「ハ行音の問題」について
(1999.05.03 更新)
このページから「ハ行頭子音の問題」を考えます。
問題1
5.ハ行頭子音の変化について
6.再びハ行頭子音の変化について
7.三たびハ行頭子音の変化について(1999.05.27 更新)
通説:p→F→h(ただし、「ヒ」のみはhからに変化した)
*p:両唇閉鎖音、F:両唇摩擦音、h:声門摩擦音、:硬口蓋摩擦音
さて、先きに紹介したように通説では、ハ行子音はp→F→hと変化し、その後、「ヒ」のみはhiからiに変化したと考えられています。ではなぜ上のような通説が考えだされたのでしょうか。そこでこの通説が考えだされた理由をみるために、福島氏の文章をまとめて、次に紹介することにします。(福島 1976:141-4)
また『体源抄』(豊原統秋:1512年)には次のような謎がみられます。(小松 昭和56:310)
上の1・2の資料ではF・hの混同とF→hの変化がみられます。また4では「母ニハ二度アフテ〜」の謎の答えが「唇」であるところから、「母」の当時の発音は両唇摩擦音Fの[aa]あるいは[awa]であり、声門摩擦音[haa](は有声門摩擦音[])もしくは[hawa]ではなかったと考えられます。3では「唇を合わせず唱ふ」となっているので、両唇摩擦音Fではなく声門摩擦音hであり、ここでもFからhへの変化がみられます。つまりこのような国内資料と外国資料などから、十五世紀末期にはF音であらわされていたハ行音は十七世紀の末期にはh音に変化していたと考えることができます。 また現代語の「ヒ」への変化として考えられる二つの変化を小松氏の文章から引用すると次のようになります。(小松 昭和56:252。は両唇摩擦音F)
「…もとになった音が[i]であったとすると、可能性として考えられるのは、次のふたとおりの変化のしかたである。
(1) 直接の変化 i>i
(2) 間接の変化 i>hi>i 」
そして小松氏は「ヒ」への変化として、(2)の母音[i]に引かれてhiがiに変化したhiの口蓋化を考えられました。そしてこのようなハ行音のF音からh音への変化の補強例として、小松氏は浮世絵師の歌川広重(1797-1858)が自分の作品に「色重」の名をもじりとして使っていることをあげておられます。(小松 昭和56:253)
「…もちろん、もじりであるから、ずれを承知である程度の無理をしているのは当然なので、確実なことは言えないが、発音の上からいうならば、[iroie]よりも[hiroie]の方が、いっそう[iroie]に近い。したがって、この時期が(2)の式の中間的な段階にあったために、「広重」と「色重」とが、音声のうえでも自然に結び付いたのではないかという推定がここから生まれてくる。もしそうだとしたら、[hi]から[i]に移行した時期は、それほど古く遡らないはずである。」
上の小松氏の考えをそのまま信じれば、ハ行の「ヒ」の変化はFi→hi→iとなります。
ところでハ行子音はいまみた通説のように変化したのでしょうか。国内資料や外国資料からは上のように考えざるをえないようにみえますが、それらの資料の解釈に問題はないのでしょうか。
そこでこれから上の通説が正しいかどうかを、いま生きて使われている各地の方言を比較することによって調べることにします。なぜなら方言を調べることによって、次のようなことがわかるからです。(小松 昭和56:253)
「…各地の方言を調査すると、変化の過渡期にあるさまざまの状態を見いだことができるので、変化の具体的過程を推定することが可能になる。そういう研究を言語地理学、ないし方言地理学という。いまの問題はそういう方法を導入して解決することが望ましいが、さしあたりその資料がない…(以下省略)」
*筆者注:「いまの問題」とは先のiからiへの変化が(1)であるか(2)であるかを決めること。
ところで上の引用からわかるように、小松氏はハ行の「ヒ」の変化に対しては「さしあたりその資料がない」として、上の「色重」の名のもじりを例にしてFi→hi→iの変化を考えられています。しかし共通語も含めて生きた方言のなかには「ヒ」の変化を探るための手がかりがないのでしょうか。もしないとするならいったい何のために言語地理学あるいは方言地理学という学問があるのでしょうか。
ここで「ヒ」の方言資料として、「光る」の例を見てみることにします。(平山 平成5:5巻 4238-41)
青森[kar] 新潟[kar] 東京[kar]
静岡[ikar]
三重[hikaru] 滋賀[ikar]
京都[hikaru] 大阪[hikaru] 奈良[hikaru]
徳島[hikaru] 岡山[hikaru] 山口[ikaru]
鳥取[ikar]
福岡[karu] 宮崎[karu]
*他の方言、アクセントの表示、調査地点名は省略。
*は歯茎硬口蓋摩擦音([])。は硬口蓋摩擦音([])。hは声門摩擦音([h])。・は母音i・中舌母音のそれぞれの無声化母音([]、[])。は共通語の平唇のウ([])。または平唇ウの中舌化母音([])。uは近畿地方周辺にみられる円唇のウ([u])。
上の各地の方言からわかるように、[hi]が使われているのは近畿地方周辺であるといえます。また母音・や・がもと都からみて辺境地帯に現われていることから、「古語は田舎に残る」とされる方言周圏論の考えを「光る」にあてはめることができます。そうすると東京の[kar]のほうが京都の[hikaru]よりも古い発音を残していると考えることができます。そして語頭がヒではじまる大和言葉の多くに上の「光る」にみたような傾向がみられるので、語頭のハ行音のヒは[i]が古く、[hi]が新しいと考えることができます。つまり語頭のヒはその昔[i]が全国をおおっていたのですが、その後いまの近畿地方で[i]が[hi]に変化したため、[i]が分断され現在のような方言分布を出現させたと考えることができます。
ところで先ほどみたように通説では、ハ行頭子音のヒは(pi→Fi→)hi→iのように変化したと考えられていて、いま考えた方言周圏論の考えによる(pi→Fi→)i→hiの変化とは全く反対になっています。
ではハ行頭子音の「ヒ」の変化は通説と方言周圏論の考えとではどちらが正しいのでしょうか。この問題を考えるために、語頭のヒの変化をみてみることにします。
東京の下町言葉に見られる「「ひとつ」をシトツ、「火鉢」をシバチ」(福島 1976:144)と言うヒとシの混同は余りにも有名ですが、上にみたように現代の青森方言で「光る」を[kar]と言うところから、東京方言で個別的に起こっている語頭のヒとシの混同(つまりヒ→シの変化)は青森方言が数ある方言の中でさきがけをなしていると考えることができます。そして少なくとも1700年末頃には江戸言葉ではヒとシの混同がみられ(福島 1976:143-4)、通説ではFi→hi→iの変化と考えられているのでその変化をつなぐと、青森方言のスィ([i])への変化はFi→hi→i→iと考えられます。ところで通説では前にみたように十五世紀末期にはFi音であったハ行音が十七世紀の末期にhi音に変化したと考えられています。つまりこれらの変化から当時江戸から僻遠の地であった津軽まで語頭のヒの多くがわずか300年ほどの短期間に(Fi→)hi→i→iと変化したと考えねばなりません。しかしながらhi→i→iの変化がわずか300年ほどの間に起こるとはとうてい考えられません。つまり青森方言がヒ→シの変化のさきがけをなしていると考えると、語頭のヒがFi→hi→iのように変化したとする通説は疑わしいと考えることができます。
では語頭のヒがFi→hi→iのように変化したのではないとするなら、語頭のヒはどのような変化をしたのでしょうか。この問題を考えるため語頭のハ行音はどんな音であるのかをみていくことにします。
ハ行音は国際音声字母をもちいて[ha]、[i]、[u]、[he]、[ho]と表記される音です。ところがこのハ行音は、博言学者である故橋本氏が我慢できないところとして言われるような音でもあるのです。橋本氏の主張をその著書から引用してみます。(橋本萬太郎 1981:214)
「つまり、日本語の「ハ」行音節の頭子音は、音韻論的には、問題なく子音とできるが、音響学的には、母音と子音の中間にくるような性格をもっている。そのために、問題の「ハ行」の5音節は、べつのあらわしかたをすれば、国際音声字母をもちいて、ハ[a]、ヒ[i]、フ[]、ヘ[e]、ホ[o]と表記してもいいような音声なのである。(下に小さなマルをつけるのは、無声化のしるし)。…(以下省略)」
*筆者注:は現代共通語の平唇のウ([])、は平唇ウの無声化音([])
上のように考えたハ行音はV(Vは母音a、i、、e、o。はVの無声化音)とあらわすことができます。ところでハ行音のフは国際音声字母(IPA)を用いて[u]と表記されるので、上の[]と[u]は同じ音であるのは言うまでもありません。そしてファ行音のファ・フィ・フ・フェ・フォは国際音声字母で[V](Vは母音a、i、、e、o)とあらわされる音であるところから、ファ行音は橋本氏の表記に従えば、[V](は平唇ウの無声化音。Vは母音a、i、、e、o)とあらわすことができます。そこでファ行音とハ行音をそれぞれの表記であらわしてみると、次のようになります。
<ファ行音> <ハ行音>
ファ フィ フ フェ フォ ハ ヒ フ ヘ ホ
橋本氏表記:[a][i][][e][o] [a][i][][e][o]
IPA表記 :[a]
[i] [u]
[e] [o] [ha] [i] [u]
[he] [ho]
*・・・・はそれぞれ母音a、i、(平唇ウ)、e、oの無声化音。但し、[u]のuは平唇のウ([])。
上のそれぞれの表記を一般式であらわすと次のようになります。
<ファ行音> <ハ行音>
橋本氏表記:[V] [V]
IPA表記 :[V] [ha][i] [u]
[he] [ho]
*はそれぞれ母音V(a・i・u・e・o)の無声化音([]・[]・[]・[][])。但し、uは平唇のウ([])。はその無声化音([])。hは声門摩擦音([h])、は硬口蓋摩擦音([])、は両唇摩擦音F([])。
ところで語頭のハ行音はファ行音からハ行音へ変化したと考えることができるので、ファ行音からハ行音への変化を橋本氏の表記で考えてみると、次のようになります。
[V]→[V]
*、V、は上に同じ。
上の変化は(フを除けば)唇の結びかたが弱くなったため、後ろの母音Vに引かれて無声化音がに変化したと考えることができます。つまりこのように考えるとハ行頭子音のヒは[Fi]から直接[i]に変化し、近畿地方周辺にみられる[hi]はそのあと[i]から変化したと考えることができます。そしてヒの変化と同じようにハ行頭子音のハ、ヘ、ホはそれぞれ[a]・[e]・[o]から直接[ha]・[he]・[ho]に変化したと考えることができます。このようにハ行頭子音(語頭のハ行音)の変化は[V]→[V]であると考えることができるのですが、上の表記はあまりなじみがないので、よく知られている表記を使ってあらわすと、次のようになります。
このようにハ行頭子音のハ、ヒ、ヘ、ホの変化はF→/hと考えることができますが、この変化の傍証としては、次のような文章が役にたつと思われます。(國廣 1983:88-9)
「最後の例は「フ」の頭子音である。普通は唇を近づけて摩擦音を出す[]というふうに発音するが、四〜五年前(筆者注:1970代終わり頃)にはじめて気がついたのだけれども、これをのどの奥で[]と発音する東京育ちの若い人がいることに気がついた。これは音響学的に見ると納得できる現象であって、唇で[]というにしても、のどで[]というにしても、口が一種の共鳴箱になっているわけであるが、その共鳴箱の前と後ろの口のどちらかを狭めて無声の摩擦音をだすということは共通しているわけである。であるから、われわれの耳にもほとんど同じように響くわけである。そういう現象がある。」
*筆者注:は両唇摩擦音F([])。は口蓋垂摩擦音([])
*英語の唇歯摩擦音[fi]を写した借用語の[i]についてはこちら。(2003.8.13追記)
上の國廣氏の観察からハ行頭子音の「フ」は両唇摩擦音の[]から硬口蓋摩擦音の[]を越えて、口蓋垂摩擦音の[]へ変化しつつあることがわかります。そしてこの変化がさらに進めば声門摩擦音の[h]になることを考えると、ハ行頭子音の「フ」もFu→→huへの変化の兆しがみえてきたといえます。そしてこの円唇退化(Fu→)は共通語の[]が近畿地方の[u]よりも円唇性が強くないため、まず共通語の[]のほうからはじまったと考えることができます。このようにハ行頭子音は個々の母音にその変化の遅速があるとはいえ、声門摩擦音hに向かって円唇退化(F→h)をしていると考えることができます。つまり先にみたように、ハ行頭子音の変化は一般式として(p→)/hとあらわすことができます。しかしハ行頭子音がFから/hに変化したと考えることには問題があります。すぐこのあとこの問題を考えることにして、とりあえずハ行頭子音の変化を一般式として、次のようにあらわしておきます。
X→F//h
*F・・hは上に同じ。XはFに変わる前の音。
*フ/ヒ/ハ・ヘ・ホのそれぞれの変化はXu→Fu、Xi→i(→hi)、XV→FV→hV(Vは母音a、e、o)のように読みかえること。
*「広重」の名のもじりとして「色重」の名を使っていることに対しては上の変化式では矛盾を生じます。このもじりは上代に馬のいななき(馬声:現代語でヒヒン)を「イ」であらわしていることと同じ問題ですが、後の更新で正しい答えをだすことにして、今は省略します。(小松 昭和56:261-3、橋本進吉 1980:7-10)
*この問題の答えはこちらへ