「ティダ」の語源を探る
(2000.03.01 更新)
08.「シノノメ」「イナノメ」と「白」(シロ・シラ)の関係について
09.発光天体説について
10.鼻母音の音韻変化について
11.ガ行鼻濁音について
目次(「ティダ」の語源を探る)へ
まえがき(「ティダ」の語源を探る)へ
11.ガ行鼻濁音について
ここまでの考察によって連濁・連声・強調・二重語・方言形や、また撥音の起こりといった色々な現象を語末鼻母音の存在を考えることによって解き明かすことがことができました。そしてその鼻母音は京都方言では連濁や撥音が生じることによって消失したのですが、琉球の首里方言や波照間方言では語末の鼻音ngとして残っていることがわかりました。
ところで首里方言や波照間方言にみられる鼻音ngは京都方言の語中にもみられたもので、その後よく知られているガ行鼻濁音に変化しています。そこでこれから連濁に現れるこのガ行鼻濁音について考えていくことにします。
よく知られているように連濁は複合語の後項の語頭が清音から濁音にかわる現象で、たとえば複合語「山人」「山鳥」「山桜」(それぞれ上代語辞典編修委員会編 1985:773,p772,769:甲・乙類の別は省略)は次のような変化であると考えることができます。
《清音》 《濁音》
yama(やま)+hito(ひと) >yamabito(やまびと)(hは//)
yama(やま)+tori(とり) >yamadori(やまどり)
yama(やま)+sakura(さくら)>yamadzakura(やまざくら)
ここで「人」はpito>hito、「桜」はtsakura>sakuraの変化を考えると、清音が濁音になる連濁は無声音(p・t/ts)が有声音(b・d/dz)になる音韻変化と考えることができ、次のように表わすことができます。
無声音 有声音
pito-----→bito
tori-----→dori
tsakura--→dzakura
*ただし、のちp>h、ts>sと変化。
ところで複合語「山霧」の音韻変化をみると、その変化は次のように有声音gではなく鼻音に変化しています。
yama(やま)+kiri(きり)>yamairi(やまぎり)
*ガ行鼻濁音a・i・u・e・oはそれぞれ「・・・・」「・・・・」と書くこともあります。
このように「下にくれば濁ってあたりまえ−。」(小松 昭和56 :102)である連濁には無声音(p・t/ts)が有声音(b・d/dz)となる場合と無声音(k)が鼻音() となる場合とがあることがわかります。そこで上のような連濁における違いを、次のように表わすことができます。
清音(無声音p・t/s)--→濁音(有声音b・d/z)
清音(無声音k)------→ガ行鼻濁音(鼻音)
*ここでは50音図(カ・サ・タ・ハ行)にあわせて、ぞれぞれk/・s(<ts)/z(<dz)・t/d・h(<p)/bに書きかえました。(以下同じ)
ところでガ行音(gV:Vは母音)とガ行鼻濁音(V)との間には、次のようなきわだった法則があります。(平山 昭43 :96)
「5 共通語では、語頭では破裂音の[g]、それ以外では鼻音の[]というように区別して現われるのが原則になっています。
ガクダン [gakda] (楽団)
オンク [oak] (音楽)
ギム [gim] (義務)
カ [ka i] (鍵)…(このあと省略)」
ただしこの法則にもいくつかの例外があります。その違いを引用からまとめると、次のようになります。(平山 昭43:96-7)
「a.連濁の時は。
デンキ+カイシャ→デンキイシャ(電気会社)
ジューゴ+ヤ→ジューヤ(十五夜)
*数詞の意義がうすれたものは[]
b.但し、複合度が緊密でないものはg。
オンガク+ガッコー→オンクガッコー(音楽学校)
ジュー+ゴ→ジューゴ(十五)」
c.同音反復の擬声語・擬態語などはg。
ガヤガヤ・ギラギラ・グズグズ・ゲラゲラ・ゴロゴロ
上の複合語をみると、複合度が緊密でない時は有声音g、連濁の時は鼻音となっています。ところで「音楽学校」(-ga-)と「電気会社」(-a-)を比べると、その語義はそれぞれ「音楽(に関係するところ)の会社」「電気(に関係するところ)の会社」ですが、「音楽学校」は「音楽」と「学校」の間に少し間(切れ目)があり、それにたいして「電気会社」はより一つの言葉であるという思いがみられます。また「十五」の「ジューゴ」(-go)と「十五夜」の「ジュー」(-o-)を比べると、「十五」は「ジュー」と「ゴ」の感覚がのこり、それにくらべて「十五夜」の「ジュー」は「ジュー」と「ゴ」にわけることができない感覚がのこり、もうすでに一語になっているように思われます。このように複合語には同じように一語と考えられても、より一つの言葉になっているかどうかという熟合度の違いが見られます。そこでこの熟合度の違いを「語の緊密さ」のキツメ・ユルメとしてとらえると、連濁はその緊密さがユルメからキツメに変わったためと考えることができます。このように考えてくると、複合語「山霧」は次のように変化したと考えることができます。
yama(山)+kiri(霧)>yamagiri>yamairi(山霧)
つまり上のガ行鼻濁音への音韻変化は、次のようにまとめることができます。
k>g> *k:清音、g:濁音、
:ガ行鼻濁音
ところで上のガ行鼻濁音には現代東京語などで新しい音韻変化がみられます。(それぞれ小松 昭和56:137、平山 昭和43:97)
1.「「鍵」を仮名で書くと「かぎ」であるが、その実際の発音は東京でふたとおりになっている。その一つは[kai]であり、もう一つは[kagi]である。・・・東京語の場合、[kai]は高い年齢層に、また[kagi]は低い年齢層に、それぞれ偏って分布している。それは、すでに、kai>kagiという変化が相当に進行しているからであって、全国的に見れば[kai]という言い方をしない方言の方が多い。」
2.「このような事象は分布図に示したように、北海道・奥羽のほとんど、関東・中部・近畿のそれぞれ半分ぐらいの地域に分布しています。
ただし、東京・京都・大阪・北海道の中央都市などでは、若い年齢層の間で[]が消えて[g]だけになる傾向がめだっています。
このほか四国の高知県のほとんどと、紀伊半島南部の地域ではンガ[ga]であって、語頭でもそれ以外でもンガ[ga]です。これは国語史上の古音が残っているものです。」
*「このような事象」とは「ガ[ga]行音と[a]行音とンガ[ga]行音の分布」をさしています。その分布図(平山 昭和43:96)は省略しました。
上の引用から現代東京語では[]>[g]の変化が現在進行中であることがわかります。この変化は次のようになります。
>g
*:ガ行鼻濁音、g:濁音
ところで南奥の福島方言には共通語のガ行音にたいして、次のような対応がみられます。(平山 昭和58:65)
「…語頭以外では,一般に本来のカ行子音は[g]に,ガ行子音は[]になる(ただし[]〈行く〉のような例外はある)。
[sage] /sake/ 酒,[kae] /kage/ 影
/k/,/g/
[g]と[]が音韻論的対立を示す。[]が語頭に現れる例は見られないが,語頭以外では両者の対立がある。
{ [kag] /kaki/ 柿 (改行) [ka] /kagi/ 鍵
{ [kag] /kaku/ 掻く,書く (改行 )[ka] /kagu/ 嗅ぐ,家具…(以下省略)」
上の引用から共通語の語頭以外の清音文字と濁音文字に対応する福島方言の発音は、次のようになります。
共通語 福島方言
清音:k g
濁音: *ただし、現代東京語では[
]>[g]の変化が進行中。
また江戸時代の仙台地方などのガ行音の発音については式亭三馬(西暦1809-13)の『浮世風呂』からしることができます。そのことにふれた小松氏の言葉を次に引用します。(小松 昭和56:148)
「…田舎出の三助のことばや座頭の語る仙台浄瑠璃などでは、語頭以外でも[g]になっている。「うつたまげただあ」「まちがつたら」「なつたがな」(三助)、「おぎやり申もうせば」「いぐさ(戦)」「あかがり(=あかぎれ)」(座頭)などがその例であって、三馬はそれを「しろきにごり」と称し、濁点の中を白くしている。こういう発音が、当時の江戸の人たちには耳ざわりだったのであろう。」
上の引用からわかるように、江戸時代の仙台地方などのガ行音の語中・語尾は濁音のgで、それにたいして江戸ではガ行鼻濁音のであったことがわかります。そして先にみた現代の共通語と福島方言の対応(k/g、/)と現在進行中の現代東京語の[]>[g]の変化を考え合わすと、(現代)共通語と仙台方言の昔と今を次のように比較することができます。
現代共通語 仙台浄瑠璃(『浮世風呂』) 現代仙台方言
[k]:戦(いくさ) [g]:いぐさ [g]:いぐさ
[]:皹(あかれ)
[g]:あかがり []:あかり
上の比較と先の現在進行中の現代東京語の[]>[g]の変化を考え合わすと、ガ行音の音韻変化は次のように考えることができます。
k>g>>g
*k:清音(無声音)、g:濁音(有声音)、:ガ行鼻濁音(鼻音)
ここまでガ行音の色々な音韻変化をみてきました。しかしこのような有声音と鼻音の間を行き来する音韻変化は、日本語では古くからみられるものです。たとえばm(鼻音)→b(有声音)→m(鼻音)の音韻変化を起こした「候ふ・侍ふ」(さもらふ)から「侍」(さむらい)への変化は、次の通りです。(それぞれ日本大辞典刊行会編 9巻 昭和49:141-2,122,121,136)
samorafu→saburafu/saburafi→saburai→samurai
*「「さ」は接頭語。「もらう」は動詞「もる(守)」に上代の反復・継続の助動詞「ふ」の付いてできたもの。「様子をうかがい待つの意」(日本大辞典刊行会編 9巻 昭和49:141-2)
今回はここまでにします。このような有声音と鼻音の間を行き来する音韻変化が語義変化にどのように関わっているのかを、次回探ることにします。