「ハ行音の問題」について


(2010.2.20 更新)

    このページは「ハ行音の問題」のつづき(「ハ行音の変化について」)です。

D.問題3
 13.
ハ行音はF以下、なぜ違った変化をしたのか
E.問題4
 14.なぜハ行音は変化をしたのか
F.日本語とオーストロネシア語族にみられるイ・シの相関について
G.
あとがき
H.
「ハ行音の変化について」(2010.2.20改定)


1.はじめに

 ハ行音の変化を考えることにします。通説ではハ行の頭子音はp→→h, 語中尾(ハ行転呼)はkai>kawi>kai(貝)のように変化した(1)と考えられています。

2.ハ行の語頭と語中尾の変化はどのような違いなのか

 このようにハ行の語頭と語中尾の変化には違いが見られるのですが, その原因は有気音と無気音の違いにあると考えられます。
たとえば「高い」と「硬い」の発音を観察すると, 「「タカイ」の[ta]では、出た息のために紙片が揺れるが、「カタイ」の[ta]では、その紙片がほとんど動かない」(2)ことがわかります。つまり語頭音と語中尾音の息の出方の違いを考慮すると, 現代語のカ・タ行の語頭には有気音, 語頭以外には無気音が現われていることがわかります。そこでこの対立が古代のカ・タ・ハ行にも起こっていたと考えると, 語頭子音はk,t,p, 語中尾子音はk,t,pであったと考えることができるでしょう。


3.ハ行頭子音の変化について

 ところで有気閉鎖音athaと破擦音atsaのカイモグラフがよく似ている(3)ことから, 有気両唇閉鎖音pから無気両唇破擦音p(4)への変化を考えることができます。そしてその後, 「破擦の最後が単なる摩擦音になってしまう破擦化」(5)がハ行頭子音に起こったと考えると, ハ行の語頭子音は(p→)pp(6)→h(但し, 現代語のヒは, フは)のように変化したと考えることができるでしょう。


4.ハ行転呼の変化について

 「貝」は通説ではkai(カヒ)kawi>kai(カイのように変化したとされていますが, 文献では「カヰ」の表記が見られないことから, 「貝」は「カヒ」で表記された音から直接「カイ」と表記された音に変化したと考えるのが自然でしょう。そこで今まで誰も考えなかったこのアイディアを生かすために, ハ行転呼によってできた音Xは現在の母音Vとは異なる音であったと考えると, カオ(「顔」)の変化は kapo(カホ)→kaX(カオ1)→kao(カオ2)のように考えることができるでしょう。

5.喉頭化母音について

 さてこのような考えから, 現代音o(オ2)に変化する前の音X(オ1)を本土方言の中に探して見ると, 語頭が声門閉鎖音(//)で始まる音があることに気づきます。声門閉鎖音は, 「ゴホンと咳をするときの、最初の、のどがしまるような感じがする」(7) 音で, たとえば「朝」は「東京[asa] (改行) 京都[asa]」(8)のように, 語頭に声門閉鎖音があるか無いかの違い(9)がみられます。そこで中世以前には語中尾音節に声門閉鎖音が存在したと考えると, ハ行転呼によってできた音
喉頭化母音Vと考えることができます。つまり, 「顔」の変化は(kapo→)kao→kaoのように考えることができるでしょう。

6.喉頭化子音tはなぜ発生したのか

 ところで八重山の与那国(島)方言には, 「[t‘a](田)―無声有気音(改行)[da](家)―有声音(改行)[ta](舌)―無声無気音(改行)のような、3項対立」(10)がみられます。そこでこの珍しい三項対立に現われる無声無気音(喉頭化子音t)の発生原因を探るために近隣の方言(「舌」(11))をみてみると, 「石垣島 [sta:](改行)波照間(はてるま) [sta:](改行)小浜島 [sta](改行)新城島 [sta](改行)西表(いりおもて)島 [sta](改行。一部省略)与那国島の[ta]」(12)のようになっています。そこでこの喉頭化子音tの発生原因として, 「舌」の”シ””タ”のあいだに消失しやすい一音節(13)を想定すると, (s++ta→)sta→sta→sta(西表島ta(与那国島の変化を考えることができます。そしてその喉頭化子音tが, 「「中国語」の/t/に対応する音節頭子音のうしなわれた方言では、声門閉鎖音だけがのこ」(14) り, その後その声門閉鎖音が消失する, これら一連の変化がハ行の語中尾音節に起こったと考えれば, 「顔」はkapokao→kao(15)のように変化したと考えることができるでしょう。

7.ハ行転呼とワ行音の関係について

 ところでハ行転呼のハだけはアに変化せずワに変化しています。そこでワ行音の発音を観察すると, ワ行音はウのあとにア行音を続けることによってできる音(u+V→wV)であることに気づきます。そこでハ行転呼とワ行音の変化に, このウの有る無しの違い, つまり添加母音uの残存, または消失を考えると, 「川」はkaupa→kaua(カワ)→kawa, 「顔」はkaupo→kapo→kao(カオ)→kao, ワ行音の「猪」はui(ヰ)→i→i(イ)→iのような変化を考えることができるでしょう。


8.入りわたり鼻音について

 ではこの添加母音uはどのように発生したのでしょうか。そこでその理由を探るために, まず入りわたり鼻音について考えることにします。入りわたり鼻音は語中の濁音の前に見られ, 「バ行・ダ行・ザ行の鼻音性(~b、~d、~z)も、中央では近世初頃には失なわれてくるようだが」「平安以後に著しかったよう」(16)です。そしてこの入りわたり鼻音が現在も残る青森方言では, 「「旗・的」が前述のように「ハダ・マド」と濁音化するのに対して、「肌・窓」は「ハダ・マ(17)と鼻濁音化」(18)して対立を見せています。そして「「濁音」というのは鼻音結合」(19)によって生じたと考えることができるので, Nを鼻音とすれば, 青森方言では, maNtoma~toma~domado(的), maNtoma~toma~do(窓)のような変化を考えることができます。また関西方言の入りわたり鼻音は青森方言に比べて早く消失しているので, 同じように「的」と「窓」の変化をmaNtoma~tomato(的), maNtoma~toma~domado(窓)のように考えることができるでしょう。そして, 「院政時代における母音ウが、極めて鼻母音的であったこと」(20), 「弓削」が「yumikeyumkeyumgeyge」(21)(yuge)の変化からできたと考えられていることから, 語末音をCV, 後続の語頭音をC1V, Nを鼻音, DをC1の連濁によってできた子音とすると, 入りわたり鼻音(=~)はCVuNC1VCVNC1VCVC1V(CVDVCVDV)(22)の変化によって発生したと考えることができるでしょう。つまり入りわたり鼻音の前身はuN(23)と考えることができます。

9.入りわたり鼻音と撥音の関係について

 ここからは入りわたり鼻音と撥音の関係について考えます。撥音Nは, 「[m,n,,,]のいずれか, 又は最後の[]が一番頻度高く現われ」(24), この口蓋垂鼻音は「その前後に来る母音に対応する鼻音化母音を, 異音とする傾向が著しい。例えば, 南阿[n ][n](以下, 語例省略)」(25)のように鼻母音化します。そこで先行語の語末がCVN, 後続語の語頭が転呼現象によって生じた喉頭化母音V1(ア行音はV, ヤ行音はiV, ワ行音はuVVVより)であったと仮定すると, その後その声門閉鎖音が消失し連声が発生した(
CVNV1CVNV1(26)と考えることができるでしょう。そして連声が発生するまえのCVNV1における語末鼻音Nがmn口蓋垂鼻音)に変化して, 声門閉鎖音が消失した後続の母音V1(←V1)との結合が弱くなり, 口蓋垂鼻音が独立して撥音N=)が発生したと考えることができるでしょう。つまり, uNの後裔である鼻音Nが入りわたり鼻音化CVNC1V1CVC1V1→(CVC1V1))しないうちに後続C1V1転呼化したことで, 連声(CVNC1V1CVNV1CVNV1)や撥音(とV1との非結合を「・」印で表わせば, CVNV1CV・V1)が生じたと考えることができるでしょう。そしてその後撥音がV1に同化して(CV・V1CV1V1, 現在は鼻母音1として現われていると考えることができるでしょう。

10.語末鼻音の変化について

 さて, ここからは語末鼻音について考えます。「八重山では、波照間島方言でsk-ng「月」;pato-ng「ハト」などのように」「語末に現在では無意味の鼻音(excrescent ng)を添加する現象」(27)が見られます。また三世紀倭人語の陽声韻尾字(m,n,)のなかではが多く(28), 奈良朝では「語尾はすべて母音で終っていた」(29)と考えられるので, 語末鼻音は本土方言で早く消失し, 波照間方言で現在まで残存したと考えることができるでしょう(30)。ところで中世漢語の語末鼻音ng(=)は, 「(トウ)「平(ヘイ)」ようにウまたはイの音に変化(31)しているので, 音節末(ワ行音の場合は語頭のまえ)にuNの後裔である鼻音Nを仮定すると, 両唇鼻音mから軟口蓋鼻音(前述の無意味の鼻音ng), そして口蓋垂鼻音を経て, uに変化した(m→n→→u)(32)と考えることができます。つまりハ行転呼の「川」は(kaNpa)kapa(カハ)→kaua(カワ)(33)→kawa, 「顔」は(kaNpo→)kapo(カホ)→kao(カオ)→kao, 「猪」はpi(34)→ui(ヰ)→i→i(イ)→iのような変化を考えることができるでしょう。


11.ふたたび語頭子音の変化について

 ここまでハ行の語頭子音と語中尾子音の変化の違いを, 語頭では有気音化(p→p), 語中尾では喉頭音化(pp)したためと考えてきました。しかし奄美の喜界島塩道方言では, 「[pun](舟)」「[kubi](首)」「[tum](爪)」(35)のように語頭のウ段に本土方言にみられる有気音が見られず, 喉頭化音が見られます。そこでこの本土方言と喜界島塩道方言の語頭子音の違いを矛盾なく説明するために, 古代以前の本土方言においても, ハ行の語頭子音もppの変化を起こしていたと考えてみます。そうすると, 無声無気閉鎖音pの「閉鎖が一瞬早く解除されると, 声門はまだ有声の状態になっていないで, なお呼吸の状態(第3図a)か, あるいは摩擦音[h]の特色をもった息を吐く状態(第3図b)にある。そこで多かれ少なかれはっきりした[h]が外破の後に続」(36)き, pが弱い有気音pになり, (p→)pp→p以下の変化を起こした(37)と考えることができるでしょう。つまり, 語頭のハ行音は奄美の喜界島塩道方言ではウ段で古形p保ったのに対して, 本土方言ではより変化して, p(→p以下)になったと考えることができます。

12.ヲはなぜ高いアクセントをもっていたのか

 ワ行音の「ヲ」は高いアクセントをもっていた(38)ことがわかっています。そこでチベット・ビルマ語派に属するツオナー・モンパ語の普通態と使役態の「par35「燃える」:par55「燃やす」は, いまでは声調の対立のみで弁別されるが, その声調対立は, より遡った段階にあったpar:sparの音素対立の代償であった可能性は十分にある。」(39)という考えをワ行音の「ヲ」に適用すると, 前接辞s(副助詞シの前身)の消失によって, 「ヲ」の高アクセント化が起きた(sspo→po(高調)→)uo(ヲ)→o→o(オ)→oと考えることができるでしょう。

13.まとめ

 ここまでの考察をまとめると, 次のようになります。

ハ行の語頭:pV→pV→pV(ha,i,u,he,ho)
ハ行転呼(40)
pV→ua,i,u,e,o→wa,i,u,e,o
ワ行音   :pV→ua,ui,uu,ue,uo→ua,i,u,e,o→wa,i,u,e,o

*ハ行頭子音と転呼音の変化について:先日、上の考察(変化式)の一部に間違いを見つけました。
  ハ行の語頭:puV→pV
  ハ行転呼  puV→ua,i,u,e,o
  ワ行音   :puV→ua,ui,uu,ue,uo

    *このように考えると、ハ行4段動詞のウ音便(「買ヒテ」が「買ウテ」に変化)もうまく説明できます。詳しい考察は1年くらいあとの「動詞活用の起源」の更新で。(2011.9.16 追記)

【注】

(1) 小松 昭和56:249,292

(2) 小松 昭和56:134

 (3) 小泉 1982:70(第18図)

 (4) 沖縄久高(島)方言では「[pFati] (蜂)」(中本 1976:299)。pF=p

(5) 小泉 1982:97

(6) 参考:「在唐記の「本郷波字音」に関する解釈」(亀井 昭和59:155-164)」

(7) 柴田 1978:716

(8) 柴田 1978:717。岩手県「宮古市方言では必ず聞こえる」(同書:717)そうです。

(9) 奄美名瀬方言では「[o:sa](青い)/[o:sa](おかしい)」(中本 1976:317)のような対立が見られます。

(10) 橋本萬太郎 1981:346

(11) 久高(島)方言では「[ta:](舌)」(中本 1976:301)

(12) 橋本萬太郎 1981:357

(13) は助詞イの前身。語中のについては注32(語頭の-, 語中の--, 語尾の-)とオーストロネシア語族の接中辞-in-(土田 平成2:86-8)や原オセアニア語の不変化詞*i(崎山 平成2:105-7)との関係を追求すべきでしょう。副助詞シ(ssi)と助詞イ(→i)の相関はこちら

(14) 橋本萬太郎 1981:352。「「店」ペキン[tien]―四邑[ien]」(同書:353)。

(15) この変化はイ音便にもみられます。たとえば, kakite(書きて)→kaite(書いて)→kaite。

(16) ともに秋永 1990:103。ガ行では, 「高知・紀伊・新潟などのように、[g]の前に軽い鼻音が伴う[~g](~g g両様)が残」(同書:102)っています。また語頭でも「[~dore] どれ」(南あわじ市福良), 「[~go~gatu] 五月」(高知県香美市美良布)(柴田 1988:460,461) のように見られます。

(17) 北奥羽地方では「肌ハダ[hda]」(北条 昭和57:162)。青森方言では「[mado]」(此島 昭和57:228)。また語末の鼻母音は奄美大島佐仁方言で「[kuj](汲む)」(中本 1976:368)

(18) 此島 昭和57:228

(19) 村山 1981.5156-7。村山に影響を与えたポリワーノフは, 「対をなす有声子音の起源は「鼻音+無声子音」という結合と関連している」(村山 昭和51:111)と見ていた。

(20) 大野 1953124

(21)橋本進吉の説大野 1953123より重引)。

(22)「抱く」の変化はムダク(mdaku)→ダク(daku)(mはuNN→mの変化)。「ウダク」と「イダク」の表記のゆれは「(ダク)を表わそうとしたからではないか。」(柴田 1988:631)。上代のムダクをオーストロネシア祖語 *dakp(「抱く」)と比較した(村山 昭和48:71-2)ことから日本語起源論は始まったといえるでしょう。

(23) 入りわたり鼻音の前身であるuN(上記の注。語頭のm-, 語中の-m-, 語尾の-m)とオーストロネシア語族の「語頭にもたちうる接中辞」(崎山 平成2:128-9)-um-との関係を追求すべきでしょう。

(24) 日本音聲學会編 1976:646

(25) 日本音聲學会編 1976:579

(26) ア行(V)・ワ行(uVVV)の連声:CVN+(uN/iN→N/N→N)+VCVNNVCVmmV/CVnnV。ヤ行(iV)の連声:CVN+N+iVCVnniVCVV。撥音:CVN+VCVV→CVV。例:(sam(三)+N+ui(位))sammi→sammi(サンミ)→sammi。kwan(観)+N+on(音)kwannon(「クワンノンキヤウ(観音経)」)→kannosam(三)→)san+N+ia(野)→sannia(「Sannha(サンニヤ)」→saa)。(sam(三)→)sa+(N+uisaui(サンヰ)saisai(サンイ)sai助詞ハの連声はCVN+N+paCVnna(「ワクワウトウチンナ(和光同塵は)」)CVnna助詞ヲの連声はCVN+N+poCVnnoCVnno(「方言的には「本読む」(「本を」の連声)」)入声音tの連声はCVt+N+pa/poCVta/CVto(「Connitta(今日は(コンニツタ))」/「「罰を」が「バット」のごとき」)CVtQa/CVtQo。*「三位」以下の例は, 外山 昭和47:230-2,264。Qの変化は注41

  *連濁(入りわたり鼻音), 連声(マ・ナ行音), 撥音便, イ音便, 促音便の変化は次の通り。最初に考えたアイディアはこちら

連濁(入りわたり鼻音):(CVuNCV→CVNCV→)CVCV→CVCV→CVDV→CVDV
連声:CVN+N+(i)V→CVmmV, CVnn(i)V

    CVN+pa(助詞ハ)/po(助詞ヲ)→CVna/CVno→CVna/CVno
    CVt+pa(助詞ハ)/po(助詞ヲ)→CVta/to→CVtQa/CVtQo
    (CV→)V(語頭)/CVN+V(語中尾)→mV/CVmV→mV/CVmV(マ行), mV/CVmV→nV/CVnV→nV/CVnV(ナ行)
     例:miti(道)+N+oku(奥)→mitinoku(陸奥(みちのく))→mitinoku

撥音便:(CVNCV→)CVNV→CVV→CVV→CVV
イ音便(テ連用形):(CVCi+N+te→)CVCite→CVite→CVite→CVite/CVide
促音便(テ連用形):((CVCi→)CVCi+N+te→)CVCNte→CVNte→CVte→CVQte
(27) ともに崎山 平成2118
(28) 森 昭和57162の表3
(29) 橋本進吉 1980:150
(30)  波照間方言の「na(ナン)「名」」(村山 1981.988)のや「首里方言の動詞の終止形に現われる起源不明の-ng」とミクロネシア西部のパラウ語の「(英語store→)stoa-ng「店」」(ともに崎山 平成2:118)の添加鼻音との関係を考えるべきでしょう。
(31) 橋本進吉 1980:162
(32) 語末鼻音Nの添加(uNNNu/i)は上代の語末にも見られます。例:nam(南)+N→namnamu(ナム)/nami(ナミ)(橋本進吉 1980:150より)。またこのようなNの添加(N→u)は首里方言の「コーユン」(「買う」)に見える形で残っています。首里方言では(ka(「買」)+N+(助詞イの前身)+puN(「フ」)kaukauu)「koo=juN①」国立国語研究所編 昭和51:322)。八重山石垣方言では(kaukau)「kau中本 1976:415)。また本土方言では(kaukau→)kau。上の助詞イ()の消失と残存の違いは, 本土方言の「ハ」と琉球方言の「ヤ」の対応に見られます。たとえば, 助詞「ハ」(pa→)pa→ua→wa)/助詞「ヤ」((pa→)ia→ya), 「侍る」(はべる/やいびーん), 「女・童」(め・わらべ/みやらび(乙女))など。参考:「「カガフル(被)」から「カ(ウ)ブル」への変化」(亀井 昭和59:11)。
(33) 宮古平良方言は(kapakaa)「ka:」(本 1976434)
(34) 「ワ」は本土方言で, pa(高調)ua(ワ) wa。八重山与那国方言で, papaba。例:「[bagamunu](若者)」(中本 1976:205)。
(35) ともに中本 1976:346。
(36) 小泉 1982:74。
(37) pがFへ変化するには, 有気音のpの過程を通ってpp→Fとしなければならない」(中本 1976:182。pは無声有気音p。Fは無気両唇摩擦音)。ところで奄美大島大浜方言と与論島立長方言の「雲」高母音:名瀬方言も)と「米」(半高母音)の発音下表(また名護方言と名瀬方言の例は橋本萬太郎 1981:358), からわかるように, 大浜方言で喉頭化無気音/非喉頭化有気音, 立長方言で非喉頭化有気音/摩擦音となっていて, 立長方言のほうが大浜方言よりも先を進んだ変化をしているのがわかります。

「米」( X:半高母音)
pX
pYpYY

「雲」(Y:高母音)
pXpYpY

pX

喉頭化無気音

( kNmNi)

[komo](A)

pY

喉頭化無気音

(kumui)

[kumo](B)

pY

喉頭化有気音

[kum] (C)

[kumu](D)

Y

両唇摩擦音

[Fumi](E)

表は中本 1976:318(A:名瀬方言(古形)), 362(B/C:大浜方言), 332(D/E:立長方言)より作成。(  )内は推定。Fは(両唇摩擦音)。kumuikum(C), kmuikmiFumi(E)。












(38) 「「を」ではじまる語は上声ではじまる語」山田 1990:67)。

(39) 西田 1989:809

(40) 母」の変化pɸapa(上代語のハハ)→ɸaua(中世のハワ)→ɸaa(≒ɸaɸa)→haa(≒haha。但し、現在の口語音は[haɦa])。参考:「ハワからハハへ」(亀井 昭和59:177-219)。

*上の変化を理解するために次のHPを読んでいただくことをおすすめします。

「ハ行音の問題について」
14.「母」は「ハワ」から「ハハ」に先祖がえりしたのか?

「ハワ」以降の変化に疑問をもちながら「母」の変化を上のように書いておいたのですが, 先日読んだ『八重山語彙 甲篇』(宮良當壯著)のなかにɸaaから現在の口語音haɦaに変化した理由をみつけることができました。そこで新しく考えついたɸaua以降の変化を書くことにします。以下, 上代語「母」(ハ12)のハ1のp→ɸ(=f)→hの変化にはIPA表記を, 後ろのハ2の変化には橋本による表記(IPAのha,i,ɸu,he,hoをa,i,u,e,oと表記)を使用します。以下の考察を読まれるまえに上のHPを読んでいただくことをおすすめします。また橋本による表記(橋本萬太郎 1981:214-5)については下記のHP(こちらこちら)を見てください。

まず私が長く抱いていた疑問を理解していただくために「母」の変化を説明します。上代語「ハ12(pɸapa)のハ1の語末鼻音がuに変化し, そのuとハ2のハ行転呼による喉頭化母音a(←pa)とが結合して中世にはワ(ua)が生じ, その後uが無声化してa(≒ɸa)に変化しました。その後a(≒ɸa)→a(≒ha)の変化が起きたと考えると, 上代以降の「母」の変化をpɸapa(上代語「ハ12」)→ɸaua(中世の「ハ1ワ」)→ɸaa(≒ɸaɸa)→ɸaaとみることができます。そしてその後ɸaaの声門閉鎖音//が消失して, 「ハ1」のɸもhに変化したとするとhaa(=haha)となります。しかし現在の口語音は[haha]ではなく[haɦa](/h/:無声喉頭摩擦音。/ɦ/:有声喉頭摩擦音。以下, 音声表記は省略)なので, ɸaa(≒ɸaɸa)→ɸaa→haa(=haha)に変化したあとhaɦaに変化したことになります。ところでもしここまでの考えが正しいとすれば, hahaから現在のhaɦaにいつ, どのように変化したのでしょうか。現代語の「は12」の「は2」が無声音のhaではなく, 有声音のɦaになっているのはなぜでしょうか。これがずっと抱いていた疑問です。

先日この疑問を解くヒントを『八重山語彙 甲篇』(宮良當壯著)の記述の中に見つけました。その本の「B. 国語に無い母音」の項(宮良 昭和5525-7)で八重山黒島方言にある珍しい音が紹介されています。その音は「声帯を極度に押開き,舌の位置は最も低く,恰も欠伸をする時の如き口形をして発せられる音がある。万国音標文字にはこれに適当した文字が見えてゐない。それ故仮にあ[A]を以てこれを表はすことにした」(同書:26)とあり, その珍しい音を「あ[A]=[H]=[ɦ]」(同書25)のように示されています。たとえば黒島方言では「あー・イル[A:-iru] 赤色」(宮良 昭和55:26)。以下の例はすべて(宮良 昭和56:8より)ですが, その「赤色」を八重山の石垣・小浜・波照間方言で[aka-iru], 鳩間・与那国方言で[aga-iru], 新城方言で[ha:-iru], 竹富方言で[akka-iru](喉頭化音 は省略されています), また「赤い色」を首里方言でakairu(国立国語研究所 昭和51:616)というそうです。そこでこれらの方言を比較すると, akairo→akairu(石垣・首里方言など)/akairo(関西方言), また黒島方言ではakairo→A:iruのように変化したとみることができるでしょう。そこで宮良は「黒島及び波照間島の言葉を総括して見ると,あ[A]はアガ[aga],アカ[aka],カカ[kaka],カ[ka]などの子音が脱落若くはh音化し,更にそれが母音のみになって,それを強く発音したものであると考へることが出来る」(宮良 昭和5527)とみました。そしてその「あ」音は宮良によれば[ɦa]に近い母音なので, とりあえずその「あ」音をɦaと仮表記することにすれば, 黒島方言の「赤色」の変化はakairu→aɦairu→aɦairu(=A:iru。喉頭化音 は省略)と考えることができるでしょう。ところで宮良が記述したこの「あ」音は本土方言のなかにも見いだすことができます。たとえば「[goɦaN](御飯)ではほとんど常に有聲の[ɦ]が現われ,しかもその摩擦音が屢々弱まって[goaN]に近くなることがある」(服部 1951:27)ので, この[goaN]に近い音は[goɦaN](ゴハン)と[goaN](ゴアン)の中間音[goɦaN](宮良の表記を使えば「ゴあン」)と考えることができるでしょう。

さて上の珍しい「あ」音の記述を読み, ka→ɦa→ɦaのような変化を思いついたことからhahaがいつ, どのようにhaɦaに変化したのかという疑問を解くことができました。さきほどの考察では中世の「ハワ」(ɸaua)がɸaa(≒ɸaɸa)に変化したあと, ɸaaからhaa(=haha)に変化したと考えました。そのためhahaからhaɦaへの変化がいつ, どのようにして起こったかという疑問が湧いてきたのです。しかしɸaaの無声化音uが消失してɸaaに変化し(ɸaa→ɸaa), その後母音間にあった声門閉鎖音が摩擦音化してhではなく, 直接ɦに変化した(ɸaa→haɦa)と考えると, ɸaaがhaaを経てhaha(=haa)に変化したわけではないので, hahaからhaɦaへ有声化したのはなぜかという疑問は湧くはずもありません。この新しい考えがよく理解できるように, 以前の考えと比較すれば次のようになります。

本土方言

上代        /中世以降                              /現在

文字表記

ハハ

ハワ,Faua(①)

Fafa(②)

ハハ

誤りの変化

pɸapa

ɸaua-----→

ɸaa--→

ɸaa→

haa(=haha)③→

haɦa

正しい変化

pɸapa

ɸaua-----→

ɸaa--→

ɸaa-----摩擦音化----→

haɦa

近似音

ファウア

ファファ

ファ

ハハ


ここで本土方言の「頬」, また本土方言と琉球方言の「皮」の変化をまとめると, 次のようになります。

本土方言

上代           /中世以降                                 /現在

文字表記

ほほ

                 

Fô(④)

ほほ(頬)

「頬」

pɸopo-→

ɸouo---→

ɸoo--→

ɸoo-------(⑤)-------→

hoɦo/ho:

近似音

フォウオ

フォフォ

フォ

ホホ/ホー

本土方言

上代           /中世以降                               /現在

文字表記

かは

Caua(⑥)

かわ(皮)

本土方言

kapa--→

kaua----→

----------声門閉鎖音消失---------→

kawa

近似音

カウア

カワ

琉球方言

kapa--→

kaua----→

kaa--→

kaa-→声門閉鎖音消失--→

kaa⓪(⑦)

近似音

カウア

カファ

カー

①:土井ほか 1980:213。②:土井ほか 1980:196。③:橋本による表記。④:土井ほか 1980:254。⑤:摩擦音化(ɸoo→hoɦo)もしくは声門閉鎖音消失(ɸoo→ho:)。⑥:土井ほか 1980:110。⑦:国立国語研究所 昭和51:297。その他の方言はka:(八重山与那国・波照間・石垣・竹富・宮古平良・沖縄奥武方言), ha:(八重山黒島・沖縄伊江島方言), ko:(奄美名瀬方言), ho:(奄美与論島茶花方言), kawa(奄美喜界島志戸桶方言)(すべて中本 1976:414)。

(41) (声門閉鎖音)→Q(促音)の変化について(新しい考え 2011.12.5)。

「月」の長崎県の各方言は, 「[tsuki]」(長崎方言), 「[tsuk]」(五島富江町山下方言), 「[tsuT]」(五島富江町黒瀬方言)(ともに中本 1976:154-6。[T] =/Q/)で, 「無造作な発音における/Q/
は、通常、喉頭閉鎖音[]で現われ」(古瀬 昭和58:194-5)ています。そこで上記方言の「月」の変化をtsuki→tsuk→tsuktsutsuQのように想定すると, 声門閉鎖音が「つまる感じ」がする無音の一拍へと変化したもの(→城生 1977:119)が促音「っ」の正体と考えることができるでしょう。ところで『捷解新語』には連用形促音便を表わすのに, 初声を重ねた表記A(CV-tte。例は下表の④)と促音Qと見られる表記B(CVt-te。例は下表の⑤)の2種の注音表記が見られます(亀井 昭和59:357-69, 福島 1990:310-5)。そこで表記Aの音をCVte, 表記Bの音をCVQteと考えると, 促音便(~テ形)の変化は(CVC1V1te→)CVC1V1te→CVC11te→CVte(表記A)→CVQte(表記B)と考えることができ, 2種の注音表記の違いをQの変化として解釈できるでしょう。またtを舌内入声音, を入りわたり鼻音, Nを鼻音m,n, Dを濁音とすれば, 謡曲における「つめ字を呑む」発音(橋本進吉によれば, 「鼻的破裂音」(外山 昭和47:226))はCVtDV→CVDV, CVtNVCVNVの変化に現われる声門閉鎖音(と考えることができるでしょう(例は下表の⑥)。そしてこの(CV→CC→) Qの変化は上代から現代に至る連用形(~テ形)の表記方法の違いに反映されています。たとえば「持ちテ」は(moti++te→)motte→mote→mote→moQte(持って)のように変化したため, moteを無表記(下表の①)やレ表記(下表の②)で, moteから変化したmote(ここより「有りテ」の変化ateに変えます)をツ表記なし(下表の③)や上記『捷解新語』の表記A(下表の④)で, その後現代に至るaQteをツ表記(下表の⑤)で表記してきたと考えることができるでしょう。この考えをまとめると, 下表のようになります。

 *この表を作ったとき自分でも納得できなかったのですが、やっと正しい答えを見つけることができました。いま時間がないので表(と上の説明)の書換えはせずに、簡単に「持ちて」の変化を書いておきます。
 moti++te(持ち++て)motte→mote(無表記/レ表記)→mote(表記A)→moQte(表記B)
  *謡曲における「jiset(時節)++mo(も)」の「つめ字を呑む」発音の正体はです。また語(基)と語(基)のあいだにあるこそ連濁を起こすもととなったものです。についてはこちら。2013.2.16追記
<持ちテ> moti+N+te→ motte→ mote--→ mote---→ moQte(持ッテ) 
無表記 (モテ)(42)
レ表記 持(モンテ)(43)
<有りテ> ari+N+te-→ arte→ ate---→ ate----→ aQte(有ッテ)
ツ表記なし 有(アテ)(44)
表記A あて―
a-ttye
(45)
表記B(ツ)  あつて―
at-tye(46)
jisetmo-- ---------→ jisemo(47)
<つめ字> じせッ
  (42):「母(モテ)〔←持チテ〕(万葉三七三三)」(奥村 昭和47:80)。
  (43)(44)外山 昭和47:227
  (45)(46)亀井 昭和59:364。ローマ字に改めた。
  (47):「じせッモハヤク」(外山 昭和47:226)。注:「時節も早く」の意。

  【引用・参考文献】

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