「日本書紀歌謡喉音字の問題」
(2011.12.5)
このページは「上代コの音はhoだったのか?−日本書紀歌謡の喉音字の問題を考える」をのせています。
1.喉音(暁母h、匣母)字表記の問題とは何か
日本書紀歌謡にあらわれた喉音(暁母・匣母)字の問題を考えることにします。たとえば日本書紀歌謡11巻47番の「虚呂望虚曾」(衣(ころも)こそ)の「虚」(1)は喉音暁母(無声声門摩擦音h)字で表記されているので、その音はhoと考えられそうです。しかしそう考えると、ho(上代)→ko(現在)のような変化が起きたことになりますが、そのような変化はとても考えられません。では、なぜ日本書紀歌謡の「衣こそ」の「こ」は牙音見母の「居」(無声無気軟口蓋音k)字で表記されずに暁母「虚」(h)字で表記されたのでしょうか。
この難しい問題を解くために日本書紀歌謡の喉音(暁母h、匣母)字表記を次に見てみます(2)。
清濁 |
声母 |
声門摩擦音 |
字種 |
α群 |
β群 |
例(語訳) |
巻数・番 |
全清 |
暁母 |
h(無声音) |
訶 |
0 |
13 |
訶區多智豫羅? |
13巻72番 |
虚 |
0 |
34 |
虚呂望虚曾 |
11巻47番 |
|||
許 |
0 |
16 |
許能瀰枳破 |
5巻15番 |
|||
全濁 |
匣母 |
河 |
0 |
1 |
阿摩能椰蘇河礙 |
22巻102番 |
|
胡 |
0 |
3 |
瀰磨紀異利寐胡播椰 |
5巻18番 |
|||
小計(延べ字数) |
0 |
67 |
*α群は14-19・24-27巻。β群は1-13・22・23巻。
上表からわかるように日本書紀歌謡α群では喉音(暁母h、匣母)字はいっさい用いられていません(3)。そこで森氏は日本書紀歌謡α群のカ行音表記において喉音字が用いられていないことを根拠のひとつにあげて、「α群中国人述作説」(森 1999:78)を唱えられました。
ところでα群における喉音字(h/)不使用の特殊性を根拠にして「α群中国人述作説」を認めると、日本書紀歌謡の「虚」の音はα群表記者である中国人にはkoに聞こえ、β群表記者である上代人にはhoに聞こえたため日本書紀歌謡の「こ」音はそれらの聞こえに応じて見母(ko)や暁母(ho)字で表記されたと考えられます。しかし本当に「虚」で表記された音はho(尾崎 昭和 55:274-5)ではなく、koだったのでしょうか。もし「虚」の音がkoではなくhoであったのならkoとhoの区別ができない上代人は「虚」(暁母h)字ではなく、「居」(見母k)字で表記したのではないでしょうか。そしてその反対にkoとhoの区別ができる古代中国人ならまちがいなく「虚」(h)字で表記をしたことでしょう。つまり「虚」で表記されている音がkoであるかhoであるか、それともまたそれらとも違う音であったのかわからないうちに牙音見母字(k)のみが用いられているというα群の特殊性をとりあげて、そのことで「α群中国人述作説」の根拠のひとつとするのは問題があるのではないでしょうか。
そこで喉音の暁母字(h)や匣母字()で表記された音がどのような音であったのかを、これから考えていくことにします。
2.日本書紀歌謡における「コ」の表記を考える
まず日本書紀歌謡における「コ」がどのような文字で表記されているのかを見てみる(4)と、次のようになっています。
上代特殊仮名遣い |
α群 |
β群 |
||||
見母(k) |
群母(g) |
見母(k) |
渓母(kh) |
暁母(h) |
||
コ甲類 |
古・故・姑・固 |
古・故・姑・固・顧 |
胡 |
|||
コ乙類 |
擧・■・據・居 |
渠 |
居・據 |
去 |
虚・許 |
*上代特殊仮名遣いのコ甲・コ乙の音価は今回考慮せず、以下、ともにoで転写。
*■:草冠に呂。
上表からコ甲・コ乙、またα群・β群の違いなく種々の漢字が使われているのがわかります。そして森氏が発見されたようにα群では群母(g)の「渠」字を除き、見母(無声無気軟口蓋閉鎖音k)字のみが使われているのがわかります。それに対してβ群コ甲類では匣母(有声声門摩擦音)の「胡」字が、コ乙類では渓母(無声有気軟口蓋閉鎖音kh)の「去」字や暁母(無声声門摩擦音h)の「虚」「許」字が用いられています。
そこで日本書紀歌謡において「こそ」と「來」(「来る」の未然形「こ」)の表記(5)をみてみると、次のようになっています。
「こそ」(ともに乙類)
表記 |
音類 |
巻・番 |
日本書紀歌謡 |
語釈 |
α・β群 |
虚 |
暁(h)魚開3平 |
11-47 |
虚呂望虚曾 |
衣こそ |
β群 |
11-48 |
那羅陪務苔虚層 |
並べむとこそ |
|||
許 |
暁(h)語開3上 |
13-70 |
去等烏許曾 |
辞(こと)をこそ |
β群 |
去 |
渓(kh)御開3去 |
13-69 |
去虚虚曾 |
今夜(こぞ)こそ |
β群 |
擧 |
見(k)語開3上 |
14-82 |
阿母■擧曾 |
母(あも)にこそ |
α群 |
*音類は声類・韻類・開合・等韻・4声(平声・上声・去声・入声)の順。たとえば「暁魚開3平」は暁母(h)・魚韻()・開口・3等韻・平声をあらわす。
*「虚」字は11巻57・58・62・62番(すべてβ群)、「擧」字は24巻108番、27巻126番(ともにα群)にもみられるが、省略。
*■:人偏に爾。
「來」(こ乙)
表記 |
音類 |
巻・数 |
日本書紀歌謡 |
語釈 |
α・β群 |
據 |
見(k)御開3去 |
2-3 |
豫嗣豫利據禰 |
寄し寄り来ね |
β群 |
16-91 |
那爲我與釐據魔 |
地震(なゐ)が震(よ)り来 |
α群 |
||
虚 |
暁(h)魚開3平 |
9-32 |
摩莵利虚辭彌企層 |
奉り来し神酒(みき)そ |
β群 |
去 |
渓(kh)御開3去 |
13-70 |
異餓幣利去牟鋤 |
い帰り来むぞ |
β群 |
渠 |
群(g)魚開3平 |
25-114 |
磨■左枳涅渠農 |
また開(さ)きて来ぬ |
α群 |
*「虚」字は3巻12番、11巻42番(ともにβ群)にもみられるが、省略。
*「涅」の「土」は「エ」の代用。■:「施」の方偏をこざと偏に替えた字。
上表からわかるようにβ群では見母(k)の「據」字以外にも暁母(h)の「虚」「許」字や渓母(kh)の「去」字が使われています。つまり上代の日本書紀歌謡β群表記者は「こそ」や「來」の「こ」をhoやkhoのような音に聞きなしていたと思われます。しかし現在のカ行語頭は有気音のkhoなので、ho(上代)→kho(現在)のような変化が考えられそうですが、摩擦音hoが閉鎖音khoに変化することはとてもありえないでしょう。では「虚曾」の「虚」の音はどのように現在のkho(こ)に変化したのでしょうか。この難しい問題を解くためのヒントが中世の朝鮮語対訳資料である1676年開板の『捷解新語』(康遇聖著)にみられる「初声を重ねる注音法」(6)にあります。
そこで次にその注音法をみてみることにします。
現在我々は促音表記に片仮名の場合、小さい文字の「ッ」(7)を使っていますが、この小さい「ッ」の文字と大きい「ツ」の文字には誰もが知っているように音の違いがあります。そしてその違いは中世の『日葡辞書』でも「Futtei. フッテイ(払底)」(土井ほか 1980:286)、「Futatcu.
フタツ(ふたつ) 二つ.」(同書:285)のように書きわけられています。また当時の漢語の入声音tについては「Ippit. イッピ(一筆)」(同書:337)や「Qisat. キサ(貴札) 書状.」(同書:509)のように「州」が起源と思われる「」(8)で表記されています。このように『日葡辞書』にはtsuを表わす「ツ」、促音Qを表わす「ッ」、入声音tを表わす「」の相似た三つの文字表記が見られ、ほぼ同時代に刊行された『捷解新語』においても同じような表記が見られます。
そこで次に亀井氏による「「捷解新語」の注音法」にでてくる表記(9)と『日葡辞書』にみられる表記(10)を見てみます。
表記 |
『捷解新語』 |
『日葡辞書』 |
|
||||
ツ(tsu) |
つかわしらる |
tsu |
tsu-ka-a-si-ra-ru, |
遣はし |
Tcu /tcu |
Tcucauaxi |
|
tstsu |
|||||||
むしつけ(無躾) |
mu-si-tstsu-kyi |
無躾 |
Buxitcuqe |
|
|||
ふたつ |
hu-ta-tstsu |
ふたつ |
Futatcu |
|
|||
いつ |
i-tstsu |
何時 |
Itcu |
|
|||
促音(Q) |
結句 |
k |
kyk-ku |
結句 |
c |
Qeccu |
|
t |
kyt-ku |
|
|||||
につき |
nit-ki |
日記 |
Nicqi |
|
|||
いつひつ(一筆) |
it-pit |
一筆 |
p |
Ippit |
|
||
もつはら |
mot-pa-ra |
専ら |
Moppara |
|
|||
p |
mop-pa-ra |
|
|||||
入声音 |
きさつ(貴札) |
t |
ki-sat |
貴札 |
t |
Qisat |
|
いつひつ(一筆) |
it-pit |
一筆 |
Ippit |
||||
多筆 |
tsu |
ta-pit-tsu |
他筆 |
Tafit |
|||
伝筆 |
tstsu |
tyn-pi-tstsu |
伝筆 |
Denpit |
|||
しんもつ(進物) |
sin-mo-tstsu |
進物 |
Xinmot |
|
上表からわかるように『捷解新語』の促音表記(Q)は先行音節末にtを書くのが一般的ですが、時には先行音節末に後続音節の先頭子音と同じ子音であるkやpを書き添える方法も見られます。また「ツ」の表記にはtsuだけでなく同一子音を続けて書くところの初声を重ねる表記tstsuがみられます。
ところで『捷解新語』にみられる初声を重ねる注音は促音表記はよく似ているので、初声を重ねる表記(12)と『日葡辞書』の表記(13)
例 |
『捷解新語』 |
『片言』A(*)・『バレト写本』B(**) |
『日葡辞書』 |
ばかり |
pa-kka-ri |
ばつかり(亀井 昭和 59:364)* |
Bacari |
いつ/いつも |
Itstsu/- |
-/いつつも(亀井 昭和 59:364)* |
Itcu/Itcumo |
(あ)ち(こ)ち |
(a)tstsi,(ko)tstsi |
あつちこち(亀井 昭和 59:364)* |
Achi,cochi |
(し)か(と) |
(si)kka(to) |
Xicato |
|
こそ |
ko-sso |
cosso(14)** |
Coso |
の(助詞) |
nno |
No |
|
と(助詞) |
tto |
To |
|
てんき(天気) |
tyn-kki |
Tenqi |
|
みやこ(都) |
mi-ya-ko |
Miyaco,Miako |
|
さいそく(催促) |
(sai)sso(ku) |
Saisocu |
*:亀井氏の解説にみられない字句は( )で補った。
*A:1650年安原貞室(京の人、1664没)の著。
*B:キリシタン版本よりもまえの伴天連バレト(M.Barreto)の1591年写本。
上の比較から『捷解新語』の初声を重ねる表記pa-kka-ri、itstsu(mo)や(a)-tstsi-(ko)-tstsiを「ばかり」、「いつも」や「あちこち」の促音形とみたり、ko-ssoやtto、nno(助詞)をそれらの強調形(15)みたりすることは可能かもしれません。しかしtyn-kki、mi-ya-kkoや(sa-i)-sso-(ku)の表記を「天気」「みやこ」や「催促」などの促音形、あるいは強調形とみることは難しいでしょう。
そこで単なる促音表記と初声を重ねる表記の違いがよくわかる「有る」の接続形(亀井 昭和 59:364)をみると、次のようになっています。
「有って」 |
「ツ」 |
|
初声を重ねた表記 |
無 |
|
促音表記 |
有 |
上の比較でわかるように促音表記(本文にツ)では第一音節のおわりにtがあり、それに対して初声を重ねた表記(本文にツなし)では第一音節のおわりにtがなく、かわりに第二音節のはじめにtがあります。そこでこの大きな違いを亀井氏は次のように考えられました。
「本文に促音を「つ」で明記してゐて、ハングルのほうに初声を重ねる形式をとったものはな」(亀井 昭和59:364)く、「かながきが一定の方針の下に行はれてゐるとすれば、「つ」の有無は発音と関係し、従って促音をあらはすのはその一方のみとなる」(同書:364)。そして「とかく」の表記がto-ka-kku、to-kak-ku、to-ka-kuのようにゆれていることは「康遇聖のなまの発音に動揺のあったことをものがたるであろう。」(同書:366)
上の亀井氏の言葉を重んじると、助詞「こそ」が『捷解新語』でko-sso、バレト写本でcossoと酷似した表記になっていることから康遇聖やバレトはssoやssoの表記で促音ではない、何か特殊な発音をあらわそうとしたのではないかという考えがでてくるでしょう。では康遇聖は初声を重ねる注音法で促音ではない、どんな音を表わそうとしたのでしょうか。この問題を解く鍵が無気喉頭化音にあります。
そこで次に無気喉頭化音について考えることにします。
4.琉球方言にみられる無気喉頭化音について
無気喉頭化音について知るまえに、無気喉頭化音に存在する声門閉鎖音(//)について見てみます。声門閉鎖音は「ゴホンと咳をするときの、最初の、のどがしまるような感じがする」(柴田 1978:716)音で、たとえば「朝」は東京で「[asa]」(16)のように発音され、母音aの前に見られる音です。そして奄美名瀬方言などではこの声門閉鎖音の有無の対立が[o:sa](青い)/[o:sa](おかしい)(17)のように見られます。
さて上のように母音の前に声門閉鎖音が名瀬方言などにみられるのですが、声門閉鎖音が子音のあとにみられる無気喉頭化音という珍しい音が琉球方言にあり、「閉鎖された聲門が氣流の起し手とな」り、「コルクの栓を抜くときのような特異な音色のオト」(18)がでます。
そこで奄美方言に見られる、この珍しい無気喉頭化音を次に見てみます。
表1(19)) |
k |
t |
p |
m |
||
語彙 |
着物 |
子 |
聞く |
血 |
舟 |
ここ |
奄美大島名瀬方言 |
kwa |
Funi |
kuma |
|||
奄美大島古仁屋方言 |
warabi |
kikjum |
Funi |
kuma |
||
奄美喜界島志戸桶方言 |
warabi |
Funi |
Fuma |
|||
奄美徳之島亀津方言 |
kwa |
kikjui |
tsi: |
Funi |
kuma |
|
奄美沖永良部島瀬利覚方言 |
kibara |
kwa |
inni |
ma: |
||
奄美与論島茶花方言 |
kipara |
kwa |
puni |
Fuma |
||
沖縄伊江島方言 |
kwa: |
kuni |
ma: |
|||
沖縄首里方言(20) |
ciN |
Qkwa@ |
ci=cuN@ |
cii@ |
huni |
kuma@ |
表2(21) |
s |
n |
r/j |
w |
語彙 |
舌 |
今 |
お前 |
上 |
奄美大島名瀬方言 |
nama |
ja |
ui |
|
奄美徳之島伊山方言 |
- |
nja: |
uriA |
ui |
沖縄伊江島方言 |
ra: |
wi: |
||
沖縄首里方言(22) |
sica/iba |
nama@ |
jaa@ |
wii@ |
*,
N://。Q:促音(/
Q /)。c:[t]。:[s]~[](で代用。sとの中間音に近い音(服部 1951:106))。://。
:半長音。首里方言の/@はそれぞれ平板型/下降型アクセント。音声表記の[ ]は省略。
*A:「あなた」の意。
ところで柴田氏は上の名瀬方言にみられる無気喉頭化音の発生を次のように考えられました(柴田 1959:320-1)。
変化式 |
備考 |
例 |
|
A |
CV>C’V |
C=無声破裂音k,t。V=狭母音i,u。 |
ki1nu>[k’i] 着物(「衣」より) |
B |
CV1CV2->C’V2- |
C=無声子音。V1=狭母音。 |
kikai>kikja(:)>k’ja(:) 喜界島(の人) |
*以下、C’V(無気喉頭化音)はCVで表記。
また上の無気喉頭化音は奄美方言だけでなく、八重山与那国方言にも次のように見られます(23)。
人 |
一つ |
一人 |
舌 |
|
奄美大島名瀬方言 |
- |
- |
||
奄美喜界島花良治方言 |
tituA |
tari(二人) |
- |
|
奄美瀬戸内与路方言 |
tit |
- |
||
沖縄首里方言(口語)(24) |
Qcu@ |
tiii |
cui |
iba(普通語) |
沖縄首里方言(文語)(25) |
hwitu@ |
hwitui@ |
hwicui@ |
|
宮古大浦方言 |
ptu |
pti:ksB |
- |
zda |
八重山石垣方言 |
ptu |
pti:dz |
ptu:r |
sta |
八重山与那国方言 |
tu: |
tui |
ta(26) |
*A:喜界島塩道方言(中本 1976: 345)。B:大神方言(同書: 272)。
*ksi:摩擦噪音。Q:促音(/Q/)。c:[t]。:[s]~[](で代用。sとの中間音に近い音(服部 1951:106))。:[ts]~[t]。hw://。首里方言の/@はそれぞれ平板型/下降型アクセント。音声表記の[ ]は省略。
上の語例からわかるように与那国方言でも先のB式の変化によって喉頭化音tが発生したと考えられそうですが、少し問題があります。
そこでその問題が何であるかを考えるために狭母音の無声化が頻繁にみられる鹿児島方言などの促音化現象を考えることにします。
5.促音化現象について考える
鹿児島県薩隅方言の最大の特徴といわれる促音化現象(後藤 昭和36:273)は次の3つに分けることができます。
「一つは語末の促音で、キ・ギ・ク・グ・ズ・チ・ツ・ビ・ブ・ルなどの母音の無声化を経て脱落して生じたもの。例、kat 「柿・鍵・書く・嗅ぐ・数」、kut 「口・靴・首」、dot 「溝」、tot 「取る」。 (改行)
二つは語中の促音で、母音・半母音・鼻音の前にあらわれる。例、kaamut 「掻き集める」、kajosut 「掻き寄せる」、kane 「垣根」。(改行)
三つは語中で濁音の前にあらわれる。例、koggo 「国語」、teddo
「鉄道」、jabba 「役場」、migazzuna 「磨き砂」。」
*鹿児島方言で、「[ka](柿・嗅ぐ・黴=A型アクセント、鍵・書く・勝ち・家事・勝つ=B型アクセント)」(後藤 昭和58:306)。
そこで上の一つめの語末音を各方言(それぞれ中本 1976:154,155,156)に見てみると、次のようになっています。
長崎方言:[tsuki](月)/[kaku](書く)
五島市富江町山下方言:[tsuk](月)/[mak](巻く)
五島市富江町黒瀬方言:[tsuT](月)/[kaT](書く)
*[T] =/Q/。T は入声音。Qは促音。
*「無造作な発音における/Q/は、通常、喉頭閉鎖音[]で現われ」(古瀬 昭和 58:194-5)ます。
上の「月」の各方言音からtsuki→tsuk→tsuk→tsuTのような変化を考えることができることから鹿児島県薩隅方言の「掻き」や「柿」に対して、次のような変化を想定することができるでしょう。
「柿」:kaki→kaki→kak→kaT→ka
「掻き」:kaki→kai→ka→ka
*「掻き」のkaiはイ音便。
ところで上のような変化を考えると、「柿」の場合は語末子音(k→)Tが声門閉鎖音( )に、また連用形「掻き」の場合は語末母音iが消失することによって声門閉鎖音が発生したことになります。しかし「道」の場合、その変化をmiti→miti→mit→mit(27)→mi(28)のように考えると、破擦音tが声門閉鎖音( )に変化することを想定しなければなりません。そしてまた促音「/Q/が有する共通の特徴は、[iss’?N](一寸)、[i’o](一緒)、[ipp’oN](一本)などの例からもわかるように明らかなように、声門閉鎖音[]の存在などではなく、むしろ先行子音を一モーラ分遅らせてから開放させる点にある」(城生 1977:119)という、促音と声門閉鎖音の音には違いがあるという批判(29)があります。このようなことを考えると、語末の閉鎖音tや破擦音tが声門閉鎖音 に変化したとは考えにくいと思われます。そこで奄美の方言を見てみてみると、名瀬方言では「/aQtadaN/ (急に)」「/aQtukhuQtu/ (あれこれ)」(30)のように促音のあとに喉頭化音が続き、また奄美大島古仁屋方言でも語中で「uku(奥)」「iki(息)」(31)のように無気喉頭化音があらわれます(32)。そこで鹿児島方言などにみられる語末促音や語末声門閉鎖音の存在をうまく説明するために、「掻き」をkakiではなく、無気喉頭化音であるkakiであると考えてみると、イ音便(7.イ音便の謎を解く)をkaki→kai→ka→ka、「柿」をkaki→kak→kak→ka、「息」はiki→ik→ik→ik→iT(中本 1976:157。五島市福江方言)と、「道」をmiti→miti→mit→mit→miと考えることができ、語末声門閉鎖音や促音形(入声音T)への変化をうまく説明することができるでしょう。つまり促音「ッ」の正体は声門閉鎖音が「つまる感じ」がする無音の一拍へと変化したものではなく、語末母音(i/u)が無声化消失したあと声門閉鎖音が消失することで促音が発生したと考えることができます。
ここまでの考えは、とりあえず次のようにまとめることができます。
1. 語末促音(Q) iki→ik→ik→iQ(入声音T) 例:it(息)。
2. 語末声門閉鎖音() kaki→kai→ka→ka 例:ka(掻き)。
さて上のまとめから語末声門閉鎖音( )は連用形がイ音便を起こしたあと語末母音iが無声化し、その無声化母音iが消失したことで起こったことがわかります。そこでこの考えを応用して「舌」をsitaと想定(33)すると、与那国方言の喉頭化音taの発生を次のように考えることができるでしょう。
sita(舌)→sita→sita→sta→sta→φ|ta(φ:第1音節の消失)
ここまで喉頭化音や語末促音について色々なことがわかったので、もとに戻って初声を重ねた注音法について考えることにします。
6.暁母(h)・匣母()字で表記された音はどんな音だったのか
第3節で康遇聖は初声を重ねる注音によって促音ではない、何か特殊な発音を表わそうとしたのではないかと考えました。そこで初声を重ねる注音がみられる「こそ」について考えることにします。
中世の「こそ」はキリシタン版本ではCosoですが、『捷解新語』ではko-ssoと初声を重ねる注音で、バレト写本でもcossoと促音表記のような特殊な表記がみられます。そこでこの特殊な表記が「いはゆる勁音(toin-si-os)と同じく声門の破裂(glottal
explosive)の音をあらはすもの」(34)であろうという、亀井氏の卓見を援用すると、中世の「こそ」はkosoと考えることができます。そこで中世のkosoの前身である上代の「虚曾」も同じkoso(35)であったと考えてみます。ところで上代の「虚曾」の「虚」字は見母(k)でなく暁母(h)なので、日本書記歌謡β群の表記者は「虚」の音をkoよりもhoに聞きなしていたと考えられます。そこで「虚曾」の音をkosoではなくhosoと考えてみると、上代から現在までの「こそ」の変化をhoso(虚曾)→koso(ko-sso)→khoso(こそ)と考えることができます。しかしk(軟口蓋閉鎖音)→x(軟口蓋摩擦音)→h(声門摩擦音)の変化は世界中どこにでも見られるありふれた変化ですが、声門摩擦音hが軟口蓋閉鎖音kに変化することはとても考えられません。このように考えてくると、「虚曾」をhosoと考えるアイディアはいいとしても、まだ何か間違っているところがあると思われてきます。
そこでもういちど日本書記歌謡β群の「虚曾」の表記を考えなおすことにします。
第2節でみたように日本書記歌謡β群の「こそ」は「虚」「許」の暁母(h)字や「去」の渓母(kh)字で表記されているので、β群の表記者は「虚曾」をkosoではなく、hosoやkhosoに聞きなしていたと思われます。そこでこのようなkosoに近く、hosoに聞きなされた音として、たとえばkohoso(コホソ)のような音を考えてみます。そうするとα群表記者の耳にはkohosoのkoが強く響いたためにkosoに、β群表記者の耳にはkohosoのhoが強く響いたためにhosoに聞こえたと考えることができるでしょう。そこでkoとsoのあいだにある気音hの存在がhosoに聞こえる理由であると考え、「虚曾」がkosoであったと考えたことをあわせて、「虚曾」の音をkohsoと考えてみます。するとβ群表記者はkohの音をho(暁母)やkho(渓母)に聞きなしたと考えることができ、上代から現在までの「こそ」の変化をkohso(虚曾)→kohso(ko-sso)→khoso(江戸時代)→khoso(現在)と考えることができるでしょう。つまり日本書記歌謡β群の表記者はkohsoに存在する気音hを聞きとりhosoに聞きなしたと考えることができます。そしてその同じkohsoの音を中世の『捷解新語』の著者、康遇聖はkohとsoのあいだにある声門閉鎖音( )を聞きとりkoh-soのように分節し(36)、ko-ssoに聞きなしたと考えられるでしょう。
ここまでの考えをまとめると、次のようになります。
日本書記歌謡 |
『捷解新語』/『バレト写本』 |
江戸時代 |
現在 |
|
表記 |
虚曾・許曾 |
ko-sso/cosso |
こそ |
こそ |
音 |
kohso---→ |
------→kohso-----→ |
khoso--→ |
khoso |
ところで上代の「こち」の後裔は「こちら」と「こっち」の両形がみられます。そこで上代から現在までの「子」、「こち」や「ここ」(此処)の表記をみてみると、次のようになっています。
倭人伝 |
上代 |
『捷解新語』/『日葡辞書』 |
現在 |
呼(ho)(37) |
古(38) |
-/Co |
子 |
許知(39) |
こっち |
||
許々(40) |
-/Coco |
ここ |
*「古」:見母k。「許」:暁母h。「知」:知母。[ ]内は筆者でおぎなった。
*//([t])は口蓋化していると考え、[ko]ttiで転写した。
そこでさきほど「虚曾」をkohsoと考えたように、「呼」「古」「許知」「許々」をそれぞれkoh、koh、kohti、kohkohと考えてみると、現在の「子」「こっち」「ここ」への変化は次のように考えることができます。
|
3世紀 上代 現在 |
子 |
koh(呼)--→koh(古)----------→koh-------→kho-------→kho |
こっち |
|
ここ |
kohkoh(許々)----→kohkoh----→khoko----→khko |
上のような変化を考えると、上代の日本書紀歌謡や古事記の一部のカ行音が喉音暁母字の「虚」「許」で表記された理由をうまく説明できるでしょう。また平安時代以後に促音(Q)が発生した理由や『捷解新語』における初声を重ねる表記と促音便(Q)の表記の違いも同じようにうまく説明できます。
7.まとめ
A. 促音なし
上代 |
中世 |
--------→ |
現在 |
|
表記 |
虚曾・許曾 |
ko-sso/cosso |
こそ |
|
音 |
kohso---→ |
kohso----→ |
khoso---→ |
khoso |
B.促音(Q)形
上代 |
中世 |
--------→ |
現在 |
|
表記 |
許知 |
こっち |
||
音 |
kohti-→ |
【注】
1. 中国語の音節は「声母(頭子音)・韻母(介音+主母音+韻尾)・声調(高低アクセント。筆者注:平・上・去・入の四声)の三類五要素に」、「声母は発音部位によって「唇・舌・牙・歯・喉」の五音に大別され」、「また発音方法の相違によって「全清(無声無気音)・次清(無声有気音)・全濁(有声音)・次濁(鼻音等)に分類されます」(ともに森 1999:58-9)。上代特殊仮名遣いオ甲・オ乙類の音価は今回考察せず、ともにoで転写。
2. 【表12】(森 1999:78)より作表。
*「倭人伝」でも次のような喉音(暁母h、匣母)字表記(森 昭和 57:186の表8)がみられます。
清濁 |
声母 |
声門摩擦音 |
字種 |
語彙 |
備考 |
全清 |
暁母 |
h(無声音) |
呼 |
卑彌呼 |
倭女王 |
卑彌弓呼 |
狗奴國男王 |
||||
不呼國 |
國名 |
||||
呼邑國 |
|||||
好 |
好古都國 |
||||
全濁 |
匣母 |
華 |
華奴蘇奴國 |
||
獲 |
彌馬獲支 |
副官名 |
|||
字数計 |
7 |
*「倭人伝」:『三国史』の巻三十「魏書」三十「烏丸鮮卑東夷伝」中の「東夷伝」の倭人の条」(森 昭和57:156)の略。
3. 森氏の考え(森 1999:109)をこのようにまとめました。
4. 「α群・β群歌謡仮名漢字音対照一覧表」(森 1991: 273,277)より作表。
5.『上代仮名遣いの研究』(大野 1953:243-4)より「こそ」と「来」の語例を拾い、作業用原本(森 1991:170-180)、仮名分布表(同書:248-9)より作表。
6.「「捷解新語」の注音法」(亀井 昭和 59:313-369)のなかの入声音・促音・初声を重ねる注音(同書:357-369)。
7.「現代かなづかいの要領」(旧文部省編)によれば、「促音をあらわす つ は、なるべく右下に小さく書く(縦書きの場合)」(小松 昭和 56:200)ことになっています。
8.「ツ」の字源には諸説あり(大辞典13巻 昭和50:606)。
9.上より、亀井 昭和 59:360,358-9,359,360,362,363,358,363,358,358,358,358,357。
*ハングルの平音はk、激音はkh、濃音はkkのように、流音はrで、エ音はy/yiで、また/c/([s])と//([t])はsとts/tで、その濃音はssとtsts/ttで転写。kyk-ku,kyt-ku(「結句」)とmu-si-tstsu-kyi(「無躾」)の表記の違い(エ音の問題)は今回、省略(馬淵 昭和 46:113-5。濱田 昭和 45:81-2。亀井 昭和 59:368)。
10.上より、土井ほか 1980:623,69,285,345,479,462,337,422,509,337,601,184,771。
11.中世漢語(例:「進物」sin-mot)の語末入声音-tが開音節化して「ツ」になった変化:CVt+u→CVtu→CVtu。
12.上より、亀井 昭和 59:364,360,360,364,364,368,365,365,365,365。
13.上より、土井ほか 1980:46,345,11,760,151,468,650,646,413,551。
14.土井 昭和 38:233。また、土井ほか 1980:854。福島 1990:311。
15.例と促音形・強調の考え(亀井 昭和 59:364-59)。
16.柴田 1978:717。京都では[asa](同書:717)。岩手県「宮古市方言では必ず聞こえる」(同書:717)そうです。
17. 中本 1976:317。首里方言では「utu@ 〔utu〕(音)/’utu@ 〔utu〕(夫)」(国研 昭和51:30)。
18.ともに服部 1951:141。喉頭化音は閉鎖音(k’,t’,p’など)だけでなく、破擦音(ts’,t’)や摩擦音(s’,’など)も可能(同書:141-2)。’:声門閉鎖音(//)。
19.表1の左より、中本 1976:412,418,412,424,429,418。
20.左より、国研 昭和51:158,445,146,147,219,331。
21.表2の左より、名瀬方言(中本 1976:326,319,317,321)。伊仙方言(同書:-,348,347,348)。伊江島方言(同書:309,308,308,308)。
22.左より、国研 昭和51:464/463,269,584。
23.すべて左より、名瀬方言(中本 1976:-, 318, -, 326)。花良治方言(同書: 343, 345,343,-)。与路方言(同書: 359, 359,-,358)。宮古大浦方言(同書: 252, 272,-,264)。石垣方言(同書: 214, 222,228,215)。与那国方言(同書:200,200,195,215)。
24.左より、国研 昭和51:444,517,168,463。
25.左より、国研 昭和51:241,241,232,464。
26.橋本表記(橋本萬太郎 1981:346)では[ta](=ta)。宮良表記で語頭促音の例とされている「舌」「ッター〔tta:〕」(宮良 昭和56:275)は喉頭化音「〔ta:〕」(宮良 昭和55.1:185)が正しい。宮良表記の問題(宮良 昭和56:解題10)。
*八重山与那国方言の語頭には、次のような珍しい3項対立がみられます。*(( ))は筆者が補った。
[t‘a] (田)――無声有気音((th))
[da] (家)――有声音((d))
[ta] (舌)――無声無気音((t?))
27.中本 1976:156(五島市富江町山下方言)。[mit](奄美瀬戸内町古仁屋方言)(同書:159)。 :半長音。
28.柴田 1988:297(五島市上大津町方言)。促音形の時はmiti→mit→miQ([miT])(五島市福江方言)(同書:157)→miと考える。
29.批判のもととなっているのは服部氏の考え(服部 1951:170。下記注)ではないかと思われます。しかし促音(Q)と声門閉鎖音( )には喉頭の緊張が共通するとはいえ、声門閉鎖音には声門の閉鎖があり、促音にはそれがないので服部氏の解釈はまちがいでしょう。次項参照。
*服部氏の考え:「この重子音(筆者注:促音への言及において、例として[issuN](一寸))の前半部においては喉頭の緊張が共通して存在するから, これらは音韻論的には/’isuN/(以下、省略)と解繹すべきものである」
*促音「Qにも喉頭の緊張があるが、Qは音節末に来るか、時に自ら音節を形成する(例、Qsa 「足」)点で喉頭化音とは異なり」(柴田 1988:332)ます。名瀬方言では促音の後には次のように喉頭化音があらわれます。「促音の後のkおよびtには がついてkおよびtの形になるのが普通である。従って特に漢字音の読みにまでその傾向が強く出て, 標準語との趣きの相違を目立たせている」(寺師 1985:47,また23)。「悪漢」「一向に」「一屯」などはaQkaN、
iQko:ni、iQtoNなどと発音されるようです(同ページの例より)。また沖縄久米島方言でも「Qのあとのp、t、c、kはつねにp、t、c、kとな」(柴田 1988:366)ります。→注32。
*Q:促音(/Q/)。’:声門閉鎖音(//)。表記をあわすためにC’V(喉頭化音)はCVに、C‘V(有気音)はChVに、’V(声門閉鎖音)はV(C:子音、V:母音)に改めた。
31.ともに上村 1988:313(「息」は奄美大島瀬戸内町古仁屋方面の語)。
*表記をあわすために、喉頭化音u’ku/i’kiはuku/ikiに改めた。
32.「名瀬方言における無気喉頭化音と有気非喉頭化音の対立は語頭では明確で語例も多いが, 語中では[naga iki](永生き)と[kasan iki](笠利<地名>行き)のような対立が見られるだけで, 多くの語例では無気喉頭化音が有力である。これは田畑英勝氏の内省でもある。」(中本 1976:318)。
33.第4節の変化式Bとの違いは「舌」をsita(は古代助詞のイ)と考えることです。すべては解決していないので、今回はとりあえずsitaと考えておきます。
*本日(2011.12.5)次のPDF文書をみつけました。
「『捷解新語』におけるハングル表記-ハングル音注の重ね子音を中心に-」
(http://www.kjkin2000.com/Artboard/Library/fileDown.asp?strBoardID=nonpds&intNum=289&intSeq=56)
*「確かに」が『捷解新語』で「(tasi)-kka-(ni)」(亀井 昭和59:366)、バレト写本で「taxxica ni 〔234v-15〕」(土井 昭和38:234)と表記が違っている問題(福島 1990:314)はずっと先の「促音の発生について」で考えます。版本とバレト写本のローマ字綴りの違い(土井 昭和38:227-241)。
35.上代のコ乙が平安時代以後コ甲に変化し、現在のコ(=コ甲)になった変化は今回省略。
36.文章の手直しをしているとき、亀井氏の「こそ」の考え(亀井 昭和 61:54。下記注)を読みました。そこで驚いたときの「あッ」が[a](服部 1951:30)、また「あります」が東京方言で「[arimasu]」(柴田 1988:631)と発音されることを思いおこし、それで「kohとsoのあいだにある声門閉鎖音(//)を聞きとりkoh-soのように分節し、ko-ssoに聞きなした」と考えるよりは、「こそ」がkohsoであったために康遇聖や伴天連バレトは喉頭化音と語末の声門閉鎖音の両方の音so(=so)を聞き取り、その音をssoやssoと表記したのではないかという考えがわきました。そしてこのように考えるほうが上代のコ乙(ko乙h)が平安時代以後コ甲(kho:有気音)に変化すること(今回は省略)、また中世の「こそ」の「そ」をssoに表記した理由をよりうまく説明できるでしょう。(2011.11.26 記)
*亀井氏の「こそ」の考えを簡略すると、「T 「くそッ」は「こそ!」のなれのはて、excrements(糞便)とは関係なく、U 口語の慣用として、強調の「こッそ」の姿もあった」。
39.「許知能夜麻登」(此方の山と。記雄略)(倉野 1963:295)。
40.上代語辞典 1967:287(琴歌譜)。「許許爾淤母比傳」(ここに思い出。記応神。「その時」の意)(倉野 1963:278)。
【引用・参考文献】
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柴田武編(昭和59) 『奄美大島のことば-分布から歴史へ-』 秋山書店
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『捷解新語』→『亀井孝論文集3 日本語のすがたとこころ(一)』(亀井孝 昭和59)より引用。
土井忠生(昭和38) 『吉利丹文獻考』 三省堂
土井ほか(1980) 『邦訳 日葡辞書』 土井忠生・森田武・長南実編訳 岩波書店
上代語辞典→『時代別国語大辞典 上代編』 上代語辞典編修委員会編 1967 三省堂。
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寺師忠夫(1985) 『奄美方言、その音韻と文法』 根本書房
外山映次(昭和47) 「第3章 近代の音韻」『講座国語史 第2巻』 中田祝夫編 大修館書店
中本正智(1976) 『琉球方言音韻の研究』 (財)法政大学出版局
『日葡辞書』→『邦訳日葡辞書』(土井ほか 1980)より引用。
橋本萬太郎(1981) 『現代博言学 言語研究の最前線』 大修館書店
濱田敦(昭和45) 『朝鮮資料による日本語研究』 笠間書院
福島邦道(1990 新装版) 「外から見た日本語」『日本語講座第六巻 日本語の歴史』 阪倉篤義編 大修館書店
馬淵和夫(昭和55.1) 『国語音韻論』 笠間書院
宮良當壯(昭和55) 『宮良當壯全集 7 採訪南島語彙稿』 第一書房
宮良當壯(昭和56) 『宮良當壯全集 8 八重山語彙 乙篇』 第一書房
森博達(昭和57) 「三世紀倭人語の音韻」『倭人伝を読む』(中公新書) 森浩一編 中央公論社
森博達(1991) 『古代の音韻と日本書紀の成立』 大修館書店
森博達(1999) 『日本書紀の謎を解くのを 述作者は誰か』(中公新書) 中央公論新社