで森氏はこのα群とβ群の次清音字の出現数の違いから、α群は原音(中国音)で表記されていると考えられました。しかし素朴な疑問ですが、カ行の渓母字で表記された音は本当に無声有気音khだったのでしょうか。もし渓母字で表記された音が無声有気音khでなかったならば、森氏の「α群は中国人によって述作されている」という結論も変わってくるかもしれません。そこで上代のカ行音がどのような音であり、その後現在のカ行音にどのように変化したのかを知るために、現在のカ・タ行音の気音の強さ(小松 昭和56:134)をみてみることにします。
上の観察から語頭のタでは気音が強く、語中のタでは気音が弱いことがわかります。そこで現在のカ・タ行音には語頭と語中尾とでは気音の強さに違いがあり、語頭では弱い有気音kh・thが、語中尾では無気音k・tがあらわれている(服部 1951:138)と考えることができるでしょう。このように現在のカ・タ行音にはこのような違いがみられるので、三世紀に書かれた「倭人伝」の音訳語(4)にあらわれた全清音字と次清音字の表記数(5)をみると、次表のようになっています。
唇音 |
舌音 |
歯音 |
牙音 |
|||||||||
舌頭音 |
舌上音 |
歯頭音 |
正歯音 |
|||||||||
全清音 |
幇母(p) |
14 |
端母 (t) |
8 |
知母 |
1 |
精母 (ts) |
2 |
7 |
見母 (k) |
16 |
|
次清音 |
滂母 |
0 |
透母 |
0 |
徹母 |
0 |
清母 |
0 |
0 |
渓母 |
0 |
*歯上音の全清音字(荘母t)と次清音字(初母th)は表記例がなく、上表では省略。
上表から「倭人伝」では次清音字が一つも用いられていないことがわかります。そして3世紀の梵漢対訳を見ると、「梵語の無声
3世紀頃 |
上代(日本書紀歌謡) |
現在 |
|||||
無声無気音 |
無声無気音 |
無声有気音 |
無声無気音と無声有気音 |
||||
声母 |
α群 |
β群 |
声母 |
α群 |
β群 |
||
すべての語頭・語中尾@ |
見(k) |
281 |
200 |
渓(kh) |
16 |
75 |
語頭は有気音(kh,th,A) |
精(ts) |
16 |
54 |
清(tsh) |
0 |
14 |
||
荘(t) |
0 |
0 |
初(th) |
0 |
1 |
||
67 |
75 |
0 |
0 |
||||
端(t) |
114 |
221 |
透(th) |
0 |
54 |
語中尾は無気音(k,t,B) |
*日本書記歌謡の表については注3。
*@:「倭人伝」中の語彙。A:ハ行頭子音はp→→h(注7)、B:ハ行転呼音(語中尾)はpV→wV→Vの変化(小松 昭和 56:291-2)。
上表からわかるようにカ・タ・ハ行の語頭子音は3世紀頃から上代にいたるあいだに一部有気音化し、その後カ・タ行の語頭子音すべてが有気音化したと考えることができるでしょう。
3.ハ行頭子音の変化を考える
さてここまでカ・タ・ハ行音の気音の強さの問題を考えてきたのですが、それではなぜカ・タ・ハ行音の語頭は上代前後から有気音化したのでしょうか。そこでこの問題を解くためにハ行頭子音の変化を考えることにします。
「ハ行子音は、文献時代以前に両唇破裂音の[p]であったが、すでに奈良時代には両唇摩擦音の[]になっており、さらに江戸時代に入って声門摩擦音の[h]に変化した」(小松 昭和56:249)(7)と考えられています。ところでタ行のチ・ツは中世には破擦化してそれぞれti→ti、tu→tsu(小松 昭和 56:125)のように変化しています。そこで「破擦の最後が単なる摩擦音になってしまう破擦化」(M.シュービゲル 1982:97)がハ行頭子音にも起きたと考えると、p(無気両唇閉鎖音)→p(両唇破擦音)(8)→(両唇摩擦音)のように変化したと考えることができます。そして有気閉鎖音athaと破擦音atsaのカイモグラフがよく似ている(M.シュービゲル 1982:70)(9)ことから有気閉鎖音athaから破擦音atsaへの変化を考えることができます。そこでこのような破擦化(th→ts→s)をカ・サ・タ・ハ行の頭子音にも考えると、次のような変化を考えることができます。
無気閉鎖音 有気閉鎖音 破擦音 摩擦音 |
カ行:k---------→kh(10) |
ハ行:p--------→ph----------→p(上代頃)---------→//h |
*通説によればサ行のシ・シェは口蓋化を起こし、i・e(のちse)に変化。 タ行のチ・ツは中世にti・tsuに変化。ハ行頭子音は平安時代以降pV→V→ha/i/u/he/hoと変化。@村山 1988:18-9。
ところでカ・タ・サ・ハ行の頭子音の変化をこのように考えたのですが、語頭の無気閉鎖音(p・t・k)から有気閉鎖音(ph・th・kh)への変化はどのようにして起こったのでしょうか。この問題を解く鍵が琉球方言にあります。奄美の喜界島塩道方言では「[pun](舟)」「[kubi](首)」「[tum](爪)」(ともに中本 1976:346)のように語頭のウ段に本土方言にみられる有気音化が見られず、喉頭化音が見られます。そこでこの本土方言と塩道方言の頭子音の違いを矛盾なく説明するために、上代以前の本土方言においてもハ行頭子音はp→pの変化を起こしていたと考えてみます。そう考えると、声門閉鎖音の閉鎖が一瞬早く解除されることにより、はっきりした声門摩擦音hが現われ、その気音hの影響で無気喉頭化音pが弱い有気閉鎖音phに変化(M.シュービゲル 1982:14,70,74)したと考えることができるでしょう。つまりハ行頭子音は塩道方言のウ段で古形pを保ち現代に至っているのに対して、本土方言では上代頃までにp→ph→pの変化を起こしていたと考えることができます。そこでこのような有気音化をカ・タ行の頭子音にも考えると、それぞれk→k→kh、t→t→thの変化を起こしていたと考えることができます。つまりこのような変化を考えると、日本書紀歌謡のカ行の語頭に次清音渓母字(kh:無声有気軟口蓋閉鎖音)がみられる理由をうまく説明できるでしょう。
4.カ行の語中尾の変化を考える
さてここまでの考察からカ行の一部の語頭は上代以前に無気喉頭化音k から一部有気音化してkhになったと考えられるのですが、ではカ行の語中尾はどのように変化したのでしょうか。そこで日本書紀歌謡α群にみられる次清音字表記を語頭・語中尾と品詞・声母・母音別にわけてみる(11)と、次のようになります。
語頭:溪母(kh)
表記 |
声母 |
巻・番 |
日本書紀歌謡 |
語釈 |
類別 |
名詞 |
可(kh) |
24-110 |
烏智可@能 |
彼方(をちかたの)の |
ア |
名詞 |
ト(kh) |
17-98 |
ト那能倭倶吾伊 |
毛野(けな)の若子(わくご)い |
乙類 |
助動詞(止) |
啓(kh) |
17-96 |
阿開A啓梨倭蟻慕 |
明けにけり我妹(わぎも) |
甲類 |
語中尾:溪母(kh)・譬母(ph)
名詞 |
棄(kh) |
17-96 |
麼左棄逗B |
眞柝葛(まさきづら) |
甲類 |
開(kh) |
17-96 |
阿開A啓梨倭蟻慕 |
明けにけり我妹(わぎも) |
乙類 |
|
17-97 |
駄開能 |
竹(たけ)の |
|||
17-97 |
以矩美娜開余嚢開 |
い組竹(だけ)節竹(よだけ) |
|||
17-97 |
以簸例能伊開能 |
磐余(いはれ)の池(いけ)の |
|||
動詞(用) |
企(kh) |
15-83 |
儺弭企於己C智 |
靡き起き立ち |
甲類 |
17-96 |
多多企阿藏播梨 |
たたき交(あざは)り |
|||
17-97 |
符企儺須 |
吹き鳴す |
|||
27-128 |
以喩企波々箇D |
い行き憚る |
|||
譬(ph) |
14-75 |
婀枳豆波野倶譬 |
蜻蛉(あきづ)はや齧(く)ひ |
甲類 |
|
動詞(已) |
凱(kh) |
15-83 |
寐逗愈凱磨 |
水行けば |
乙類 |
形容詞(体) |
企(kh) |
14-77 |
與慮斯企野麼能 |
よろしき山の |
甲類 |
*@:木偏に、旁は「施し」の方偏を除いた字。A:人偏に爾。B:口偏に羅。C:こざと偏に、旁は「施し」の方偏を除いた字。D:尸(しかばね)に婁。
*用:連用形。止:終止形。体:連体形。已:已然形。「ト那能倭倶吾伊」は「氣E能和區呉能(けツのワクゴの)(23巻105番)とも。*E:草冠に免。
ところで前節でカ行の語頭はk→k→khのように変化したと考えましたが、上表をみると語頭だけでなく語中尾にも「企」「棄」などの溪母字や「譬」の滂母字が見られます。そこで語中尾も語頭と同じように有気音化(k→k→kh)したと考えると、現代のカ行の語中尾が無気音であることからカ行の語中尾はk(三世紀以前)→k(上代以前)→kh(上代)→k(現代)のように変化したと考えることになります。しかし上代の語中尾の子音kh(有気音)が再び先祖返りして、現在のk(無気音)になったと考えることには少々無理があるのではないでしょうか。そこでそのような無理な変化を考えるかわりにk→k→x(上代)→k(現代)のような変化を考えてみます。つまり日本書紀歌謡の次清音溪母字khで表記されていた語中尾のカ行子音は有気音khではなく、有気音に近い何か、有気音ではないけれども有気音に聞きなされた音(その子音をx)であったと考えます。そう考えれば溪母字khで表記された語中尾の子音khが先祖返りをして、現在の無気音kになったと考える必要もなくなります。そしてこのように考えた有気音ではない子音xが有気音khに聞きなされる可能性とその子音xがその後無気音kに変化する可能性、この二つの可能性があったならば日本書紀歌謡のカ行語中尾の子音が溪母字khで表記されていることを矛盾なく説明できるでしょう。
ではこのように考えた有気音khではないけれども有気音に聞きなされた子音xとはどんな音だったのでしょうか。その秘密を解く鍵が口蓋化と摩擦噪音にあります。そこで次にそれらについてみてみることにします。
5.口蓋化と摩擦噪音について
口蓋化とは「第二調音として,前舌面が硬口蓋に向かって[j][i]の場合のように,或はそれに近くもち上ること」(服部 1951:134)で、たとえば日本書紀歌謡2巻4番にみえる「播磨都智耐利譽」(浜つ千鳥よ)の「智」(12)は中世に破擦音のtiに変化しています。さてこの口蓋化は故伊波普猷氏の「琉球語の母音組織と口蓋化の法則」として夙に知られています。そこで首里方言についての伊波氏の考え(伊波 1974:23)を次にみてみます。
「eはiにoはuに合併し、従つて所謂五十音図中、エ列はイ列にオ列はウ列に合併して、しかもエ列から来た子音が、原価を保存するに反して、在来のイ列の子音は、口蓋化(若しくは湿音化)するので、さうした所に、今は区別し難くなつてゐる此の両母音の間に、かつて幾分開きのあつた痕跡が見えてゐる。」
そこで中本氏の資料(13)からこの口蓋化が琉球各方言でどのように見られるのかをみてみることにします。
上代特殊仮名遣い |
キ甲類 |
キ甲類 |
キ乙類 |
ウ類 |
ケ乙類 |
オ甲類 |
例 |
|
肝 |
月 |
口 |
毛 |
腿 |
奄美喜界島塩道方言(14) |
- |
ci: |
mumu |
|||
奄美名瀬方言 |
ki |
kimo |
k |
momo |
||
奄美与論島茶花方言 |
kipara |
kimu@ |
ci: |
mumu |
||
沖縄奥武方言 |
ki: |
mumu |
||||
宮古平良方言 |
k |
tsmuA |
futs |
pgi |
mumuni |
|
八重山石垣方言 |
k |
[kmu]B |
tsk |
Fts |
ki: |
mumu |
与那国祖納方言 |
nnani |
チム[cimu]C |
ti: |
ti: |
ki: |
mumu |
上表から奥武方言では「衣」(琉球方言で「着物」の意。キ甲類)や「月」(キ乙類)が口蓋化してtiに変化したのに対して、「毛」(ケ乙類)が口蓋化しないでki:であるという違いが見られます。また塩道方言では「腿」(モ甲類)がmuに変化したのに対して、「口」(ク)が喉頭化無気音のkuであるという違いが見られます。このように奥武方言などのイ列とエ列では口蓋化の有無で、また塩道方言のウ列とオ列では喉頭化の有無で発音に差がでているのがわかります。
ところで上に例としてあげた母音イの影響で子音が口蓋化するだけでなく、先行母音イの影響によって後続子音が口蓋化する(15)こともあります。そこでまた各方言(16)をみてみると、次のようになっています。
例 |
息 |
いくら |
板 |
いつ |
上代特殊仮名遣い |
キ甲類 |
ウ類 |
ア類 |
ウ類 |
奄美名瀬方言 |
ik |
kjasa |
ita |
|
奄美与論島茶花方言 |
iki |
itassa(17) |
||
沖縄奥武方言 |
ita |
|||
宮古平良方言 |
ik |
iska |
its |
|
八重山石垣方言 |
ik |
iko:bi |
ita |
its |
与那国祖納方言 |
iti |
igurati |
ita |
ところで宮古(大浦)方言の「は強い摩擦噪音をともな」(中本 1976:243)(18)っています。そこでこの摩擦噪音についての故伊波氏の言葉(伊波 1974:24)を、次にみてみます。
「東北及び大島・徳之島のはそれほどでもないが、宮古・八重山のは、舌端のみならず、舌の前縁が著しく口蓋に近づく為に、動もすれば摩擦の響きを伴ふもので、特に破裂音の子音と合して音節を形くる場合には、ps・bz・ks・gzといつたやうに、s zの響くのを感ずる。」
また次のように東北方言(服部 1951:97)にも摩擦噪音がみられます。
「東北方言のあるものでは「キ」の母音が中舌的な[]であるが, その舌端の調音は上の[]に近いので, 先立つ[k]の氣音によって[s]に近い噪音を生じる。それを[ks]のように表わすことがある。」
そこで東北各方言の摩擦噪音(19)の特徴をみてみると、次のようになっています。
方言名 |
引用 |
岩手方言 |
「/ki/・/gi/は、中北部地域ではわずかに口蓋化・摩擦化して[k]・[g]となる傾向がある。しかし、それほど目立つものではない。南部地域は、この傾向がかなり目立ち、[k]・g]となることが多い。」 |
秋田方言 |
「直前の子音を口蓋化する程度は弱いと言えるが、なかには/ki/・/gi/・/hi/などに強い口蓋化が認められる。」 |
山形方言 |
「〔キ〕は口蓋化してkのような発音になるので、他地方人にチと聞き誤られる。(誰でも、本人は正しいキの発音をしていると信じている。私もキンイロ(金色)と言ったつもりが、チンイロと言ったと笑われた。) 」 |
宮城方言 |
「[ki]も[ki]のように口蓋化する(「北」[kta]「金庫」[knko] |
*:歯茎硬口蓋摩擦音//か。以下、同じ。
ここで日本列島の両端にみられる摩擦噪音(20)を比較してみると、次のようになります。
共通語 |
秋田五城目町方言 |
宮古多良間方言 |
奄美名瀬方言 |
沖縄奥武方言 |
kii(岸)/kiri(霧) |
[ks](岸) |
ks:(霧) |
kiri(霧) |
cisi(岸)A |
kjo:(今日) |
kju:(今日) |
kju:(今日) |
||
titi(乳) |
[tsts(乳) |
ts(乳) |
||
ige(ひげ)/idza(膝) |
[~da](膝) |
psgi(ひげ) |
igi(髯) |
Fidi(髯) |
@:宮城方言(飯豊ほか 昭和57 :340)。A:首里方言(国研編 昭和51:164)。c:[t]。
上の引用と例から東北方言の語頭のキ・ギ(ヒ)や多良間方言の語頭子音k,t,pには摩擦噪音が、名瀬方言や奥武方言の頭子音k,tには口蓋化がみられることがわかります。また本土方言のキは有気音khにとどまっていますが、硬口蓋化していることは先にみたとおりです。そこで語頭の口蓋化の強弱の違いを比較してみると、次のようになります。
口蓋化が強い |
沖縄奥武方言 |
|
摩擦噪音 |
宮古多良間方言 |
ks,ts,ps(摩擦噪音) |
岩手・秋田・山形・宮城方言 |
k,k(摩擦噪音) |
|
口蓋化が弱い |
共通語 |
kh(弱い口蓋化) |
*以下、摩擦噪音はksのように表記します。
このように強弱の違いはあるにせよ口蓋化(摩擦噪音)はすべての方言にみられることがわかります。そこでこれから日本書紀歌謡の語頭にだけでなく、語中尾にも次清音字がみられる理由、つまり語中尾が有気音と聞きなされた理由をこれから考えることにします。
6.語中尾の子音はなぜ有気音と聞かれたのか
まず日本書紀歌謡の次清音字表記をα・β群別と母音別(森 1999:113, 118, 122, 124)(21)にわけてみると、次表のようになっています。
行 |
声母 |
ア列 |
イ列 |
ウ列 |
エ列 |
オ列 |
小計 |
|||
甲類 |
乙類 |
甲類 |
乙類 |
甲類 |
乙類 |
|||||
カ行 |
渓母 |
1/2 |
7/16 |
-/2 |
-/42 |
1/- |
7/9 |
-/4 |
16/75 |
|
サ行 |
清母 |
-/14 |
-/14 |
|||||||
初母 |
-/1 |
-/1 |
||||||||
昌母 |
-/- |
|||||||||
タ行 |
透母 |
-/54 |
-/54 |
|||||||
徹母 |
-/1 |
-/1 |
||||||||
ハ行 |
滂母 |
-/55 |
1/9 |
-/1 |
1/65 |
|||||
敷母 |
-@/1 |
-/17 |
-/1 |
-/19 |
||||||
小計 |
1/73 |
8/26 |
-/2 |
-/113 |
1/- |
7/10 |
-/5 |
17/229 |
*左側がα群、右側がβ群の表記数。類別ないものは甲類へ計数。
*ア列敷母幡字2例(@)は除く(注3)。
上表の母音別の表記数をみると、次清音字表記は上代特殊仮名遣いの甲類のイ、またアやウの語尾をもつものに多くみられることがわかります。そこでまず日本書記歌謡13巻69番の「志■那企貮」(■:口偏に多)を例に、連用形語尾(甲類キ)がなぜ次清音渓母企字で表記されたのかを考えることにします。
そのための準備として、上代以前の終止形をnaku(22)、終止形に古代助詞i(23)が付加されて連用形ができたと考え、さらに上代特殊仮名遣いの乙類イはui(大野 1978:197-8)であったと考えます。このように考えると、連用形語尾母音は甲類であることが知られているので、四段活用の「泣く」の連用形は、次のように変化したと考えることができます。
naku+i(助詞)→nakui(乙類のキ)→naki→naki(甲類のキ) (24)→naki(現在のキ)
ところで前節でみたように東北方言の語頭のキは摩擦噪音化しているので、上代の連用形nakiの語尾キが摩擦噪音化していた(25)と考えると、その語尾キはki→ki(上代以前)→ki(上代)→ki(現代)のように変化したと考えることができます。するとその連用形nakiの語尾kiは摩擦性の気音が強かった(26)ため、日本書紀歌謡の表記者には有気音khiのように聞きなされたのではないかと考えることができます。そこでこのような変化を連用形語尾キに考えると、日本書紀歌謡の「志■那企貮」(■:口偏に多)にあらわれる語尾キが次清音溪母企字で表記された理由をうまく説明できるでしょう。ところで連用形語尾キの変化をkui→ki→ki→kiのように考えることは記号遊びのように感じられるかもしれませんが、このように考えることによって今まで謎とされてきたイ音便の変化を解きあかすことができます。
そこで次にイ音便の問題を考えることにします。
7.イ音便の謎を解く
イ音便はよく知られているように連用形語尾のキ・ギ・シなどがイに変化した現象で、「書きて」が「書いて」のように変化したことを示すためにkakite→kaiteのように書かれ、子音kが消失した変化(27)と説明されることがあります。しかし母音が消失する無声化ではなく、子音kが消失する音韻変化は言語学のどんな教科書にものっていない、とてもありえない変化です。しかしそれでも「書きて」が「書いて」のように変化したことは間違いのない事実なので、このとてもありえない変化が現実に起きてしまったことはどのように考えればよいのでしょうか。
前節で連用形語尾キは日本書紀歌謡の表記者に有気音と聞きなされ、それゆえに次清音渓母企字で表記されたと考えました。そこで上代の連用形語尾キが喉頭化摩擦噪音のkiであると考えると、その後平安時代に入ってからi(喉頭化硬口蓋摩擦音)に変化した(28)と考えられます。そして現代のハ行音は「対応する有声母音の前に立つ無声の母音と記述することもできる」(M.シュービゲル 1982:95)(29)ので、iはiと考えることができます。そしてその後i(=i)の前のほうの無声母音が消失して、江戸時代までにi(30)になり、その後声門摩擦音(//)が消失して、現代のiになったと考えることができます。そこでこのような変化の途中、平安時代初期に存在したi(=i)はその当時の音のなかで一番近い音が
i(イ)であったため、イで表記されたと考えることができます。
ここまでの説明ではわかりにくいので、当時の表記されていた各音の変化を比較すると、次のようになります。
上代以前 上代 平安時代 江戸時代 現代 |
|
イ音便のキ |
ki----------→ki(キ)---→i(イ)--------→i(イ)------→i(イ) |
ア行のイ |
i-----------→i(イ)-----→i(イ)--------→i(イ)------→i(イ) |
語頭のヒ |
pi----------→phi(ヒ)-----→i(ヒ)---------→i(ヒ)-----→i(ヒ) |
語中尾のヒ |
pi----------→pi(ヒ)----→i(イ)--------→i(イ)------→i(イ) |
*( )内はその時代の表記(上代の漢字表記は片仮名で代用)。上代の語頭、語中尾のヒはそれぞれphi・piと考えています。上代のイはi。
このように連用形語尾キを摩擦噪音のkiと考えると、音声学的にありえない子音kの消失とみえるイ音便の変化を矛盾なく説明できるでしょう。
ここまでの考察をまとめると、次のようになります。
1. 語頭(有気音化):k→kh。t→th。p→ph。
語頭キの変化:ki→ki(見母字)→khi(渓母字)。
2. 語中尾(摩擦噪音):ki→ki(渓母字)→ki→ki(弱い口蓋化)。
イ音便の変化:ki→ki→ki(上代)→i(平安)→i(中世)→i(現在)
*なお、語末のアや終止形ウにも次清音字表記がみられますが、今回は省略。
【注】
1.日本書紀歌謡は森氏の「作業用原本」(森 1991:167-185)より引用し、歌謡の巻数・番号を表示。
2. 有坂倭音説の3論拠(喉音[h-]系統字(カ行)・次清音字(カ行を除く)・[麻二]韻字(<明>母字を除く)はα群には該当せず(森 1999:76-82)。その3論拠の残りひとつは前舌a韻(麻韻二等)の不使用。
3. 濁音行は除く。森氏のk‘・t‘・p‘などの無声有気音(次清音)はkh・th・phなどに改めた(以下、同じ)。また渓母幡字(α群2例)は除く(森 1991:28-9)。
4.「倭人伝」とは「『三国史』の巻三十「魏書」三十「烏丸鮮卑東夷伝」中の「東夷伝」の倭人の条」(森 昭和57:156)のこと。以下、「倭人伝」と略し、同書より例を引用す。「倭人伝」には「五四の音訳語が存在」し、音訳漢字が「六四字種(異なり字数)、延べ一四六字」(ともに同書:159) あり。
6.「魏志、隋書を始めその前後の支那史籍にあらはれる日本語音譯例の中に、次C音の字が一つも用ゐられてゐないという事實」(有坂 昭和 32:194)。
7.参考:「在唐記の「本郷波字音」に関する解釈」(亀井 昭和59:155-164)。
8.沖縄久高島方言:[pFati](蜂)(中本 1976:299)。pF=p。
9.athaはathaに改めた。カイモグラフは第18図(M.シュービゲル 1982:70)。
10. 有気音(kh)以下の破擦化はkh→kx/kx(破擦音)→x(軟口蓋摩擦音)/x(口蓋垂摩擦音)→h(声門摩擦音)→φ(消失)(上書:96)となるが、「宮古北部の狩俣・大浦方言では語中においてk→x(h)→脱落, の音韻変化がみられ」、宮古伊良部方言では「[axa] または [ha:](赤)」(ともに中本 1976:268)となっています。
11.森氏の「作業用原本」より作成。
12.「智」(ie)が舌頭音の端母(t)でなく、舌上音の知母()で表記されたのは「中古音の声母と韻母の結合に制約があるため」(森 1991:119)。カ行(軟口蓋子音k)の「「キ」[ki]の[k]は硬口蓋で」(M.シュービゲル 1982:73)、また広母音のカも「「キャ」[]」(同書 1982:100)のように硬口蓋化されている。
13.左より(「着物」「月」「口」「毛」「腿」)、それぞれ中本 1976:412,425, 417,413,431。「肝」(上より):同書:345,324,332(立長方言),288,269(伊良部方言),宮城ほか 平成14 :245(石垣方言),池間 1998:179(与那国方言)。
14.左(「着物」「肝」「口」「毛」「腿」)より、中本 1976:345,345,-, 345,345,347。
15.先行母音iによる口蓋化に言及したのもポリワーノフが最初(村山 1981:36-8)です。
16.左(「息」「いくら」「板」「いつ」)より、それぞれ中本 1976:413,406,406,406。
17.「ikyaはいか(如何)の転訛したものであるが、「琉球館訳語」に、「多少。亦加撒(ikyasha)」とある」(伊波 1974:60)。ika(如何)+「タ」→ikjasa(奄美瀬利覚方言(中本 1976:406)/itassa(沖縄伊江島方言(同書:406)・茶花方言)→tassa(奥武方言)。*「亦加撒」の上に「ヽヽヽ」のルビあり。
18.中本 1976:243。たとえば[zba](舌)や[kks](聞く)(大浦方言。ともに同書:243)。「また[zzi](入れる) [zzu](魚)においては, はほとんど摩擦子音になり, [zzi] , [zzu]のように発音される」(大浦方言。同書:243)。八重山方言は「宮古方言と比較して一般的に弱化の傾向にある」(同書:214)そうです。
19.上(岩手・秋田・山形・宮城の各方言)より、飯豊ほか 昭和57:249,283&284,314&315,340&344。
20.上より、五城目方言(飯豊ほか 昭和57:284,@,A,282,285)。多良間方言(沖研編 1968:34,50,9,2)。名瀬方言(中本 1976:324,419,423,420)。奥武方言(同書:B,419,423,420)。
21.濁音行は除く。
22.「終止形の成立」(大野 1978:207-9)。通説(服部 昭和34:334)では琉球方言の終止形は連用形に「居り」が複合したもの。動詞活用の起源は諸説(白藤 昭和57:68-94)あり。
23.「連用形は子音終わりの語根にiが接尾している」(大野 1978:200-4)が有名。
24.連用形(語中尾)に無気喉頭化音が現われます。「名瀬方言における無気喉頭化音と有気非喉頭化音の対立は語頭では明確で語例も多いが, 語中では[naga iki](永生き) と [kasaiki](笠利<地名>行き)のような対立が見られるだけで, 多くの語例では無気喉頭化音が有力である。これは田畑英勝氏の内省でもある。」(中本 1976:318)。
25.八重山小浜方言の語中尾の摩擦噪音ksが上代甲類キ(次清音渓母企字)に、語頭のpsが甲類ヒ(全清音幇母比字)に対応しています。例:「/’ik/[()iks] (息 「伊企1」 万, 794)」)、「/p/;[pstu] (人 「比1登2」 記景行, 「比1止2」 仏足石歌)」(ともに加治工 1982:94,102)。本土方言の語頭がp→ph(→)と有気音化したのに対して、小浜方言の語頭・語中尾はそれぞれp→ps, k→ksのように摩擦噪音に変化したと考えられます。
26.日本書紀歌謡では「カ行子音の気息音が最も耳立っていたからでしょう。現代語でも同様で、カ行子音が最も強い気息音を伴っています」(森 1999:82)。現代日本語と中国語の気音の強弱の比較(森 1991:100-2)。
27.「イ音便はなぜ起きたのか」(たとえば小松 昭和56:162-170)ではなく、「どのようにして」と問うべきでしょう。旧考→「動詞の連用形にみられるイ音便」
28.(5節の)岩手方言南部地域の摩擦噪音[k]と中北部地域の摩擦噪音[k]の比較からki→ki→i(硬口蓋摩擦音)の変化を考えることができます。
29.小泉 1982:95。橋本氏の表記では、ハ([ha])・ヒ([i])・フ([])・ヘ([he])・ホ([ho])は「[a]、[i]、[」、[e]、[o]」(橋本萬太郎 1981:214)。なお語中尾のヒはiから直接i(=i)に変化して、現在もiにとどまっているので、「[hi]から[i]に移行した時期は、それほど古く溯らないはずである。」(小松 昭和56:253)という考えは間違いです。
30.参考:「駒のいななき」(橋本進吉 1980:7-10)。「お馬ひんひん」(亀井 昭和59:437-445)。歌川「広重」のもじりとしての「色重」と表記された理由(旧考)→喉頭化子音から喉頭化母音への変化。
【引用・参考文献】
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森博達 (1991) 『古代の音韻と日本書紀の成立』 大修館書店
森博達 (1999) 『日本書紀の謎を解く 述作者は誰か』(中公新書) 中央公論新社