「ティダ」の語源を探る
(2000.12.15 更新)
このページは前項「15.前鼻音化現象とは?」からの続きです。
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16.日本語にみられる鼻音代償形
前回はオーストロネシア語族の前鼻音化現象とよく似た現象が日本語の連濁と相通現象にみられることを述べました。そこで今回は日本語とオーストロネシア語族とのあいだの深いつながりをみるために、前鼻音化現象(鼻音代償と鼻音前出)や前接辞*pi・*mi、また語末鼻音ngの対応について見てみたいと思います。
まず前鼻音化現象の一つである鼻音代償の対応をみるために、日本語とオーストロネシア語族西部語派(ヘスペロネシア語派)に属するタガログ語の次の言葉を比べてみます。(日本語はそれぞれ日本大辞典刊行会編 昭和50:16巻 609,18巻 510,17巻
636,17巻 654、タガログ語はすべて崎山 1978:114)
<A例>
日本語(h/m) タガログ語(k/)
hikaru(光る)(光沢を有する) makals(ほどける)
miaku(磨く)(光沢をだす) maals(ほどく)
<B例>
日本語(t/n) タガログ語(b/m)
hetaheta(へたへた(と弱りて・・・)) mabahay(家のある、住宅地の)
henahena(へなへな(の麦藁帽子・・・)) mamahay(居住する)
*「へたへた(と弱りて・・・)」の「へたへた」は副詞。「へなへな(の麦藁帽子・・・)」の「へなへな」は形容動詞。「へなへな」には「へなへな(した渡板・・・)」(日本大辞典刊行会編 昭和50:17巻 654)のように副詞の用法もあります。
上の比較例は次のように比べることができます。
<A例>
日 本 語 : タ ガ ロ グ 語
音韻:無声子音(p) 鼻音(m) 無声子音(k) 鼻音()
用法:自動詞 他動詞 自動詞 他動詞
*日本語はp>hの変化
<B例>
日 本 語 : タ ガ ロ グ 語
音韻:無声子音(t) 鼻音(n) 有声子音(b) 鼻音(m)
用法:副詞 形容動詞 形容詞 動詞
上の比較からわかるように日本語ではh〜m(ただし*p>h)・t〜n、タガログ語ではk〜・b〜mとそれぞれ音韻変化がみられ、子音と鼻音の違いで意味の違いを表わしているのがわかります。その変化をまとめると次のようになります。
音韻変化 :C/C'〜Nc
用法(A例の場合):自動詞〜他動詞
*C/C'はそれぞれ無声子音・有声子音。Ncはそれらに対応する鼻音
*ただし*p>h(日本語)
ところでこのような子音が鼻音に変わる音韻変化はオーストロネシア語族の珍しい特徴で「鼻音代償」と言われています。前回の更新ではこの鼻音代償と鼻音前出をあわせた前鼻音化現象について次のような言葉を引用しておきました。(崎山 1978:114)
「…原則としてすべての音にこの現象が起こり、また起こさない時とは接頭辞に文法的な機能の違いを生ぜしめる。南島語*一般としていえば、起こさない場合(*ma-)は語基の状態になること、起こす場合(*maN-)は他動詞的な働きをもつわけだが、タガログ語の場合、起こした形は習慣的・反復的行為をも表わ表わす。…(このあと省略)」
*筆者注:オーストロネシア語族に属する言語のこと
上の言葉からオーストロネシア語族では前鼻音化現象を起こさない場合は「語基の状態になる こと」、起こす場合は「他動詞的な働きをもつ」ことがみられると考えることができます。そこでこの違いを「状態」(「語基の状態になる こと」)と「動態」(「他動詞的な働きをもつ」)の違いと考えることにします。するとA例では「ひかる」(光沢を有する)と「makals」(ほどける)は自動詞で、「みがく」(光沢をだす)と「maals」(ほどく) は他動詞であるので、「ひかる」と「makals」は状態性、「みがく」と「maals」は動態性をあらわすと考えることができます。またB例の「へたへた(と弱りて・・・)」と「へなへな(の麦藁帽子・・・)」を比較すると「へたへた」は副詞、「へなへな」は形容動詞であり、タガログ語の「mabahay」(家のある、住宅地の)は形容詞、「mamahay」(居住する)は動詞であり、ここでも「(より)状態的」と「(より)動態的」の違いがみられます。つまりA例もB例もそこには「状態」と「動態」の違いがみられると考えることができます。そしてさきほど比較した語彙を「状態」と「動態」の観点から、その違いを次のようにあらわすことができます。
日本語 タガログ語
状態:光る(自動詞)・へたへた(副詞) makals(自動詞)・mabahay(形容詞)
動態:磨く(他動詞)・へなへな(形容動詞) maals(他動詞)・mamahay(動詞)
このように見てくると日本語にもタガログ語と同じような鼻音代償があると考えることができるのではないでしょうか。
上の比較から日本語とタガログ語には鼻音代償の対応が見られることがわかりましたが、前鼻音化現象のもう一つの鼻音前出の対応をみるために、日本語とタガログ語の次の言葉を比べてみます。(日本語は上代語辞典編修委員会編 1985:489、タガログ語は崎山 1978:114)
日本語(t/d) タガログ語(g/g)
tokitoki(ときとき(時時))(時を定めて) maganyk(誘われる)
tokidoki(ときどき(時時))(ときおり)
maganyk(勧誘する)
*t>nd>d(連濁のド(do)はもと清音ト(to)で、中世には入りわたり鼻音をもつンド(ndo)であったと考えられています。
*『時代別国語大辞典上代編』(p489)の注:「・・・【考】日葡辞書によると、トキドキ・トキトキの二形があり、前者はときおり・ときたまの意であるが、トキトキは時を定めて・その時その時に、という意味の別があった。・・・(以下省略)」
日本語ではt〜(nd<)d、タガログ語ではg〜gの音韻変化が見られ、無声子音(日本語の場合)または有声子音(タガログ語の場合)と鼻音付き子音の違いで意味の違いを表わしているのがわかります。ところでタガログ語の比較ではすぐに受身形(「誘われる」)と他動詞(「勧誘する」)の違いであることがわかりますが、日本語の「ときとき」と「ときどき」の違いはあまりよくわかりません。そこで「ときとき」と「ときどき」の違いをこれから考えることにします。
上の注によれば「トキトキ」は「時を定めて・その時その時に」、また「トキドキ」は「ときおり・ときたま」の意味であることから、「トキトキ」には時の停止(定点的)、「トキドキ」には時の繰り返し(流動的)をみることができます。つまり「トキトキ」と「トキドキ」の違いはかなりわかりにくいのですが、そこには「状態」と「動態」の違いとしてとらえることができます。このように考えてくると先に鼻音代償を「状態」と「動態」の違いとしてとらえたように、さきほど比較した語彙を「状態」と「動態」の観点から、その違いを次のようにあらわすことができます。
日本語 タガログ語
状態:ときとき(定点的:固定性) maganyk(受身形)
動態:ときどき(流動的:繰り返し) maganyk(他動詞)
このように見てくると日本語にもタガログ語と同じような鼻音前出があると考えることができるのではないでしょうか。
ところでオーストロネシア語族メラネシア諸語に属するフィジ語にも鼻音前出がみられ、次のようなことが知られています。(崎山 1978:115)
「・・・オセアニア諸語にもこの現象は痕跡としてであるが残る。フィジ語の正書法b,d,qは、それぞれ[mb,nd,g]と発音され、語頭・語中に現われるが、この現象を起こした語と起こさない語とはしばしば意義の分化を行って共存することがある。mbulu(kovu)「結んだ髪」:vulu(a)「髪」、nduva「毒流し漁用樹木」:tuva(kei)「樹木の一種」、gari「引っかく」:kari「削る」のように。これに対してデムプウォルフは*bulu‘,*tuva‘,*gait'がそれぞれに変化したと単純に考えるが、やはり前鼻音化への深入りを避けたのである。しかし、この場合、何か接頭辞が付いていたその名残であるかも分からない。このようなフィジ語の現象からその反映を日本語にも見出そうとしたのはロシアのポリワーノフ(E.D.Polivanov)であり(24)、その後、前鼻音化現象の考えを日本語系統論の中で押し進めているのが村山七郎である。」
このようにフィジ語にも痕跡としてではあるが鼻音前出がみられるのですが、ここでフィジ語とタガログ語にみられる鼻音前出の現われかたの違いをみるために、再び日本語とともに次の言葉を比べてみます。(タガログ語とフィジ語はそれぞれ崎山 1978:114-5.
日本語は上代語辞典編修委員会編 1985:489)
タガログ語(g/g) フィジ語(k/g) 日本語(t>nd>d)
maganyk(誘われる) kari(削る) トキトキ(時を定めて)
maganyk(誘われる) gari(引っかく) トキドキ(ときおり)
上のタガログ語・フィジ語と日本語の意味の違いをみてみることにします。タガログ語ではmaganyk(誘われる:受身形)とmaganyk(勧誘する:他動詞)と意味の違いは見た目にもはっきりしていますが、フィジ語「kari」(削る)と「gari」(引っかく)、また日本語の「トキトキ」(時を定めて)と「トキドキ」(ときおり)にみられる意味の違いはもう一つはっきり言うことができません。
ところで日本語の「掻く」に対しては次のようなことが考えられています。(上代語辞典編修委員会編 1985:179)
かく[掻](動四)@掻く。ひっかく。・・・「眉根削かき鼻ひ紐解け待つらむか」(万二四〇八)・・・【考】「削」の字をカクにあてているところをみれば、掻いて削りとる・そぎ取るの意もあったかと考えられる。次項書カクもこの掻クと語源的につながりをもつ語であろう。(かき)=なぐ・‐なす・足あ=・太刀‐、(かく)足あ・い→次項」
このように「削る」と「掻く」は関わりがあると考えられ、「引っかく」は「爪などで強くかく」(日本大辞典刊行会編 昭和50:17巻 5)ことなので、日本語から類推してフィジ語の「gari」は「kari」の「強め」であると考えることができます。また前にみたように日本語の「トキドキ」(ときおり)にはトキ(時)の「繰り返し」がみられます。つまりフィジ語の「gari」には「強め」が、日本語の「トキドキ」には「繰りかえし」がみられ、この「強め」「繰りかえし」は「状態」に対する「動態」としてとらえることができます。そしてこのように考えてくると、上で比較した語彙を「状態」と「動態」の観点から、その違いを次のようにあらわすことができます。
タガログ語(他動詞化) フィジ語(強め) 日本語(繰り返し)
状態:maganyk(誘われる) kari(削る) トキトキ(時を定めて)
動態:maganyk(誘われる) gari(引っかく) トキドキ(ときおり)
*日本語の「掻く」とフィジ語の「kari」(削る)は同源と考えられるでしょう。
このように見てくると日本語にもタガログ語(やフィジ語)と同じような鼻音代償があると考えることができるのではないでしょうか。
*注:フィジ語の正書法にでてくるb,d,qはそれぞれ[mb,nd,g]と発音されるのは中世の都訛り(現代の京都方言)や東北方言にみられる入りわたり鼻音(mb・nd・g)(例:“マンズ”(先ず) 平山 1985:51) と根が同じものであると考えられます。そして日本語とフィジ語にかすかにみえる鼻音代償の似かよりから、日本語はタガログ語よりもフィジ語により関わりが深いと考えることができるのではないでしょうか。
ここまでみてきたように日本語とオーストロネシア語族には前鼻音化現象(鼻音代償と鼻音前出)の対応を認めることができると思われるのですが、皆さんはどのように思われたでしょうか?単なる偶然にしてはよく似ていると思いませんか。そこでもうひとつ日本語とオーストロネシア語族の面白い対応を見てみるために、日本語とオーストロネシア語族に属するカウィ語(古ジャワ語)の次の言葉を比べてみます。(日本語はそれぞれ日本大辞典刊行会編 昭和50:16巻 701,18巻 574,カウィ語は崎山 1978:121)
日本語 カウィ語
ひそか(人にしられないようにするさま) pitutur(忠告)
みそか(人にしられないようにこっそりするさま) mitutur(i)(忠告する)
*ハ行音はp>hの変化。tutur:「思う」(カウィ語)
*「ひそか」の注:「・・・同義語ミソカは、上代に確かな例が見えない。」(上代語辞典編修委員会編 1985:611)
*「みそか」の補注:「漢文訓読文に用いられる「ひそか」に対して和文脈に用いられた」(日本大辞典刊行会編 昭和50:18巻 574)
ところで「ヒソカ」「ミソカ」のカは「ハルカ」(遥か)や「ユタカ」(豊か)にみられる接尾語のカと考えられ、「ヒソカ」と同根の言葉には他にも「ヒソヒソ」「ヒソム」「ヒソヤカ」の言葉があることから、「ヒソカ」「ミソカ」は語基ソにそれぞれ接頭語ヒとミをつけ加えて作られたと考えることができます。またカウィ語も同じように語基「tutur」(思う)に前接辞pi・miをつけ加えてそれぞれ「pitutur」「mitutur(i)」の言葉ができています。このように日本語とカウィ語には語基の前にそれぞれ接頭語ヒ・ミや前接辞pi・miを付け加えることによって、それらの意味がかわる現象がみられるので上の引用例の対応がどのようなものであるかを、これからみてみることにします。
まず日本語の「ヒソカ」と「ミソカ」の意味の違いをみてみることにします。「ヒソカ」と「ミソカ」の意味はそれぞれ「人にしられないようにするさま」と「人にしられないようにこっそりするさま」であることから、「ヒソカ」と「ミソカ」の意味の違いは「ひっそりと」と「よりひっそりと」との違いであると考えられます。そうすると「ミソカ」は「ヒソカ」に比べてより「強め」の意味が付加されていると考えることができ、その違いを「普通」と「強め」の違いとみることができます。ところでさきほどフィジ語の「kari」(削る)と「gari」(引っかく)の違いを「普通」と「強め」の違いとみて、その違いを「状態」と「動態」の違いとして比較しました。そこでここでもヒソカとミソカとの意味の違いを「状態」と「動態」の違いとして、次のようにあら*わすことができます。
日本語(強め)
状態:hisoka(ヒソカ:ひっそりと)
動態:misoka(ミソカ:よりひっそりと)
*ハ行音はp>hの変化。
またオーストロネシア語族の前接辞*pi-/*mi-の働きについては、次のようなことが知られています。(崎山 1978:121)
「*pi-,*mi-も再構できるが(*bi-も措定できるかもしれない)、これはカウィ語で使役化の名詞または動詞を作るために使用されていたほかは(pitutur「忠告」、mitutur(i)「忠告する」、tutur「思う」)、中央部にはもはやなく、マラガシ語の道具を表わす名詞を作るfi-、動詞化のmi-(fihogo「櫛」、mihogo「髪を梳る」、hogo「梳る」)、台湾のヤミ語の名詞を作るpi-、動詞化のmi-(pikuun「夫婦にさせられた人=結婚した人」、mikou「夫婦になる」、kou「夫婦」)のように、いずれも古形が周辺に残るという方言周圏論的な現象が見られる。」
このようにオーストロネシア語族の前接辞*pi-は名詞を、*mi-は動詞を作る働きがあり、新しくできた語基の違いが名詞(固定的)と動詞(作動的)であることから、前接辞*pi-/*mi-の働きの違いは状態と動態の違いと考えられます。そこで上の各言語の語彙の違いを、次のように比べることができます。
カウィ語 マラガシ語 ヤミ語
状態(p):pitutur(忠告) fihogo(櫛) pikuun(結婚した人)
動態(m):mitutur(i)(忠告する) mihogo(髪を梳る) mikou(夫婦になる)
*マラガシ語のfiは*pi>fiの変化。
上の比較をまとめると、次のようになります。
状態:名詞化(前接辞*pi-の働き)
動態:動詞化(前接辞*mi-の働き)
このようにみてくると、日本語の接頭語ヒ・ミとオーストロネシア語族の前接辞*pi-・*mi-の違いを「状態」と「動態」の違いとしてとらえることができ、その違いは次のように比べることができます。
日本語 オーストロネシア語族
状態:pi(接頭語ヒ:普通) *pi-(前接辞:名詞化)
動態:mi(接頭語ミ:強め) *mi-(前接辞:動詞化)
*ハ行音はp>hの変化
このように見てくると日本語の接頭語ヒ・ミとオーストロネシア語族の前接辞*pi-・*mi-の対応を認めることができるのではないでしょうか。
19.鼻母音の対応について
さて次は日本語とオーストロネシア語族の鼻母音の対応をみることにします。だいぶん前の更新で波照間島方言の語末鼻音ng(例:skng「月」)について考察しましたが、この語末鼻音ngに対して崎山氏は次のように述べておられます。(崎山 平成2:118)
「東インドネシアからこのルートを通って琉球の八重山方言にいたる言語で、語末に現在では無意味の鼻音(excrescent
ng)を添加する現象がみいだされることが多い。この-ngはもとは定冠詞であったという説もある。
インドネシア東北部のサンギル語では(原オーストロネシア語*bulu>)bulu-ng「毛」:(*inum>*inu>)inu-ng「飲む」のように語末に-ngが出現する(ただし出現しない語もあるが、その間の規則はわからない)。ミクロネシア西部のパラウ語では現在も(英語 store→)stoa-ng「店」;Ak
mo (*ma-kaen>)mnga-ng「私は食べる(mnga)だろう」のように、母音で終わる語末や発話の文末に通常、現われる。」
上の言葉からわかるように、パラウ語にも波照間島方言と同じ語末鼻音ngがみられ、そこには次のような音韻対応がみられます。(崎山 平成2:118)
波照間島方言:sk-ng(「月」)
パラウ語 :stoa-ng(<store:「店」)
ところで上の音韻対応に対して、崎山氏は上の引用にひきつづいて、次ぎのような考えをだされています。(崎山 平成2:118-9)
「八重山では、波照間島方言でsk-ng「月」;pato-ng「ハト」などのようになる。首里方言の動詞の終止形に現われる起源不明の-ngもこの線上で考えることができるかもしれない。また首里方言の-ngにたいして、文が終止する息の段落には発音器官が休息の状態にあり、-ngが現われたという説明もあるが[服部 一九五九:三四七―三四八]、もし仮にそうであるとすれば、この現象が出現する地域性をどのように説明すればよいか。」
そして少しあとで「原オセアニア語と古代日本語との間に存在する以上のような並行的現象にたいし、言語類型地理論的にも説明が要求されるであろう。」(崎山 平成2:119)と言われています。確かに上のような珍しい音韻対応には目を引くものがあり、もしサンギル語やパラウ語などの語末鼻音ngと波照間島方言の語末鼻音ngの根が同じものであるならば、「原オセアニア語と古代日本語」(上の引用より)の同源を証明するための重要な証であると考えることができるでしょう。そこでこれからこの問いに答えるために日本語の「月」の語末鼻音ngについて考えることにします。
前に波照間島方言のskng(「月」)は中世の都訛り(つまり現在の京都方言)のtuk(「月」)に対応していて、それらはどちらも語末が鼻母音であるtukからの音韻変化であることをみましたが、ここで再びその「月」の音韻変化を示すと次の通りです。
波照間島方言 中世の都訛り(→京都方言)
「月」:*tuk-----→skng /tuk(→tsuki)
(鼻母音)-→(語末鼻音あり) (語末鼻音なし)
上のような音韻変化を知ったうえで、パラウ語stoang(「店」)への音韻変化を考えると、そこに次のような音韻変化を考えることができます。
鼻母音→語末鼻音あり
パラウ語:*sto--→stoang
さてパラウ語に上のような音韻変化を考えると、パラウ語stoangにみられる「無意味の鼻音を添加する現象」(先に引用した崎山氏の言葉より)はパラウ語にもと存在した鼻母音の残存事象として語末鼻音ngがあらわれたと考えることができます。つまり語末鼻音ngを鼻母音からの音韻変化と考えることによって、波照間島方言とパラウ語にみられる語末鼻音ngはそれらの言葉の見かけの上の対応ではなく、鼻母音の残存事象としての対応と考えることができます。そこでその対応をみると、次のようになります。
鼻母音>語末鼻音
日本語tsuki(「月」) :*tuk--→sk-ng(波照間島方言)
パラウ語stoang(「店」):*sto--→stoa-ng
このように日本語とオーストロネシア語族には鼻母音の対応がみられ、そのことによって日本語とオーストロネシア語族が同系である証の一つとすることができるでしょう。
ここまでオーストロネシア語族の文法特徴としてよく知られている前鼻音化現象(鼻音代償と鼻音前出)、前接辞*pi-・*mi-や語末鼻音ngがそれぞれ日本語では入りわたり鼻音から変化した連濁と相通現象、接頭語ヒ・ミや波照間島方言の語末鼻音ngとして現われているのを見てきましたが、皆さんはどのように感じられたでしょうか。たしかに日本語とオーストロネシア語族にみられるこれらの対応は本当に珍しい対応ですが、これだけでは皆さんから単なる偶然、他人の空似じゃないかといわれそうです。そこで次回からもっと誰にも納得できる連濁や動詞活用、また係り結びといった日本語だけの特徴と考えられている文法事象の対応を皆さんに見ていただくことにしたいと思います。
まず最初は上で日本語とオーストロネシア語族とのあいだに鼻母音の対応がみられると考えた、その鼻母音の由来を考えることにします。しかしそのためにはまず日本語の珍しい特徴である「連濁」の問題を解決しておかなければなりません。その「連濁」の問題を解決し、そこから得られた結論を使って日本語とオーストロネシア語族のあいだにある鼻母音の対応を証明していくことこそ言語学の教える道でもあるはずですから。
次回から「連濁」の問題(「連濁はいつ起こるのか?」)を解くことにします。