「ハ行音の問題」について
(1999.09.03 更新)
このページは「ハ行音の問題」のつづきです。
D.問題3
13.ハ行音はF以下、なぜ違った変化をしたのか
E.問題4
14.なぜハ行音は変化をしたのか
F.日本語とオーストロネシア語族にみられるイ・シの相関について
G.あとがき
F.日本語とオーストロネシア語族にみられるイ・シの相関について
これから日本語とオーストロネシア語族にみられる地名と人名にあらわれているイ・シの相関について考えることにします。
まず地名にみられる接辞イの類似をみるために、崎山氏の【イ-をもつ地名】にあげられている例と文章(以下の*印のもの)を使って、私のほうでまとめてみると、次のようになります。(埴原 1993:83-5)
1.南九州の大隈:伊佐・姶良(イラ)など
薩摩:入佐・市来・伊集院など
*筆者注:これはもと金関丈夫氏が提出されたもの(金関 1955:123)です。
*「とくに,イ-が,イ-クマ(隈)「山ぎわに入りこんだ地」,イ-クレ「石ころなどがごろごろしたところ」,…(中略)などのように,場所を特定するための接頭語として解釈されていることは,その強い根拠になる。」(崎山 平成2 p104にも)
2.沖縄 :伊平屋・伊是名・伊江など
*「琉球36島のうちでは、28島までイを伴う(大林・埴原 1986:229)。」
3.台湾の蘭嶼 :イ-モウルド(漢名、紅頭)・イ-ラタイ(漢名、漁人)など
4.グアム島 :I-narajan(東南部)・I-napsam(西北部:1752年の古地図に)など
5.フィリピン :I-bayat(Itbayat)島(バタン列島)・I-locos州(ルソン島北部)など
*「…そして*iに由来する場所の前置詞iを地名に付ける例は,メラネシアのソロモン諸島(たとえば,ブゴトゥ語)からニューヘブリデス島(現,ヴァヌアトゥ共和国)に及んでいる(Tryon and Gly 1979)。」
上の比較からわかるように、前接辞iは日本語で地名の「イ」に、オーストロネシア語族の原オセアニア語では場所の指示詞*iにあらわれている(埴原 1993:83)と考えることができます。そしてもしこの考えを認めるなら、次のような考えもまた正しいということができるでしょう。(崎山 1996:239-40)
「…南九州,奄美,沖縄に多く出現する「イ」を接頭する地名(伊佐根久,伊平屋など)には,オーストロネシア語系の場所の指示詞*iが保持されているとするならば,熊襲,隼人はオーストロネシア語族であったことが十分考えられる[崎山 1993]。…(以下省略)」
さて今度は日本語とオーストロネシア語族の人名にみられる接辞の相関をみることにします。まずオーストロネシア語族の人名冠詞について引用します。(崎山 平成2:107)
「オーストロネシア語族の台湾の諸言語(ヤミ語si、パイワン語ti、アミ語tsi)を含むヘスペロネシア語派の言語には、指称としてのみ用いられる人名冠詞*t'iが再構成されるが、…(以下省略)」
ここでヘスペロネシア語派に属する、インドネシア語とフィリピノ語の人名冠詞siの例をあげてみます。(それぞれ牛江 1975:245、大上 1994:17)
インドネシア語:si Samin(サミン)
フィリピノ語 :si Belen(ベレン)
上の例でわかるように、インドネシア語やフィリピノ語では人名(固有名詞)には前接辞(人名冠詞)siが前接されます。
次に日本語の人名について考えることにします。日本語では、普通名詞が固有名詞にかわると、アクセントが高くなるという珍しい現象があります。小松氏の文章から引用します。(小松 昭和56:235-6)
「では、東京語の場合、どういう点にアクセントの生命が維持されていると認められるであろうか。そういう意味において注目されるのは、固有名詞化にともなうアクセントの転化である。
…(中略)…その点、二音節名詞の方が、いっそう規則的である。
谷 川 池 杉 石 岡 島 沢 ……
などは、いずれも普通名詞として[○●]型であるが、姓の場合には[●○]型に転じている。「山田さん」を「ヤマさん」と呼ぶような場合にも、この規則は適用される。
…(中略)…多少の例外をさしおいて法則化すれば、《普通名詞に由来する人名は、頭高型をとる》ということになるであろうが、…(以下省略)」
*筆者注:[○●]型は[低高]、[●○]型は[高低]のアクセントをあらわす。
*地名の場合にも次のように高アクセントにかわるのではないでしょうか(2005.9.7追記)。
固有名詞 普通名詞
1.「川」:カワ カワ(愛知県内にある「川」という地名)
2.「淵」:フチ フチ(静岡県内にある「淵」という地名)
*この両地名のアクセントについては柴田武 1987:254より引用しました。なお柴田氏の文章は上記のようにまとめ、高アクセントの右棒線は下線に改めました。
ところで前に語(頭)の高アクセント化の原因を前接辞sVの消失代償として考えました。その変化は次のとおりです。
sV|X→s|X(→s|X)→|X(語頭は高調) *Xは語。sVは前接辞。
は無声化母音。|は接辞の境界。または前接辞sVの消失をあらわす。
*ただし、チベット・ビルマ語派では、使役態構成の接頭辞*s-が再構されています。
さて上の小松氏の文章でわかるように、日本語では普通名詞が固有名詞にかわるとアクセントが頭高型にかわる現象がみられるので、ここで固有名詞の語頭の高アクセント化の原因を前接辞シの消失代償として考えることにします。そうすると固有名詞化にともなう語頭の高アクセント化への変化は次のように考えることができます。
シ|X1→X2 *X1は普通名詞、X2はX1が固有名詞化されたもの(語頭は高いアクセント)。シは前接辞。| は接辞の境界。
このように先史日本語に前接辞シが存在したと考えることによって、日本語とフィリピノ語の人名を、次のように比較することができます。
日本語 :シ+普通名詞--→固有名詞(人名)
フィリピノ語:si+Belen-----→si Belen(ベレン)
*但し、固有名詞の語頭は高いアクセントをもつ。
*siは人名冠詞*t'iよりの変化形。
*古代日本語には接頭語(前接辞)シはみられませんが、副助詞シ(係り結びのゾと同根)にそれがみられます。
さてここまでの比較によって日本とフィリピンの地名に、また日本語とフィリピノ語の人名にそれぞれi・siの相関がみられることがわかりました。前にあげた例を使ってその相関をみると、次のようになります。
i-(地名に) si-(人名に)
日本 :伊江島(沖縄) ヤマさん
フィリピン:Ilocos州 si Belen(ベレン)
*「ヤマさん」は高いアクセントをもつ。
ところで崎山氏は古典語にあらわれた助詞・指示代名詞・人称代名詞などのイ・シをとりあげ、それらをオーストロネシア語族の接辞などと比較し、日本語とオーストロネシア語族との間に深い関係を認めようとされています。詳しいことは直接崎山氏の考察(崎山 平成2:99-122より)をみてもらいたいと思いますが、代名詞にも次のようなイ・シの相関がみられます(以下の例は同書p101,106,109,108より)。
<代名詞イ・シの相関>
日本語 トラック語
イ(二人称:貶下的) i(語源的に「それがし」)
シ(二人称:対等、目下) si(包括形、語源的に「それがし」)
また前にみた地名の相関で、「イ」を場所を特定するための接頭語(オーストロネシア語族原オセアニア語の場所の指示詞i*)と考えたのですが、その考えは次のような比較にもみることができるでしょう(例はそれぞれ崎山 平成2:104,106より)。
<指示詞イ>(動作の及ぶ場所・対象を指示する機能)
日本語 :イ向う
タガログ語:i-sulat(〜のために書く)
このように日本語とオーストロネシア語族にはイ・シの相関がみられるのですが、これらの相関について崎山氏は次のように考えられています(崎山 平成2:110)。
イ:特定の限定的な対象を指示する機能をもっていた
シ:対象が客観的に非限定であることを表わした
*筆者注:崎山氏の考えからは、イは単数機能的、シは複数機能的とみることができます。
ところで崎山氏の上の考えとさきほどの地名・人名にみられるイ・シの相関性とをうまく説明できるように、イとシの機能を次のように「状態性」「動作性」の違いとして考えると、次のようになります。
<状態性> <動作性>
イ(限定的) シ(非限定的)
i-(地名に) si-(人名に)
(単数機能的) (複数機能的)
このようにイ・シの機能を「状態性」と「動作性」の違いとして考えると、代名詞・指示詞や地名・人名にみられる日本語とオーストロネシア語族のイ・シの相関は単なる類似というべきものではなく、日本語とオーストロネシア語族が同系であることを強く示唆するものと考えざるをえないでしょう。
付記: 上の状態性と動作性の対立は「これ」と「それ」、つまり「こ」と「そ」の対立にも反映がみられます。これまではこの対立が「こ(k)」と「そ(s)」にもみられると思っていたのですが、「こ」と「そ」がそれぞれ状態性・動作性のどちらにあたるのかよくわかりませんでした。しかし一昨日(1999.8.15)大野氏の次の考えを読んでいて、それがはっきりしました。そこで古典語にみられる、接尾される語「イ」・「シ」についての大野氏の考えを次に紹介します。(大野・丸谷 昭和62:273)
「大野 そうです。「酒飲みて酔泣するまさりたるらし」は「酒飲みて酔泣きするそれまさりたるらし」でしょう。「し」は「それ」と訳してほとんど当るんです。それに対して「い」は「これ」だなと思った。…(以下省略)」
先ほどのイ・シの相関についての崎山氏の考えと大野氏のこの考えを「状態性」と「動作性」の対立としてとらえると、次のようになります。
<状態性> <動作性>
崎山氏:イ(限定的) シ(非限定的)
大野氏:これ(指示代名詞) それ(指示代名詞)
たとえば「これくれ!」と「それくれ!」や「ここ!ここ!」と「そこ!そこ!」といった言葉を比べてみましょう。そうするとこれらの言葉は同じように物や場所を指定しているのですが、「それくれ!」や「そこ!そこ!」といった場合、「これくれ!」や「ここ!ここ!」といった場合よりも何か漠然とした感じがします。つまり「こ(れ)」のほうが「そ(れ)」よりも指定性が高く、限定的に感じられることから、「こ(れ)」が状態性を、「そ(れ)」が動作性の機能をもっていることを確認することができると思います。
なお接頭語のイと接尾語のイとの関係について、大野氏は「…これで接頭語のイは、接尾語や助詞イとは全く関係がないことがようやくわかった。」(「古代の助詞と接頭語の「い」」の付記」より:大野・丸谷 昭和62:278)とされましたが、やはりこの接頭語と接尾語のイに対しては、「このように相互連関的でなく説明される「イ」は、その意味的関連性からみても、もとは同じ語(あるいは小辞)であったと考えられる。しかし奈良朝の言語使用者の意識では、すでにその間の語源的意味的なつながりはうすれかかっていたのかもしれない。」(崎山 平成2:102)という、崎山氏の言葉に耳を傾けるべきでしょう(実際そう考えてこそ日本語とオーストロネシア語族との同源を証明できるのですから)。
また琉球における助詞「イ」については「おもろ語「い」の文法的性格」(外間 昭和56:219-237)をみてください。この中でおもろ語の「い」には係助詞的用法があるとされていて、これまた古典語の「し」(「…これらを考え合わせると「し」は機能の上ではむしろ係助詞の役目を果たしたとみるべきである。…(以下省略)」(大野ほか 1990:1494)との相関がみられます。(詳しくは後の更新の「係り結びについて」で考察します。)
今回はこのイ・シの相関について、ごく簡単にふれましたが、このような状態性・動作性の対立は上のk/s以外にもt/sやk/tなど色々なところにみられます。この問題はのちの更新(「活格構造言語」)で再びとりあげたいと思っています。