「連濁はいつ起こるのか?」


2001.08.01 更新)

 このページは濁音ザ・ダ行を生んだ清音サ・タ行の変化を考えます。

 01.はじめに
 02.連濁とは何か
 03.清濁と連濁の関係
 04.清む(清音)と濁る(濁音)
 05.ガ行鼻濁音
 06.サ行の直音化について
 07.タ行の破擦化について
 08.ツァ行音について

  目次(「連濁はいつ起こるのか?」)へ  


6.サ行の直音化について

 サ行はヘボン式ローマ字でsashisusesoと表わされることからもわかるように、次のように二つの違った子音があらわれます。

サ・ス・セ・ソ:[sa][su][se][so]s:歯茎摩擦音)
シ      :[i]           (:後部歯茎摩擦音。硬口蓋歯茎摩擦音)

 このように現在のサ行音は二種の子音を使いわけているのですが、シ・セ16世紀末頃にはシ([i])・シェ([e])であったと考えられています。そこで十六世紀末に来日したポルトガル人宣教師J・ロドリゲスの『日本大文典』にみられる、当時の関東におけるサ行頭子音にたいする記述を大野氏の本から抜書きしてみます。(大野 1974:93

xe(シェ)の音節はささやくやうにse(セ)又はce(セ)に発音される。例へばXecai(世界しえかい)の代りにCecai(せかい)といひ、Saxeraruru(さしぇらるる)の代りにSaseraruru(させらるる)といふ。この発音をするので、関東のものは甚だ有名である。(改行)
 これによれば、シェンシェイ(先生)、ジェンジェン(全然)という発音は、田舎において発達したものではなく、むしろ、室町時代においては都で普通に行われていた発音で、関東の田舎者が、セの〔se〕の発音を始めたことが分る。セをシェならぬ〔se〕に発音することは、関東から始まって、西へ西へと広まって行き、今日では北九州だけにシェが残ったのである。」

 上の記述からその当時関東でセ、都ではシェと発音していたことがわかります。そして現在の京都方言(むかしの京訛り)ではセであることから、シェセの変化があったと考えることができます。つまり上の大野氏の考えにしたがえば、過去のある時期にはシェの発音が関東以西をおおっていたと考えることができます。
 ところでこのようにシェはセに変化したと考えると、現代のサ行音の中でシのみ後部歯茎摩擦音([])である理由は次のように考えることができます。(小松 昭和56:156

「・・・歴史的に見ると、[i]は狭い母音に同化されて[si]から変化したわけでなく、逆に、狭い母音[i]の前に立ったために[si]に移行せず[i]のままに保存されているという事実である。・・・(以下省略)」

 つまり狭い母音iの影響で[i]shi→[si]si)へ変化せず、現在も[si](スィ)でなく[i](シ)にとどまっていると考えることができます。
 ところでこのようにスィへ変化せず、しぶとくシにとどまってきたこのシもスィに変化しはじめています。(大野 1994a:271-2

「これと並んで現在進行中なのは、「シ」の音の変化である。シを[i]と発音するのが標準的であったのだが、現在の若者たちの間では、これを[si]で発音する者が増えつつある。これは[sa][si][su][se][so]とサ行をすべて[s]で発音して、[]と[s]の区別を一つ減らして、簡略化しようとするものである。現在の[se]は三百年、四百年以前には[e]「シェ」と発音するのが標準だったのに、関東のほうから[se]という発音が始まって広まり、全国に行きわたった。その例から推せば[si]の音もいずれ全国に徐々に、しかし着実に広まるだろう。・・・(以下省略)」

 大野氏が上で観察、推測されているこのようなシをスィと発音する新しい変化は現代日本語における言葉の乱れとしておおいに話題になっていて、特に(東京近辺の現代)女子大生に顕著であると、次のように報告されています。(それぞれ大野 1989c:215-6,國廣 1983:88

大野 発音のことでいうと、女の子が「し」と「す」がちゃんと発音できなくなって、非常におかしくなっている。「千葉県の人」を「ツィバ県のストが」というんですよ。それと、サシスセソと言えない、スァスィスゥスェスォになっちゃう。「スォんなことスィないわよ」になるんです。で、「君の発音はおかしい、サ・シ・ス・セ・ソといってごらん」と言ったら、「エエッ、そんなことやったら私の英語の発音がだめになっちゃう」というんですよ。」
 *筆者注:回答者座談会「国語の授業では発音を教えない」の項の大野氏の発言。

「・・・ところが、とくに若い女性、中学生から高校生くらいの女性の発音を聞いていると、印象だけれども三十%くらいの人が「スィ」[si]という発音になる。「ワタスィ」という発音になっている。・・・(途中省略)・・・そういう「スィ」という人たちは、「シャ・シュ・ショ」いわゆる拗音の発音も少し違っていて[sja,sju,sjo]という発音になる。「イッショ」と言わなくて「イッスィョ」と言う。」

 このような傾向はスルをシルというサ変活用にみられる「そうしか そうしばいい」(千葉県・埼玉県・神奈川県に:大野 1978:104)といった言葉使いにもあらわれています。
 ところでこのような[](後部歯茎摩擦音)→[s](歯茎摩擦音)への変化は、琉球方言の形容詞の形式の変化にもみられます。そこで琉球の古典である『おもろさうし』の形容詞の形式と本土方言との対応を次にみてみることにします。(外間 昭和56:289-290

「・・・「基本語幹+さ(sa)」「基本語幹+しや(a)」の形はもっとも優勢である。この「さ形式」「しや形式」は単独で体言を修飾したり、述語になって文を終止したり、また名詞形になったりする。
さ形式」は国語のク活形容詞と、「しや形式」はシク活形容詞と次のような対応関係をもっている。
  オモロ例   国語例    (意味)   対応
  たかさ    たかし   (高し)   ク活
  とうさ    とほし    (遠し)   ク活
  わかさ    わかし   (若し)   ク活
  うれしや   うれし    (嬉し)   シク活
  かなしや  かなし    (悲し)   シク活
  まさしや   まさし    (正し)   シク活
さ形式」には論理的概念をあらわす語が多く、「しや形式」には情緒的概念をあらわす語が多いという事実も、国語のク活形容詞、シク活形容詞の意味的内容と通ずるものである。・・・(以下省略)」

 そしてこの「さ形式」「しや形式」の変化は、次のようになっています。(外間 昭和56:290-1

「・・・その他、組踊、琉歌、『中山伝言録』などをみても、「さ形式」「しや形式」の優勢が続くが、明治初期の『沖縄対話』まで下ってくると、「さ形式」「しや形式」のほかに「さん形式」「しゃん形式」が新しくあらわれてくる。さらに『琉球会話』になると、「さ形式」「しや形式」がほとんどみられず、「さん形式」「しゃん形式」に変りきっていて、現代方言の形容詞とほとんど同じ形になってくる。ただ、琉歌などのように古格を重んずる歌語では、「さ」「しや」形式が踏襲されている。
さん形式」「しゃん形式」のうち、現代では「しゃん形式」が弱まって「さん形式」が優勢である。また「さん」から変化した「はん」が新しく発生してきている。」

 このように本土方言だけでなく琉球方言にもサ行の直音化([→[s])が起こっているので、このサ行の直音化は日本語の古来からの音韻変化の方向であると考えることができます。そしてもしこのようなサ行の直音化を認めるなら、東京近辺の現代女子大生がシ([i])をスィ([si])と発音するのは現代日本語における言葉の乱れではなく、ましてや英語の発音にひきずられスィのほうがかっこよいと考えているために起こっている現象ではありません。つまりシのスィへの変化はサ行の直音化という日本語の古来からの音韻変化の方向であるために、「いずれ全国に徐々に、しかし着実に広まるだろう。」(大野 1994a:272)という大野氏の予想は正しいと認めることができるでしょう。若者言葉としておおいに話題になっているスィへの変化の原因をサ行の直音化という日本語の古来からの音韻変化にもとめず、「[]と[s]の区別を一つ減らして、簡略化しようとするものである。」(大野 1994a:271-2)というあなたまかせな大野氏の発言はおおいに問題とすべきでしょう。ここで大野氏をはじめとする国語学者といわれる方々が問うべきことは「シスィの変化が起きるのはなぜか?」「サ行の直音化はなぜ起こっているのか、なぜ起こるのか」といったことであるはずです。(もちろんシよりもスィのほうがかっこよいと考える現代女子大生達の意識の問題はこれはこれで大いに考えなければならない問題ですが。)
 すこし本題をはずれましたが、このように日本語にサ行の直音化([→[s])が起こっていることから上のシェセの変化を他のサ行音にも適用すると、サ行への変化を次のように想定することが可能です。(小松 昭和56:314

「・・・すでに関東の方言ではese;http://ichhan.sakura.ne.jp/mark/z.jpgezeという変化を起こしていたことが、一六〇三年に長崎で刊行された、ロドリゲス『日本大文典』の説明によって知られる。この変化の逆をたどれば、ある時期には、サ行、ザ行が
  a i u e o
  http://ichhan.sakura.ne.jp/mark/z.jpga http://ichhan.sakura.ne.jp/mark/z.jpgi http://ichhan.sakura.ne.jp/mark/z.jpgu http://ichhan.sakura.ne.jp/mark/z.jpge http://ichhan.sakura.ne.jp/mark/z.jpgo
という状態だったのではないかという推定が成り立つが、その具体的証明は困難である。まして、それより古い段階のことになると、サ行・ザ行の音価推定はいよいよむずかしい。」
 *筆者注:(無声後部歯茎摩擦音)。http://ichhan.sakura.ne.jp/mark/z.jpg(有声後部歯茎摩擦音)。

 ところでこのサ行音の音韻変化は以前から問題になっているところで、上の(後部歯茎摩擦音)への変化(t→t)ではなく、ts(歯茎破擦音)の変化(t→ts→s)を仮定する考えもあるのですが(いろんな考えは奥村 昭和47:120-1,山口 1997:158をみてください)、ここでは私のエピソードをひとつ紹介することにします。

 私は二十年以上前にはじめてネパール語を習ったのですが、そのときそのアルファベットの順が五十音図のそれと似ているのに驚きました。でも考えてみるとネパール語は梵語として知られているインドのサンスクリットと同系の言語なので、パール語の文字順と整理された現在の五十音図の行・列(「アイウエオの起源」(水野 平成4:208-215)にやさしい解説があります。)がよく似ていても不思議ではなかったのです。しかしそのときその似かよりとともに五十音図のサ・シャ行の位置を不思議に思いました。なぜならサ行はワ行のあとになく、カ行とタ行のあいだにあったからです。この私の素朴な疑問は、次の引用にもでています。(奥村 昭和47:119

「・・・また、古い五十音図においては、小西甚一氏の『文鏡秘府論考』上巻(三四二頁以下)その他でも説かれる如く。各行の順序が、いろいろに揺れるらしいが、最初の「カサタ」三行に関する順序は、孔雀経音義や反音作法以下、ほとんど一定の様である。少なくとも、サ行を、s音相当の位置ーすなわち、ワ行の直後においている音図は、全く認められない。・・・(以下省略)」

 上の引用をわかりやすいように、五十音図とサンスクリット・梵語の子音(ただし都合上、比較に必要な子音のア段のみ)を比べてみると、次のようになります。(梵字については窪田 平成3:41-6を参照しました。)

五十音図  :カ行 サ行 タ行 ナ行 ハ行 マ行 ヤ行 ラ行 ワ行
サンスクリット:ka--ca--ta---na--pa---ma--ya--ra--va--http://ichhan.sakura.ne.jp/mark/s_slash_small.jpgahttp://ichhan.sakura.ne.jp/mark/dot_s.jpgasa-ha
梵語      :ka--ca--ta---na--pa---ma--ya--ra--va--http://ichhan.sakura.ne.jp/mark/s_slash_small.jpgahttp://ichhan.sakura.ne.jp/mark/dot_s.jpgasa-ha
梵語(漢字) :迦---------------------捨・灑・娑-
梵語(慣用音):キャ,シャ,タ  ,ナウ,ハ   マ  ヤ  ラ  バ  シャ,シャ,,
 *cはチャ行音(ch[t])。pはパ行音([p])。hはハ行音([h])。http://ichhan.sakura.ne.jp/mark/s_slash_small.jpghttp://ichhan.sakura.ne.jp/mark/dot_s.jpgsはそれぞれシャ行音(sh[])・そり舌のサ行音(http://ichhan.sakura.ne.jp/mark/dot_s.jpg[http://ichhan.sakura.ne.jp/mark/retroflex_s.jpg])・サ行音(s[s])。

 上の比較でわかるように、五十音図とサンスクリット(梵語)の対応がくずれているのはサ行(http://ichhan.sakura.ne.jp/mark/s_slash_small.jpghttp://ichhan.sakura.ne.jp/mark/dot_s.jpgsではなく、c)とハ行(hではなく、p)です。そしてこの対応がくずれている原因はサンスクリットを梵語として日本に受けいれた時代に、当時のサ行音とハ行音がそれぞれ現在のサ行音(s/)・ハ行音(h)と同じでなかったからであると考えられます。なぜならもしその時代に現在のs/音やh音が存在したのなら、サンスクリットにもともと存在するhttp://ichhan.sakura.ne.jp/mark/s_slash_small.jpg)・http://ichhan.sakura.ne.jp/mark/dot_s.jpghttp://ichhan.sakura.ne.jp/mark/retroflex_s.jpg)・ss)やhh)のところにサ行やハ行をおいたと考えられるからです。つまり上の五十音図とサンスクリット(梵語)の対応のくずれは当時のサ行やハ行の音が現在のs/音やh音ではない、それに近いt音(チャ行音:後部歯茎破擦音)・ts音(ツァ行音:歯茎破擦音)やhttp://ichhan.sakura.ne.jp/mark/f.jpg音(ファ行音:両唇摩擦音)の可能性を示唆するものといえるでしょう。
 サ行の変化はのちにもう一度考えるとして、タ行の破擦化についてこれから考えることにします。

7.タ行の破擦化について

 タ行はヘボン式ローマ字でtachitsutetoと表わされることからわかるように、次のように三つの違った子音があらわれます。

タ・テ・ト:[ta][te][to]t:歯茎閉鎖音)
チ    :[ti]      (t:後部歯茎破擦音)
ツ    :[tshttp://ichhan.sakura.ne.jp/mark/umlaut_uu.jpg]      (ts:歯茎破擦音)

 このように現在のタ行は上のように三つの子音を使いわけているのですが、奈良時代のチ・ツはそれぞれ歯茎閉鎖音のti(ティ)・tu(トゥ)で、室町時代に入ってそれぞれti(ティ)→chi(チ)・tu(トゥ)tsu(ツ)の破擦音に変化したことが知られています。このような考えの一つを引用しておきます。(山口 1997:158)(破擦化はこちら

「タ行子音は,かっては,すべて[t]であったと考えられるが、キリシタン資料では,チはchi,ツはthttp://ichhan.sakura.ne.jp/mark/palatal_h.jpguと表記しているから,室町末期には,現代と同じく[ti][tsu]であったとみられる。[ti][tu]から,[ti][tsu]へ移行した時期が問題であるが,大体,室町中期までは[ti][tu]であったらしい。朝鮮板で『伊呂波』(1492)のハングル表記では,チを[ti],ツを[tu]で表記しているが,『捷解新語』(初版,1676)では,チを[ti],ツを[tu]で表記しているからである。」
 *筆者注:[tsu]はツ(精密表記で[tshttp://ichhan.sakura.ne.jp/mark/umlaut_uu.jpg])の簡略表記で、一般的にもちいられています。 

 ところでこのような歯茎閉鎖音tが狭い母音iuの影響で破擦音のtitsuに変化するのは世界中の言語によく見られる変化で、「破擦の最後が単なる摩擦音になってしまう」(シュービゲル 1982:97)この変化は破擦(音)化とよばれています。そこでこの破擦化をそれぞれの閉鎖音(k,t,p)についてみてみると、次のようになります。

       無気閉鎖音  有気閉鎖音  破擦音  摩擦音
軟口蓋音:k---------→kh--------→kx/khttp://ichhan.sakura.ne.jp/mark/fricative_x.jpg--→x/http://ichhan.sakura.ne.jp/mark/fricative_x.jpg
歯茎音  :t---------→th--------→ts/t---→s/http://ichhan.sakura.ne.jp/mark/sh.jpg
両唇音  :p---------→ph--------→p-----→http://ichhan.sakura.ne.jp/mark/f.jpg/f
 *タ行の例:「チ」(歯茎閉鎖音[ti]→後部歯茎破擦音([ti]))。「ツ」(歯茎閉鎖音[tu]→歯茎破擦音([tsu]
 *ハ行の例:共通語の「フ」(両唇摩擦音:[http://ichhan.sakura.ne.jp/mark/f.jpghttp://ichhan.sakura.ne.jp/mark/uu.jpg])。また上の珍しい両唇破擦音pfは沖縄の久高島にみられます。(たとえば[phttp://ichhan.sakura.ne.jp/mark/small_fricatives_F.jpgaku](箱):中本 1990:212)。
 *上の有気音化(無気閉鎖音有気閉鎖音への変化)がどうして起こったのか以前から疑問に思っていましたが、たまたま昨日読んだ本のなかの「印欧祖語の子音組織に無声帯気音の系列が祖語に仮定されるべきか否か」についてふれた文章のなかで、「・・・さらに、無声帯気音phの系列があるが、これは本来spphと考えられる。・・・(以下省略)」(風間 1978:143)という考えをみることができました。この考えを受けいれれば、上の語頭の破擦化は前接辞s←ssVVはそれぞれ母音と無声化母音。このsVは上代の係助詞ソや副助詞シと同源と考えられる)の存在を仮定することができます。そしてこれは語頭以外に起こった喉頭音化(「ハ行転呼音になぜ喉頭化母音はあらわれたのか(問題2)」)と対になる変化と考えられますが、いまはまだ語頭の有気音化(再びハ行頭子音の変化について(問題1))と語頭以外の喉頭音化の差をうまく説明できません。(この項は2001.7.20に追補しました。)

 このように上代にはハ行に、そして中世にはタ行にも破擦化がみられたのですが、この破擦化は先史日本語にも起こったと考えられます。そこでサ行音がツァ行音にさかのぼるという村山氏の考えをみてみることにします。

8.ツァ行音について

 さきほどサ行音がシャ行音に遡るのではないかと考えたのですが、サ行音がより古くはタ行のツ([tshttp://ichhan.sakura.ne.jp/mark/umlaut_uu.jpg])にあらわれるts音(歯茎破擦音)から変化したと、村山氏が考えられておられるので、その著書から引用します。(村山 1988:18:日本語最古の記録である稲荷山鉄剣銘(471年と見られる)の人名表記を使用した考察から)

「サ 沙 http://ichhan.sakura.ne.jp/mark/dot_s.jpgasa   多(人名。ワケは官職名) tasaki
   差 http://ichhan.sakura.ne.jp/mark/dot_t.jpghttp://ichhan.sakura.ne.jp/mark/dot_s.jpghttp://ichhan.sakura.ne.jp/mark/a_vcurve.jpgtsa 加(人名) katsapayo

シ  斯 siesi   ミヤ(宮殿名) si ki-miya
   次 ts‘iitsi  多(人名) takapatsi

ス 足 tsiuktsuk スク(敬称) tsukune(23)

 そして上の「足尼」の例からサ行子音の変化を、村山氏は次のように考えられました。(村山 1988:18-9

「スクネ(宿禰)のスは5世紀には明らかにtsuであったが,8世紀にはsuとなっている。須久泥(古事記),須区禰,宿禰(日本書紀)の須siu、宿siuksu,sukuを表わしている。奈良時代の記録に足尼(続記,774年。足tsiuk)もあるが,これは奈良時代以前からの伝統的な書き方をうけついだもので,足尼と書いてあってもtsukuneでなくsukuneと発音されていたにちがいない。
 稲荷山鉄剣銘から,5世紀にはサ行子音にtssがあったことがわかり,5世紀のスクネの表記足尼tsiukne8世紀にsukuneへと変ったことから,tssの変化が5世紀から8世紀(及びその後)にかけて進行していたことがわかる。奈良時代から平安時代にかけてtssの変化はますます進行し、やがてtsは日本語から姿を消すにいたる。・・・(以下省略)」
 *筆者注:ただし、村山氏は上の引用文(以下省略のなか)で、「サ行音子音はtssにさかのぼる」と考えておられるようです。

 上の村山氏の考察から、サ行はツァ行にさかのぼる(ts→sへの変化)と考えることができますが、まえにサ行はシャ行にさかのぼる(→s)とする考えかたを紹介しました。つまりサ行はツァ行(t→ts→s)、もしくはシャ行((t→t→s)にさかのぼるのではないかと考えられます。(いろんな考えは奥村 昭和47:120-1,山口 1997:158をみてください)

 お断り

 ここまでサ行・タ行の変化を考えてきましたが、少し問題点があります。しかし更新の時間がせまってきたため、その問題点を書くことができませんでした。次回の更新ではまずこの問題点から述べていきたいと思います。