「連濁はいつ起こるのか?」
(2003.12.01 更新)
このページでは「母」の変化について考えることにします。
01.はじめに
02.連濁とは何か
03.清濁と連濁の関係
04.清む(清音)と濁る(濁音)
05.ガ行鼻濁音
06.サ行の直音化について
07.タ行の破擦化について
08.ツァ行音について
09.四ツ仮名について
10.すずめはスズと鳴いたか?
11.ラ行音について
12.日本語にはなぜ行音(V-)がないのか
13.『どれが梅(むめ)やら梅(うめ)ぢややら』
14.「母」は「ハワ」から「ハハ」に先祖がえりをしたのか?
目次(「連濁はいつ起こるのか?」)へ
今回は「母」の表記(「ハワ」)の問題を考えることにします。まず古代における「母」の表記を見ておきます。(上代語辞典編修委員会編 1985:589)
「はは[母](名)母。「汝ナが波伴ははに嘖コられ吾アは行く」(万三五一九) 「汝イマシを頼み波播ははに違タガひぬ」(万三五三九) 「藤原伊良豆売イラツメをば婆婆ははとなも念ふ」(二五詔) 「憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母ははも吾ワを待つらむぞ」(万三三七) 「父妣ははも妻をも見むと思ひつつ」(万一八〇〇) 「嫗母也、波々はは、又乎波ヲバ、又与女ヨメ」(新撰字鏡)・・・・(以下後略)」
また中世や江戸時代の京の「母」の発音をのべた秋永氏の文章を、次に紹介します。(秋永一枝 1990:84-5)
「日本最初の全国方言辞典ともいうべき越谷吾山(越谷の人。一七一七ー一七八七、七一歿)『諸国方言物類称呼』(一七七五)の中には、「京にて児童は○ハワサンと呼ひ 年長しては母者人と称す 東国にては○かゝさんといふ」とある。京ではその頃はハワサンが一般だったのだろう。・・・(途中省略)・・・『後奈良院御撰何曾』(一五一六)で「はゝには二度あへども ちゝには一度もあはず」の答えが「くちびる」であることの謎ときを解明したのは新村出氏(注3)であるが、これについて亀井孝氏は、キリシタン本の殆どがFauaであること、(『日葡』などのFafa表記は少数例)しかし、俗な形としてfafaが生き続けたことなどから、十五世紀ごろの人たちはおそらくハワと発音したろうけれども意識の反省としては同音のくり返しであろうとされる。更に氏はその「同音反復の語形成に対する記憶の伝承」がFaFaのかたちの復活を許したであろうとされる。・・・(以下省略)」
*筆者注:Fafa・Fauaについては『邦訳日葡辞書』に下記のようにあります。(それぞれ土井・森田・長南 1980:196,p213)
Fafa.1,faua.ハハ.または,ハワ(母) 母.
Faua.ハワ(母) 母親. Bogui;Caca;Fafa(かか)
もう一つ長唄や謡曲で「よみくせ」と知られている「ハワ」の発音について、秋永氏の経験として面白い話が書かれているので、ここで紹介しておきます。(秋永一枝 1990:84)
「戦前、東京下町の女の子は六つの六月六日になるのを待って、おどりとか三味線を習いにいったものである。私も御多分にもれず、近くの長唄のオッショサンに通ってチントンシャンとやっていた。そこで『鞍馬山』を習った時の事、「我未だいまだ三歳の時なりしが、母常盤がふところに抱へられ」でハワと唄えと言われ不思議でならず、オッショサンにわけを聞いたが「昔からそう唄うことにきまってんのよ」と軽くいなされてしまった。その後、母の腰巾着で文楽に行くと『菅原伝授手習鑑』の中であったかしきりにハワサマを連発するので、子供心にも昔はハワと言ったんだなあと納得したことだった。」
ここで「母」と同じような変化をしたと考えられる「頬」についても、小松氏による『エソポの寓話集』の語彙解説からみてみます。(小松 昭和56:312)
「Kfua―頬は。「頬」はoo>owo>(oo)>o:と変化し、さらにこのあとで[ho:]になったが、現在では[hoho]が多くなってきている。「ちち」「みみ」「もも」などと同じく同音反復形であったものが、ハ行転呼音によってその特徴を減じ、長音化が起こってそれを完全に失ったが、現在、もう一度、同音反復形に回帰しつつあるらしい。」
*筆者注:中世の「オ」には合音の(口の開きの狭い長母音[o:]。「オウ」より)と開音の(口の開きの広い長母音[:]。「アウ」より)の区別がありました。例:nhb<「にょうばう」(女房)(小松 昭和56:312)
*筆者注:『エソポの寓話集』は一五九三年天草で刊行された「ESOPONO FABVLAS」のこと。
上のような記録や事実と現在我々が「ハハ」「ホホ」などと発音していることから、「母」と「頬」の変化については、次のような通説がだされています。
古代以前 古代 中世 現代
「母」:papa---→aa(ハハ1)・・・・・(haha:同音反復形)・・・・・・・・・・・→haha(ハハ2)
aa(ハハ1)---→awa(ハワ:ハ行転呼)
「頬」:popo---→oo(ホホ1)・・・・・(hoho:同音反復形)・・・・・・・・・・・→hoho(ホホ2)
oo(ホホ1)---→owo[ホヲ:ハ行転呼]--→o:---→ho:(ホー。例:「頬紅」)
*ローマ字は通説で考えられている発音。
*( )内の仮名はその表記。
*[ ]内の仮名は通説で考えられているところの、しかし記録にみえない幽霊語。
*p:両唇閉鎖音。:両唇摩擦音。h:声門摩擦音。
*ハ行頭子音の問題についてはこちら。ハ行転呼音の問題についてはこちら。
たとえば「母」は通説では同音反復形の「ハハ1」がハ行転呼を起こし「ハワ」になったのですが、それとは別に「記憶の伝承」として野に埋もれていた同音反復形の「haha」が再び復活し、「ハワ」をおしのけて急速に全国に普及したと考えられています。つまり通説では「母」の変化は「ハハ1」→「ハワ」(ハ行転呼形)、そしてそれとはべつに「ハハ1」→「ハハ2」つまり「ハハ1」の残存形)の二つの変化を考えるのです。そしてこのように考えるとハ行転呼を起こした「母」や「頬」の変化をうまく説明できそうですが、問題も多いにあります。その問題点を考える前に、各地の「母」の方言を見てみることにします。(平山輝男編著5巻 平成5:4157-62。また「頬」についてはこちら)
青森 秋田 岩手 山形 福島 埼玉 新潟 静岡 福井
apa aba ogasa gaga okka: okkaja kaka ka:ka: okka
北海道 会津 東京 八丈(島) 山梨 長野 岐阜 愛知 滋賀 京都
haha haha haha ho: haha haha haha haha haha haha
兵庫 鳥取 岡山 広島 徳島 香川 愛媛 大洲 高知 長崎
hahaoja haha haha haha haha haha haha haha haha haha
福岡 鹿児島 名瀬 沖縄 平良 鳩間
ka:sa kaka amma amma: anna abu
*各地点につき一語のみあげた。(例:青森はoga、gaga、apaの3語があがっています)
*haha系はすべての地点をあげたが、kaka系は全国的に分布しているので一部のみ。
*地点と記号などについては前回の「梅」などの方言を参照ください。
*鹿児島県大隅方言では「ハワ」(日本大辞典刊行会編16巻 昭和50:393)。
*ちなみに私の言葉(滋賀)では「かあちゃん」です。
このように現在の方言をみても「ハハ」は全国的に広く見られ、「ハワ」はほとんど見られません。またこれは私の個人的な話ですが、滋賀県に育った私のおばあさんは明治の中頃に生まれたのですが、私はおばあさんたちから一度も「ハワ」といった言葉を聞いたことがなく、「ハワサン」という言葉は上記の本などを読んで初めて知った言葉です。たしかに書記されない俗な言葉が口語や方言でよく残るのは事実ですが、「京にて児童は○ハワサン」と記録されたのは明治の100年少しまえで、その言葉は読書階級や書記に通じた人のものではなく子供の言葉だったのではないでしょうか。つまり先の「記憶の伝承」説をすなおに認めればわずか100年ちょっとで京の都や滋賀の地から「ハワ」の言葉がこつぜんと消えてしまったことになります。そして急速に完全消滅した「ハワ」のかわりに俗なことばとして生き残っていた「ハハ」がとつぜん世の中にあらわれ、しかもそれが思いもよらぬ速さで全国に伝わったことになります。しかし方言の伝播速度について、「新しく都のことばとして生まれたコワイが、八百年間にほぼ百キロメートル進展したことを意味する」(徳川宗賢 昭和53:184)という言葉をひくまでもなく、そういうことはとても考えにくいのではないでしょうか。もちろん俗なことばとしての「ハハ」が全国的に生き残っていたと考えればつじつまがあいますが、それだと俗なことばとして生き残っていたという言葉がうつろに聞こえてきそうです。このように考えてくると、生き残っていた俗な言葉の「ハハ」が復活したと考える「記憶の伝承」説はみとめることができないでしょう。(最初に考えた大胆な思いつきはこちら)
ではこれから「母」の変化をひとつひとつ順をおって、詳しく説明することにします。しかし以下の考察にはハ行頭子音とハ行転呼音の変化が問題になっているので、私が以前考察した結果をもう一度、次にあげておきます。
1.ハ行頭子音の変化
Pv→Phv→Pfv→Fv→Ha/i/Fu/He/Ho
2.ハ行転呼音の変化
Pv→Pv→wa/i・u・e・o→wa/i・u・e・o
*子音は大文字(一部は小文字)に、母音は小文字になおしてあります。
*上記の記号などはこちら
*ハ行子音の変化になじみのうすい方は、ぜひ次の考察を先に読んでいただきたいと思います。
A.ハ行頭子音の通説と変化はこちら。
B.ハ行転呼音の通説はこちら。変化はこちら。
C.「なぜハ行音は変化をしたのか」はこちら。
さてまず「母」の古代以前の発音を考えることにします。「母」はハの同音反復語で、現代の発音が「ハハ」であることから「パパ」にさかのぼると考えられます。この現代のハ行音が両唇破裂音のパ行音にさかのぼることは「p音考」としてよく知られていることですが、ここでp音の残存と考えられる沖縄の各方言の状態を見て見ることにします。(外間守善 1971:144)
「▼ハ行子音(h)に対応するPまたはFが残存しており、一方ではh地域もある。
地域によって<鼻・花>がPana・Fana・hanaになる。
P地域は、奄美大島の北端にある佐仁、喜界島の一部、与論島のすべて、沖縄本島の本部半島を中心にした北部方言の一部、伊江島、津堅島、久高島、さらに与那国島を除く宮古、八重山方言のほとんどすべてに分布している。
奄美方言では、P地域を除くほとんどの地域がFとhの共存地域であり、喜界島と奄美大島の一部にh地域がある。
沖縄方言では、北部のPまたはF地域に対して中南部はほとんどh地域なっている。
与那国島はh地域に属する。
なお、久高島のP地域は正確にはPとFの中間音である。」
*筆者注1:Pは両唇破裂音([p])。Fは両唇摩擦音([])。hは声門摩擦音([h])。
注2:Fはまたhwでもあらわされています(大石初太郎・上村幸雄編 昭和50:374:この文字の使用例はこちら(上村幸雄 1997:324より引用 ))。
注3:ファ(Fa)行音は橋本氏の表記で[V]とあらわすことができ、その[]はウの無声であるので、「無聲の半母音を表わすには[hw][hj]のように[h]を加えるのが普通である」(服部四郎 1951:158)という言葉にあるように、Fをhwであらわすこともあります。
注4:久高島の「PとFの中間音」とは両唇破擦音の[pf]です(例はこちら)。
また前回の更新でも語末は鼻母音であることがわかったので、上の「パパ」のそれぞれの語末に鼻母音を考えると、古代以前の「母」をP1P2と考えることができます。そしてこのP2が現代音でHaの連濁音(有声音)であるa([a])になっていることから、P1とP2のあいだに連濁をおこすところの入りわたり鼻音()が存在したと考えることができます。そして前回の更新でも入りわたり鼻音は語末鼻音からの変化であると考えたので、これらのことを考えあわせるとP1P2からの変化を、次のように考えることができます。
@P1P2-----→P1aP2
*この変化を「入りわたり鼻音化」と名づけます。(以下同じ)
そしてこのことは万葉集に「波判はは」「波播はは」の表記がみられ、現在の我々は「判」「播」を時にはどちらも(連)濁音で、しかも語尾を「ン」と発音していることからもその正しさを想像することができると思います。(注:P2→Ban。例:「小判」「播州」。本来は中国の渡来音から考察すべきですが、いまの私には手がおえません)
さてこのP1aP2は語頭が破擦音化を、語頭以外のP2が喉頭音化をおこしました。そう考えると@からの変化は、次のようになるでしょう。
A喉頭音化:P1aP2-----→P1aP2
そして平安時代の900年ころ作られた『新撰字鏡』の「嫗」の注に「母也、波々はは」とあることから、AのP1aP2は「ファファ」に近い音であったと考えられるので、その後次のように変化したと考えることができるでしょう。
B摩擦音化:P1aP2-----→F1aF2
*語頭以外のP2も語頭のP1aと同じように摩擦音化したと考えます。
そしてその後次音節(F2)の喉頭化音()が消失したと考えると、その変化は次のように考えることができます。
D喉頭化音の消失:F1aF2-----→F1aF2
ところで喉頭化音が消失し、キリシタン文献でfafaと表記されたと思われるF1aF2の子音(F:両唇摩擦音)はその後十七世紀の末期にはH(声門摩擦音)に変化したと考えられています。そこでそこからの変化は、次のようになるでしょう。
E声門摩擦音化:F1aF2-----→H1aH2
そしてこのH2が連濁を起こし、そのあと語末鼻母音を消失したと考えると、その変化は次のように考えることができます。
F連濁化:H1aH2-----→H1a2
G語末鼻母音の消失:H1a2-----→H1a2a
このような変化を考えることによって古代以前の「母」の発音が「パパ」(pp)から現代の「ハハ」(haa)にまで変化した理由をうまく説明できると思います。ここで、ここまでの考えをまとめておきましょう。
A.「ハハ」の変化
PP-→PaP-→PaPa-→FaF-→FaF-→HaH-→Ha-→Haa
@ A B D E F G
*@入りわたり鼻音化。A語頭以外は喉頭音化。B摩擦音化。D喉頭化音の消失。E声門摩擦音化。F連濁化(入りわたり鼻音の代償)。G語末鼻母音の単純母音化(の消失)。
このように「ハハ」への変化は説明できたので、これから「ハハ」の二重語である「ハワ」の変化を考えることにします。ところで中世までに「ハハ」は転呼音化し「ハワ」になったのですが、その「ハワ」がこつぜんと消え、そのかわりに「ハハ」が復活したように見えるので、その当時の「ハワ」と「ハハ」は音が非常に近かったと考えます。そうすると上のBの摩擦音化以後の変化を、次のように想定することができると思います。
Cハ行転呼音(w)化:F1aF2-----→F1aw
上の変化は一見すると子音F2が消失しその代償として半母音wが発生したように見え、ちょっと不思議な現象です。ところでこの一見不思議に見える変化の謎を解くうえで役にたつ音図があるので、それを次に紹介します。(小松 昭和56:48:音図の写真は同書:49より引用)
「醍醐寺三宝院蔵の『孔雀経音義』の末尾にも、写真に示すような音図が付載されている。
キコカケコ 四シソサセス 知チトタテツ 巳イヨヤエユ 味ミモマメム
ヒホハヘフ
比 利リロラレル
ヰヲワヱウ
この音義は十一世紀初頭の書写と推定されており、右(筆者注:上)の五十音図は文献資料の上で最古のものであるが、「イオアエウ」「ニノナネヌ」とあるはずの二行を――、すなわち、ア行とナ行とを――、欠いているので、全体が八行しかない。その理由については、現在のところ、十分に説得力のある説明が与えられていない。」
小松氏は上の音図で「比」が「ヒホハヘフ」と「ヰヲワヱウ」の二行にわたって書かれている理由を説明するために、次のような対照表をあげておられます。(小松 昭和56:50)
「清音 pa pi pu pe po a
i
u
e
o
濁音 ba bi bu be bo wa wi u we wo」
そして「ろうそくの炎をフッと吹き消すような口つきの[]をそのまま有声音にすると、ほとんど[w]に近い音になるので」、「[](現代語の「フ」の子音と同じ)は、音声的に見ると、ワ行との間に清濁に準じる関係をもつようになったのである。」(ともに小松 昭和56:50)と解釈されています。([]と[w]の違いがよくわかる図(小泉 1993:28より引用)はこちら)しかしこの小松氏の説明にはいい足りなさや上の対照表も少々不正確にみえる点があります。
そこでこれから上の音図の「ヒホハヘフ」と「ヰヲワヱウ」の対が何を表現しようとしたのかを考えていくことにします。そのためもう一度キリシタン文献が書かれたころまでの「母」の変化を、さきほどの考察結果から引くと、次のようになります。
A B
PfaF-----→FaF-----D----→FaF
↓C
Faw------D----→Faw
*Cはハ行転呼音(w)化。Dは喉頭化音の消失。
さてこのような「母」の変化を見れば、上のAは『孔雀経音義』の「比」の「ハ」と「ワ」に、そしてBはキリシタン文献のfaとua(>wa)に比定することができるでしょう。小松氏はとwの関係は清音と濁音の関係に準じるといっておられるのですが、さきほどのローマ字の対照表では清濁の関係に見えるように書かれています。気をつけて読まないと、とwの関係が清濁なのか清濁の関係に準じるのかわからなくなりそうですが、(ファ行音:無声両唇摩擦音)の有声音はβ(ブァ行音:有声両唇摩擦音)であり、無声・有声(つまり清濁)の関係はとβにあり、とwにはありません。たしかにとwはよく似ている近い音であるのは事実ですが、なぜ『孔雀経音義』の「比」の二行は清濁の関係にないとwを選んで書かれているのでしょうか。この問題を考えるために以前紹介した橋本氏の表記が役にたつので、ここでファ行音からハ行音への変化を一般表記(IPA)と橋本氏の表記の二つ対照して考えることにします。(橋本氏の表記についてはこちら)
ファ行音 ハ行音
橋本氏の表記:X-----→[V]-----→[V]
IPA表記
:X-----→[V]-----→[ha]・[i]・[u]・[he]・[ho]
*Xはファ行音に変わる前の音。Vは母音(a・i・u・e・o)。はそれぞれの母音Vの無声化音。はuの無声化音。u・の平唇・円唇はいまここでは考えません。
ところでIPA表記で[a]と表記される「ファ」は橋本氏の表記では[a]であり、もしこの[]が有声化すれば[u]になります。そして有声化した[u]と後続の母音[a]が結びつけば[ua]となりますが、その[ua]は「ウ」から「ア」へと口の開きが大きくなりながら発音されるので、わたり音の性格をおびていて[wa]になるでしょう。つまり「ファ」の有声化が「ワ」ではなく、「ファ」に内在する(無声のウ:ウの口がまえがそれにあたります)がuに有声化した(口がまえだけでなく、ウの声をだした)ために、その結果「ワ」となったのです
このようにファ行音とワ行音との関係がわかったので、これらを比較してみると、次のようになるでしょう。
ファ行音 ワ行音
V-----------uV
*は無声のウ。uは有声のウ。Vは母音。
*たとえばウの口をしたまま声をださずに後続のアを言えばファ([a])に、またウの声をだしながら後続音のアを言えばワ([wa])になります。
このようにファ行音とワ行音が「ウ」の無声・有声の対立であることがわかったので、ここまでの考察を整理してみると、次のようになるでしょう。
1.清濁の関係
閉鎖音 摩擦音
無声:pa pi pu pe po(パ行) a
i
u
e
o(ファ行)
有声:ba bi bu be bo(バ行) βa βi βu βe βo(ブァ行)
2.uの無声・有声の関係
無声:a
i
u
e
o(ファ行)
有声:wa wi wu we wo(ワ行)
つまり上の対照表でわかるように、『孔雀経音義』の「比」の「ヒホハヘフ」と「ヰヲワヱウ」の二行はuの無声・有声の関係、つまりファ行とワ行を表わそうとしていたのがわかります。
さてこのようなことがわかると、さきほどのCのF1aF2はその前音節と後続音節のあいだにある入りわたり鼻音()が後続の(F2の口がまえ)と結びつき、その入りわたり鼻音によってが有声化してuになり、うしろのと結びつき、wa(<ua)になったと考えることができます。そこでその変化は、次のようになります。
1a2-----→(1a・u2-----→)1aw
この変化式はわかりにくいので、よく使われているIPA表記になおすと、次のようになります。
Cハ行転呼音(w)化:F1aF2-----→F1aw
その後「ハハ」で喉頭化音()の消失が起こったように、このF1awにも喉頭化音()の消失が起こった考えると、その変化は次のようになるでしょう。
D喉頭化音の消失:F1aw-----→F1aw
*キリシタン文献のfauaはこのF1awでしょう。
そしてそのあと声門摩擦音化、その後語末鼻母音の消失が起こり、それが現在の「ハワ」となったと考られます。その変化は、次のようになるでしょう。
E声門摩擦音化:F1aw----------------→H1aw
G語末鼻母音の単純化(消失):H1aw-----→H1awa
このように考えられる「ハワ」の変化をまとめと、次のようになります。
B.「ハワ」の変化
FaF-→Faw-→Faw-→Haw-→Hawa
C D E G
*Cハ行転呼音(w)化。D喉頭化音()の消失。E声門摩擦音化。G語末鼻母音の消失。
このように「ハハ」「ハワ」は変化してきたと考えられるので、その変化をまとめると、次のようになります。
喉頭化音の消失 声門摩擦音化 語末鼻母音の消失
ハハ1 ハハ2(fafa) ハハ3 ハハ4
PP-→FaF---------------D--→FaF--E--→HaH--F-→Ha--G-→Haa
| 連濁
└--→C-→Faw--D--→Faw---E--→Haw---------------G-→Hawa
ハワ1(faua) ハワ2 ハワ3
転呼音化(入りわたり鼻音の消失代償)
上の変化式を利用すれば、方言を含めた「母」と「頬」の変化を、次のように考えることができます。
1.「母」の変化
FaF(ハハ1)--→FaF(ハハ2)--→HaH-------→Ha-------→Haa(ハハ3)
| | └→Haau→Hao→ホーA
| |
| └-----------→Ha-------→Haau--→ハホB
│
└-→Faw--→Faw(ハワ1)---------------------------------→Hawa(ハワ3)
2.「頬」の変化
FoF(ホホ1)--→FoF(ホホ2)---→HoH-------→Ho---------→Hoo(ホホ3)
└--→Hoouou--→ホーC(ho:)
└---→フーD(hu:)
*「母」の方言形
A.ホー:八丈島方言(平山輝男編著5巻 平成5:4159)。
B.ハホ:鹿児島県大隅方言(日本大辞典刊行会編16巻 昭和50:393)。
*「頬」の方言形
C.ホー:「頬紅」(ホーベニ)など。
D.フー:鹿児島県大隅方言(日本大辞典刊行会編18巻 昭和50:97)。
*ここではとりあえず連濁(H→)ののち、合音化(ao/auなど→o:など)が起こったと考えておきます。
*「母」の変化はこちら。
ところで「母」の変化を上のように考えたのですが、少し問題がのこっています。つまりその問題というのは上の変化でも「ハハ」と「ハワ」のふたつの変化を考えてしまったことです。これでは「ハハ」→「ハワ」への変化は説明できたとしても「ハワ」がこつぜんと消え、かわりに「ハハ」が突然この世の中に現れてきたように見えるという事実を説明することができません。よくわかるように、もう一度変化表を掲げます。
古代以前 キリシタン文献 現在
パパ(pp)---→ハハ1(faf)----→ハハ2(faf)---→ハハ3(hah)----→ハハ4(haa)
└-→(faw)---→ハワ1(fau)---→ハワ2(haw)------→ハワ3(hawa)
追記(2003.12.01)
昨日上の疑問にたいする解答を読みかえしたのですが、やはり問題があるのに気づきました。その問題点というのは「「ハハ」と「ハワ」のふたつの変化を考えてしまったこと」と「w→u→wのような変化を考えたこと」の二点です。たしかに「母」の変化はここまでの考察のように「ハハ」と「ハワ」のふたつの変化を考えると、「「ハワ」がこつぜんと消え、かわりに「ハハ」が突然この世の中に現れてきたように見えるという事実」を説明しやすいのですが、それではやはり無理があると思いました。そうするとここはやはり「ハハ」→「ハワ」→「ハハ」という一筋の変化を考えるべきでしょう(最初考えた解決策はこちら)。またハワにおけるw→u→wのような変化も無理があり、ここはu→wのような変化を考えるべきでしょう。そのようなことをあらためて昨日考えついたので、上の変化表以後の考察は削除することにしました。そして昨夜「ハハ」→「ハワ」→「ハハ」の変化をうまく説明できるアイディアを考えついたのですが、更新の時間がせまっているため、きちんと論理だててこのページ全部を書きなおす時間がありません。それで今回の更新はここまでとします。次回の更新で「母」の正しい変化(→こちら)を述べて見たいと思います。
ところで上の「ハワ」と「ハハ」のふたつの変化は正しくないとしても、かなり正解に近いものです。そしてここまでの考察を見ていただければわかるように、中世という時期に「ハハ」の前音節の「ハ」が入りわたり鼻音化(fa)し、後音節の「ハ」が両唇摩擦音(f)に変化し、しかしその時点ではまだ喉頭化音(f)として存在していたために、これらの偶然がかさなりハ行転呼音化が起こったのです。そしてこのようなことがわかってみると、たしかにハ行転呼音の現象は日本語の音韻史上における本当に稀有なできごとであったということができるでしょう。しかしこのようにハ行転呼音現象を国語学の神棚にまつるだけでは何も解決しないのはあきらかなのですから、これから残された多くの問題点を考えることにします。