「連濁はいつ起こるのか?」
(2003.05.01)
このページではナ・マ行音について考えることにします。
01.はじめに
02.連濁とは何か
03.清濁と連濁の関係
04.清む(清音)と濁る(濁音)
05.ガ行鼻濁音
06.サ行の直音化について
07.タ行の破擦化について
08.ツァ行音について
09.四ツ仮名について
10.すずめはスズと鳴いたか?
11.ラ行音について
12.日本語にはなぜ語頭の行音(V-)がないのか
目次(「連濁はいつ起こるのか?」)へ
今回はナ・マ行音について考えることにします。そのためこれらの鼻音行の発生がいかにして起こったのかを考えるために、これまでの考察をいま一度ふりかえることにします。
まず現代日本語の鼻音については、次のようなものがみられます。(小泉 1993:33-5)
[m]:両唇鼻音----マ行(例:[maku] (幕:まく)
[n]:歯茎鼻音---- ナ行(例:[naka] (中:なか)
[] :硬口蓋鼻音--ニャ行(例:[nai] (何:なに)
[] :軟口蓋鼻音--ガ行鼻濁音(例:[kao](篭:か(この文字についてはこちら))
[]:口蓋垂鼻音--撥音の「ン」(例:[hao](半音:はんおん)
*以上は筆者でまとめ、例(「幕」「中」)を追加しました。
このように日本語の鼻音にはいろいろあるのですが、語中・語尾にあらわれる鼻音・鼻母音の例を追加しておきます。
[m]:両唇鼻音----例:[impai](心配)
[n]:歯茎鼻音----例:[yonde](読んで)
[]:硬口蓋鼻音--例:[yata] (やんちゃ)
[]:軟口蓋鼻音--例:[kika](金貨)
[]:口蓋垂鼻音--例:[k](かん)
:鼻母音化音--例:[tai](単位)
*これからは上の鼻母音を、また口蓋垂鼻音はにかえ、上の色々な鼻音(m・n・・・(=)・)をまとめて、で表わすことにします。
*・はそれぞれny/ngで表記されます。
ところでこのような語中・語尾の鼻音・鼻母音は撥音(や連濁・連声)を発生させています。その音韻変化は次のとおりです。
連濁(和語):tuk(月)+tuk(月)→tuktuk→tukduk→tsukidzuki(月々:つきづき)
(漢語)両唇鼻音の例:sa(三)+hon(本)→sambon(三本:さんぼん)
歯茎鼻音の例:sa(三)+ta(田)→sanda(三田:さんだ)
硬口蓋鼻音の例:sa(三)+aku(尺)→saaku(三尺:さんじゃく)
軟口蓋鼻音の例:sa(三)+kai(階)→saai(三階:さんがい)
連声:sm(三)+w(位)>samw>sammi(三位:さんみ)
n(安)+w(穏)>anw>annon(安穏:あんのん)
みなし連声:mit(道)+ok(奥)>mitiok>mitinoku(陸奥:みちのく)
:kur(呉)+aw(藍)>kureaw>kurenai(紅:くれない)
*「みちのく」「くれない」は連声とはいわれていませんが、今は連声とみなして(「みなし連声」と名づけ)ここにふくめます。また「みちのく」「くれない」への変化に助詞「の」の存在を仮定し、「道+の+奥」→「陸奥」や「呉+の+藍」→「紅」の変化を国語学者の勝手な思いこみで、まちがいです。この変化はこちら。2016.5.28記。
このように連濁では語末鼻音(鼻母音から変化した入りわたり鼻音)が次音節の無声子音と融合し、次音節を有声子音に変化させています。また連声の場合は語末鼻音が次音節の母音音節と融合し、新しく語中にナ・マ行音を発生させていることがわかります。つまり連濁・連声・撥音といった現象を語末鼻音からの変化として、統一的に解釈することができます。
ところで上の音韻変化の原因については、村山氏がすでに次のような考えを出されています。(村山 1981b:156-7)
「現代においては,言語学者,国語学者は語中濁音の前の母音は古代において鼻にかかるもの(それをで表わす。V=vowel。は鼻にかかることを示す。)であったことを推定している。濁音は*NC(Nは鼻音 m,n,C=consonantは b,d,gのような有声子音又はp,t,kのような無声子音を表わす)に由来することがしだいに明らかになってきた。言いかえれば、「濁音」というのは鼻音結合(nasal combination ,ドイツ語 Nasal-verbindung)に由来するという見解が確立されつつある。」
また撥音については鼻母音から撥音への音韻変化を、以前次のように考えました。
C>CV *C:子音、
:鼻母音、V:母音、:撥音
そして上のような鼻母音と語末鼻音との関係は琉球方言にもみられ、本土方言と比較すると、次のようになります。(以前の考察こちらから)
1.「京都方言と波照間島方言の「月」の音韻変化は次のとおり。
鼻母音 入りわたり鼻音/語末鼻音(消失 /連濁)
京都方言 :tuk --------------→tuk -→(tuki「月」/tukiduki「月々」)
波照間方言:tuk(-→tsk→)----→skng」
2.「本土方言と首里方言(沖縄県那覇市首里)の動詞終止形の対応は次のとおり。(首里方言は服部 昭和34:334より)
鼻母音 :消失 残存
書く(kak):kaku(本土方言)
[katu](首里方言)」
そしてこれらの対応から、次のようなことがわかります。
本土方言 :鼻母音(C)---→語末鼻音消失(CV)
琉球方言(の一部):鼻母音(C)---→語末鼻音残存(CVng)
*鼻母音の消失は連濁・連声・強調形・二重語・方言形や撥音を生みだしています。
このような鼻母音()と語末鼻音(ng)の残存、入りわたり鼻音()・撥音()の発生や連濁・連声との関係から鼻母音の音韻変化を、次のように考えることができます。(以下、二音節に簡略化して変化を考えます。詳しい考察はこちら)
A.鼻母音-→入りわたり鼻音-→入りわたり鼻音が消失して、連濁・みなし連声の発生をうながした。
1.連濁 :C11C2V2>C1V1C2V2>C1V1C2'V2 例:「手で」(本土方言)
2.みなし連声:C11V2>C1V1V2>C1V1NV2 例:「紅」(本土方言)
B.鼻母音-→入りわたり鼻音-→入りわたり鼻音が消失して、撥音・連声の発生をうながした。
1.撥音:C11C2V2>C1V1C2V2>C1V1C2'V2 例:「読んで」(本土方言)
2.連声:C11V2>C1V1V2>C1V1NV2 例:「三位」(本土方言)
B.鼻母音---→語末鼻音として残存
C1V1C22>C1V1C2V2ng 例:skng(「月」:波照間島方言)(琉球方言)
[katu](「書く」:首里方言の動詞終止形)(琉球方言)
*C1:子音。C2:無声子音。C2':有声子音(C2の連濁)。NV2:有声鼻音(連声)。V1、V2:母音。、2:鼻母音。:入りわたり鼻音。:撥音。ng:語末鼻音。:入りわたり鼻音消失をあらわす。
つまり古代日本語の語末は単純母音ではなく、鼻母音であったと考えることにより、その鼻母音が古代に見られた連濁・みなし連声や中世に見られた連声・撥音などの発生をうながしたということができるでしょう。そしてそう考えると中世以降撥音の発生がみられるようになったこと、それに応じて(その頃から)連濁・連声の現象がだんだんと見られなくなってきたこと、入りわたり鼻音がその当時多くみられたことなどの現象をうまく説明できるでしょう。また現代では連濁の現象も固定化された語彙にみられ、連濁現象そのものが痕跡となりつつあることなどもうまく説明できます。たとえば私の別のHPである「倭言」(わごと)は私が作った即席の語彙で、いままでの日本語にはない語彙ですが、それでもしっかり連濁が見られます。もちろんこれは「わこと」(「倭の言葉」の意。「倭」は古代日本の日本人による自称です。詳しい考察はまたのちほど)と読んでもなんのさしつかえもないのですが、やっぱり「わごと」と読むのがふさわしいのではないでしょうか?つまりこのようなことを考えると、今も日本語には連濁現象の痕跡がみられるということができるでしょう。そしてまたこの痕跡は本土方言ばかりでなく、琉球方言の一つである波照間島方言や首里方言にも語末鼻音-ngの残存として見られることから、古代日本語から連綿とつづく、いいかえれば日本語祖語の文法現象として考えることができるでしょう。
ところでここで琉球方言にみられる語末鼻音-ngの残存現象がオーストロネシア語族に属するオセアニア諸語にもみられることを、次の比較からみておきましょう。(引用はこちらから)
波照間島方言 サンギル語 パラウ語
pato-ng(「鳩」) bulu-ng(「毛」) stoa-ng(「店」:英語借用:store)
首里方言 サンギル語 パラウ語
[katu](「書く」) inu-ng(「飲む」) Ak mo (*ma-kaen>)mnga-ng.(「私は食べる(mnga)だろう」)
*サンギル語はインドネシア東北部で、パラウ語はミクロネシア西部で話されている言語。
上のような波照間島方言や首里方言、そしてサンギル語やパラウ語にみられる語末鼻音の残存現象にたいして、崎山氏は「原オセアニア語と古代日本語との間に存在する以上のような並行的現象にたいし、言語類型地理論的にも説明が要求されるであろう。」(崎山 平成2 :118)と述べておられます。しかしここまでの考察で琉球方言の語末鼻音の残存も原始日本語の文法現象の痕跡の一つであることがわかったいま、琉球方言にみられる語末鼻音の残存現象を単なる波照間島方言や首里方言にのみ見られる特殊事象として考え、原オセアニア語との比較をすることは的をはずれているでしょう。つまり上の語末鼻音の残存現象を琉球方言にみられる一特殊事象としてとらえるのではなく、語末鼻音の残存現象も連濁・(みなし)連声、撥音の発生、入りわたり鼻音の存在といった現象も、それらすべてが原始日本語の語末鼻母音の痕跡として考えることが必要だということです。そしてこのように考えることにより、日本語祖語と原オセアニア語、ひいてはオーストロネシア祖語との同系性を証明することができるのです。
さてここまで古代日本語に語末鼻母音が存在したことを述べてきましたが、ではこの語末鼻母音はどのように発生したのでしょうか。これからこの問題を考えることにします。まずそのために、ここで中国語の各方言の語末鼻音の状態を見てみることにしましょう。(それぞれS.R.ラムゼイ 1990:122,133。簡体字は日本漢字になおしてあります)
1.上海語について
「上海語の音節は,母音か,声門閉鎖音(q),または鼻音の-ngでしか終わらない。鼻音韻尾は,本当の軟口蓋音[ng]に聞こえることもあるが,時には先行母音が鼻音化したようにしか聞こえないことがある。例えば,《方》にあたる語は,[fng1]とも[f1]とも発音され得る。さらに幾つかの上海語の単語を,広東語と北京語の対応語を比べてみよう。
上海 広東 北京
納 nq nap n
福 foq fuk f
発 faq fat f
方 fng1 fong1 fng
粉 fng3 fen3 fn
最初の3例から分かるように,声門閉鎖音は,すべて,かつて音節末の位置に一連の破裂音の区別(-p,-t,-k)を持っていた名残りである。これらの音節末子音は広東語では保存されているが,北京方言では完全に失われている。
最後の二つの例から分かるように,上海人は鼻音韻尾の-nと-ngを区別しない。上海人にとって,北京語でこれらの鼻音韻尾で終わる語は,皆同じに聞こえるのである。・・・(以下省略)」
2.広東語について(下記例は一例のみ)
「広東語のこれら六つの音節末尾子音は,正に唐代の標準読書音のそれなのである。官話は音節末では,保守性において広東語には著しくひけをとり,二つの音節末尾子音-n,-ngしか持っていない。次に,何が起こったかを説明するいくつかの比較例を挙げよう。
広東 -m 北京 -n
感 ka:m3 gn
広東 -n 北京 -n
分 fan1 fn
広東 -ng 北京 -ng
張(姓) tsng1 zhng
・・・(以下省略)」
上の比較からわかるように、中国語における音節末鼻音は広東語でm,n,ngの3種、また北京語でn,ngの2種、そして上海語ではn,ngを区別しないことがわかります。そして上海語の《方》にあたる語が[fng1]とも[f1]とも発音されることもあることなどを考えあわせると、語末鼻音の変化を、次のように考えることができるでしょう。
両唇鼻音 歯茎鼻音 (軟口蓋鼻音)口蓋垂鼻音 鼻母音化音
m――――→n――――→(=ng)――→―――――→
つまり上のような変化から鼻母音化()、つまり鼻母音()が発生し、その鼻母音()が入りわたり鼻音()に変化し、そのことで連濁・(みなし)連声や撥音(「ん」)の発生、また琉球方言の語末鼻音(ng)の残存などの現象があらわれたと考えることができます。
さてここまで連濁・連声などの音韻変化が語末鼻母音からの変化であることを述べてきたのですが、このような音韻変化は意外なところにもあります。そこでこれからその音韻変化をみてみることにします。まず連声と、みなし連声の音韻変化をもう一度みてみます。
1.連声
sm(三)+w(位)>samw>sammi(三位:さんみ)
n(安)+w(穏)>anw>annon(安穏:あんのん)
2.みなし連声
mit(道)+ok(奥)>mitiok>mitinoku(陸奥:みちのく)
kur(呉)+aw(藍)>kureaw>kurenai(紅:くれない)
ところで上の連声(「三位」「安穏」)やみなし連声(「陸奥」「紅」)の変化をみるとわかるように、語末・語間にそれぞれ「み」「の」「の」「な」といったマ・ナ行音があらわれています。このように語末・語間の鼻母音(や語末鼻音)によってマ・ナ行音が発生していることから、ここでこのような音韻変化が、また語頭のナ・マ行音を発生させたと考えることができるでしょう。
そこでこの考えにもとづいて連声・みなし連声と語頭のナ・マ行(例として、一音節)の発生現象とを比較すれば、次のようになるります。
1.マ行連声
連声:sm(三)+w(位)>samw>sammi(さんみ)
語頭:mV1>mV1(マ行の発生) 例:mo>mo(モー:野原。沖縄の奥武方言。ただし「モー」の長音と喉頭音化の問題は今回考察を省きます。)
2.ナ行連声
連声 :n(安)+w(穏)>anw>annon(あんのん:安穏)
みなし連声:mit(道)+ok(奥)>mitiok>mitinoku(みちのく)
語頭 :mV1>nV1>nV1(ナ行の発生) 例:mo>no>no(ノ:野)
*V1:母音。m,n:鼻母音からに変化した入りわたり鼻音。mV1:語頭マ行音。nV1:語頭ナ行音
このように語末鼻音(m→n)の変化を考えると、語頭のマ・ナ行音の発生を連声の変化と同じものとしてうまく説明することができます。つまり古代において初頭音節が(鼻母音から変化した)入りわたり鼻音をともなった母音音節(ア行音:mV/nV)ではじまっていた語が中世における連声と同じような融合変化を起こしたため、語頭のナ・マ行を発生させたといえます。そして語頭のナ・マ行の発生をこのように考えれば、語頭ナ・マ行の発生と連声やみなし連声における語中のナ・マ行音の発生とのあいだの違いは、ただその発生の古さの違いにあるといえるでしょう。そして連声とみなし連声による語中のナ・マ行の発生を中世までにみられた特殊な音韻変化としてではなく、語頭のナ・マ行の発生からつづいた原始日本語の一般的な音韻変化としてとらえることができるでしょう。
さてこのように連濁・(みなし)連声や撥音・入りわたり鼻音、あるいは語頭のナ・マ行音の発生を統一的に解釈してきたのですが、一つ問題が残ります。それは語頭のナ・マ行音(nV音・mV音)は発生したのに、なぜ語頭のガ行鼻濁音(行音:V音)は発生しなかったのでしょうか。語末鼻音の変化はm→n→(=ng)なので、語頭のマ行音ののちに語頭のナ行音が発生し、語頭のナ行音ののちに語頭の行音が発生してもよさそうなのに、語頭の行音は現代にいたる今日まで発生していません。これはなぜなのでしょうか。そこでこの問題をこれから考えることにします。
それには中世における語末鼻音の変化が参考になるので、中世における語末鼻音の変化を、次にみることにします。(橋本進吉 1980:162)
「…院政時代から鎌倉時代になると、次第にそのmとnとの区別がなくなって「ン」音に帰し(「覧」「三」「点」などの語尾mが「賛」「天」などの語尾nと同じくn音になった)、またngはウまたはイの音になり(「上ジヤウ」「東トウ」「康カウ」などの語尾ウ、「平ヘイ」「青セイ」などのイは、もとngである)、……(以下、入声音の語尾p・t・kの変化は省略)」
上の語末鼻音の変化は、次のようにあらわすことができます。
m(両唇鼻音)――→n(歯茎鼻音)
(軟口蓋鼻音)―→iまたはu(母音)
つまり中世における語末鼻音の変化は、次のように考えることができるでしょう。
両唇鼻音 歯茎鼻音 (軟口蓋鼻音) 口蓋垂鼻音 鼻母音化音 母音化
m――――→n――――→(=ng)――→―――――→――――→i/u
このように軟口蓋鼻音(=ng)が母音化(i/u)したことがわかると、語頭の行音が発生しなかった理由を次のように考えることができるでしょう。つまり古代において語末鼻音はm→n→(=ng)と変化し、その変化に対応してマ行音(mV→mV行(マ行))、その後ナ行音(nV→nV行(ナ行))が発生したのですが、そのあと行音が発生するまえに、肝腎の語末鼻音((=ng))がiまたはuと母音化してしまい、みなし連声のような融合変化(例:「mit」(道)+「ok」(奥)>「mitiok>mitinoku」(みちのく))が起こらなかったために、語頭の行音が発生しなかったと考えることができます。
ところでいま語頭の行音が発生しなかった理由として、みなし連声のような融合変化が行音の発生まえに語末鼻音(=ng)がiまたはuと母音化してしまったためと考えたのですが、やはり少し納得できないところがあります。なぜなら中世には入りわたり鼻音が存在していたことから、中世に急に入りわたり鼻音が発生したと考えないかぎり、奈良・平安時代には入りわたり鼻音の存在があり、行音が発生する融合変化の条件はととのっていたと考えられます。また奈良・平安時代にはもうすでにマ・ナ行音はア・カ・サ・タ行などにくらべてはるかに語彙数が少ないとはいえ、かなりの語彙(ナ行音のほうが語彙数は少ない)ができあがっていたのです。これらのことを考えあわせれば、奈良・平安時代にはすでに語頭の行音が発生する融合変化の条件はととのっていたのに、行音は現在まで一語も発生せずに、中世まで入りわたり鼻音(-)として存在し、そのあと入りわたり鼻音(-)は母音化したことになります。つまりここで起こる疑問は奈良・平安時代にはもうすでに語頭のマ・ナ行の語彙が多数できあがっていたのに、語頭の行音の語彙が一語も発生しなかったことの理由です。もちろん語末鼻音がm→n→(=ng)と変化したのだから、マ行音よりナ行音のほうが語彙数は少なく、行音はもっと少なく、つまり行音は一語も発生しなかったと考えることもできます。しかし語頭の行音が現在まで一語も発生しなかったというのはやっぱりちょっと不思議なものです。このように考えてくると語頭の行音の語彙が現在まで一語も発生しなかったことの理由を入りわたり鼻音(-)が母音化(i/u)したためとばかり考えるのは問題があり、それよりは語頭の行音が発生する融合変化をさまたげる、また別の原因があったと考えるのが良いのではないでしょうか。
このように考えてくると、以前考えた喉頭音化の現象が重要になってきます。そこでもう一度、喉頭化音と考えられる古代の例(「櫂・妹い」)と現代の例(「朝」「奥」)を、次に引用しておきます。
古代 現代本土方言 現代首里方言
「櫂」(加伊) : kai→ kai 東京 [asa] 18 奥 uuku
「妹い」(妹伊):imoi→imoi 京都 [asa] 19 桶 'uuki」
*「」:声門閉鎖音([])。「ゴホンと咳をするときの、最初の、のどがしまるような感じがする」(柴田 1978:716)音。
上に見られるように喉頭音化がみられる現象は古代から現代にいたるまで見られるので、ここで喉頭音化の現象をみなし連声にも考えると、その変化は、次のように考えることができるでしょう。
例:mit(道)+ok(奥)>mitiok>mitiok>mitinoku(陸奥)
このように考えると、語頭の行音の語彙が現在まで一語も発生しなかったということをうまく説明できると思います。つまり語末鼻音がm→n→(=ng)と変化し、それに応じて語頭のマ行、そののち語頭のナ行への融合変化が起こったのですが、「ok」(奥)のように語頭に声門閉鎖音([])が存在していたために、入りわたり鼻音(-)と次項の語(たとえばok(奥))がなかなか融合できず、そのため語頭の行音が発生しなかったと考えることができます。現在でも各地の方言に語頭に声門閉鎖音のある語が存在していることから、語頭の声門閉鎖音の消失は遅くまで起きていなかったと考えることができます。そしてそのことにより、入りわたり鼻音はだんだんとm→n→ngと変化したにもかかわらず、語頭の声門閉鎖音の消失よりは入りわたり鼻音(ng)のほうが先に母音化(i/u)したために、みなし連声のような融合変化が起きず、そのために語頭の行音が発生しなかったと考えられるでしょう。
さてここでここまで考えてきた連濁・(みなし)連声や撥音・入りわたり鼻音、あるいは語頭のナ・マ行音や琉球方言の語末鼻音(ng)の残存などへの変化を、例をあげてまとめておきます。
両唇鼻音 歯茎鼻音 軟口蓋鼻音 口蓋垂鼻音 鼻母音化音 母音化
m―――――――――――→n――――――→(=ng)―→―――→―――→i/u
語頭:mo:(野原:マ行)――――→no(野:ナ行) (なし)
語中(連濁):keburi→kemuri(煙) (yomite→)yonde(読んで) kao(籠)
(入りわたり鼻音):[kambe](壁) [mando](窓) 「Mda」(未だ)/マンズ(先ず:秋田方言)
語間(連声):sammi(三位) annon(安穏) (なし)
(撥音・みなし連声): kurenai(紅) aka(あかん) tai(単位)
(新濁):sambon(三本) sanda(三田) saai(→sagai:三階)
語尾:san(三)/ten(天)(漢語)-→san/ten―――――――→sa/te(撥音:現代)
dong(東)/ping(平)(漢語)――――→tou/hei(母音化)
語末鼻音: skng(月:波照間方言)/katu(書く:首里方言)
*琉球では「モーアシビ」(野遊び)という習俗がありました。沖縄本島の奥武方言では[mo:](「野原」)と[aibu](「遊ぶ」)があります。(それぞれ中本 1976:279,p423)
*「面高」(おもだか)は「面」と「高」(おも+たか)がのち連濁した言葉ですが、このように一語化すれば、その連濁は「面」と「高」の語間ではなく、「面高」(おもだか)という語中に起こったようにみえます。このように連濁・連声などが語中に起こったか、語間に起こったのかは簡単にはきめることができませんが、上ではいちおう語中と語間の例を、べつの項目としてあつかっています。
さて今回は語頭のナ・マ行の発生を連濁・(みなし)連声や撥音・入りわたり鼻音、あるいは語中のナ・マ行音の発生と同じ語末鼻母音からの音韻変化として統一的に解釈できることを述べてきました。そしてその語末鼻母音の発生の原因は鼻音結合に由来する(村山氏の考えから)のですが、ではその鼻音結合がなにゆえに起こったのか、またその起こった原因が日本語とオーストロネシア祖語との同系証明にどのように関係しているかといった問題は、またこれからの更新でおいおいと説明していくことにして、今回の更新を終えることにします。