「連濁はいつ起こるのか?」
(2003.12.01 更新)
このページではハ行転呼音の変化について考えることにします。
01.はじめに
02.連濁とは何か
03.清濁と連濁の関係
04.清む(清音)と濁る(濁音)
05.ガ行鼻濁音
06.サ行の直音化について
07.タ行の破擦化について
08.ツァ行音について
09.四ツ仮名について
10.すずめはスズと鳴いたか?
11.ラ行音について
12.日本語にはなぜ行音(V-)がないのか
13.『どれが梅(むめ)やら梅(うめ)ぢややら』
14.「母」は「ハワ」から「ハハ」に先祖がえりをしたのか?
15.「ハワ」から「ハハ」への変化を仮定する
16.みたびハ行転呼音の変化を考える
目次(「連濁はいつ起こるのか?」)へ
前ページでやり残した問題点は、次の二つです。
1.Bの摩擦音化でハ行頭子音の変化(Pu→Fu)を準用していること。
注:ここでは摩擦音化を摩擦音(F)へ変化することに使っています(正確にはBは破擦化(閉鎖音(P)→破擦音(Pf)→摩擦音(F)への変化)です)
2.語頭以外の「ハ」は「ワ」に、「ハ」以外は直接「イ・ウ・オ」へと違った変化をしている事実を説明していない。(次々回2004.06.01の更新で考えることにします)
まず1の問題を考えることにします。Bの摩擦音化でハ行頭子音の変化を準用していることです。以前の考察ではハ行転呼音の変化はPv→wvの直接の変化を考え、Pv→Fvの変化を考えていませんでした。よくわかるように新旧二つの変化を比べてみます。(ここでは「ハワ」への変化に必要な母音aで説明します)
A.ハ行頭子音の変化(Pu---→Fu)
B.ハ行転呼音の変化
1.前の考察:P-→P-→w-→wa
2.今回の考察:P-→P-→F-→w-→wa
前に考察したときは語頭と語頭以外で有気と無気の対立があることから、ハ行音の変化も語頭と語頭以外の違いを考え、それぞれにハ行頭子音の変化とハ行転呼音の変化を考えました。そしてハ行転呼音はPv→wvへの直接の変化を考えその変化のおこる原因も少しは考えついたのですが、結局最後まで考察できませんでした。今回「母」の変化を考えるうちに、「ハハ」が「ハワ」に変化する原因をCのハ行転呼音化のF2にあることに気づきました。そしてこのFは橋本氏の表記で[]と表記される音で、その無声(ウの口構え)が有声化したあと合音化すればu→waになることに気づいたため、その後「ワ」への変化を説明できるようになりました。しかしそうするとハ行転呼音の変化の途中に両唇摩擦音F2への変化を想定しなければならなくなりました。そこでその理由を説明するために語頭と語頭以外の有気と無気の対立はハ行転呼音の変化とは別個の独立した変化と考えざるを得ないと思うようになり、P→F(破擦化:Bでは摩擦音化としてあります)の変化を考えてみました。しかしこのように考えてくると、語頭と語頭以外の有気と無気の対立がハ行音の語頭と語頭以外のその後の変化の違いに影響しているという最初の仮定が崩れることになります。また語頭と語頭以外の有気と無気の対立はハ行音だけでなくカ・タ行などにもあり、それらとの整合性も問題になります。つまりこのように考えてくると語頭以外のハ行音にP→F(破擦化)があったのかどうかということが問題になってきます。
さてこの問題を合理的に説明するために、次のように考えるのが良いと思うようになりました。そこでその考えを説明するために、わかりやすいようにもう一度ハ行頭子音とハ行転呼音の変化を、次に掲げます。
A.ハ行頭子音の変化
Pv-→Phv-→Pfv-→Fv-→Ha/i/Fu/He/Ho
B.ハ行転呼音の変化
Pv-→Pv-→Fv-→wa/i・u・e・o-→wa/i・u・e・o
*ここでは上代特殊仮名遣いは考えず、vは五母音にしておきます。
上の比較でわかるように、Bの変化の中にAの摩擦音化が入っています。よくわかるようにその変化を書いてみます。
喉頭音化 摩擦音化
B’.Pv-------→Pv-------→Fv
つまりハ行転呼音の変化のなかにはハ行頭子音の変化の一部である摩擦音化があることになります。そこでハ行転呼音とハ行頭子音の対立を無気音と有気音の対立としてとらえ、またそれとは別にハ行転呼音の変化の一部には摩擦音化があると考えます。そうすると次のように、甲・乙の変化を別個の独立した変化と考えることができるでしょう。
甲.無気音と有気音の対立
1.語頭以外の無気音:P-→P(喉頭音化)
2.語頭の有気音 :P-→Ph(有気音化)
乙.ハ行頭子音とハ行転呼音の変化
1.ハ行頭子音の変化:Pv----------------→Fu/Ha/i/He/Ho
2.ハ行転呼音の変化:Pv-→Pv(喉頭音化)-→Fv・・・・
さてこのように考えると、Bのハ行転呼音の変化は喉頭音化と摩擦音化が複合したためということになり、無気音と有気音の対立がハ行転呼音の変化とハ行頭子音の変化に関係しているという仮説のジレンマは克服できることになります。ところでここで問題があらたに出てきました。それはもし上のハ行転呼音の変化が正しいとすれば、ハ行転呼音が生じるもととなった両唇閉鎖音(p)と同じ閉鎖音(k・t)であるカ・タ行にもハ行転呼音のような変化が見られるのではないでしょうか。そこでそれらとハ行転呼音の変化を比較すれば、次のようになります。
喉頭音化 破擦音化 摩擦音化 母音化 喉頭音消失
カ行転呼音:Kv------→Kv------→Kxv---------→Xv------→v--------→v
タ行転呼音:Tv------→Tv------→Tv/Tsv-----→v/Sv--→v--------→v
ハ行転呼音:Pv------→Pv-----→Pfv----------→Fv------→wa/v----→wa/v
*:喉頭化音。v:喉頭化母音音。v:母音。w:半母音
K:無声軟口蓋系列音(たとえばKxは無声軟口蓋破擦音)。
T:無声歯茎系列音(たとえばTsは無声歯茎破擦音)。
P:無声両唇系列音(たとえばPfは無声両唇破擦音)。
さてこのように考えてみると、もしカ・タ行にもハ行転呼音とよく似た変化が見られるならば、私の考えたさきほどのハ行転呼音の変化が正しいと考えることができるでしょう。そこでカ・タ行にもハ行転呼音のような変化が見られないかと考えてみると、ハ行呼呼音と同じころに出現した音便という現象に気がつきます。
そこでよく知られているこの音便についてみることにします。(山口・秋本 平成13:114)
「音便・音便形おんびん・おんびんけい
カグハシ→カウバシ、カキテ→カイテ、シリテ→シッテ、カミテ→カンデのように語中尾音節が音節内に生じる連音上の変化を音便という。種類としては、イ音便・ウ音便などの母音系音便と、撥音便・促音便の子音系音便に大別できる。なお、撥音便に関しては、唇内撥音尾の[m]と舌内撥音尾の[n]とが区別されていた平安時代には、カミテ(噛)→カンデをム音便、イニテ(去)→インデをン音便として区別することがある。音便により新たに成立した音について、母音系音便は和語にも「今いま」「牛うし」のように語頭に存在していたイ・ウが、「イモウト」「ツイタチ」のように語中にも位置するようになったという文節内に生じた法則の変化であるのに対し、子音系音便は従来の和語に存在していなかった撥音・促音を新たに生じたもので、音韻組織上の変化である。」
これらの音便をまとめてみると、次にようになります。(山口・秋本 平成13:114の各項などを参照しました。音便についてはこちら)
動詞連用形 形容詞 名詞・副詞・助動詞など
イ音便:@キ→イ 書きて→かいて 高き→たかい(山) 月立(つきたち)→ついたち、べき→べい
Aシ→イ 話した→はないた 高し→たかい 同じ年→おないどし、まして→まいて
Bリ→イ ござります→ございます
ウ音便:Cク・グ→ウ 馥(かぐ)はし→かうばし、お寒く→おさむう
Dヒ・ビ→ウ 呼びて→ようで、買ひて→こうて(西日本方言) いもひと(妹)→いもうと
Eミ→ウ 病みて→やうで
Fガ→ウ かがふり(冠)→かうぶり
促音便:Gチ→ッ 立ちて→たって
Hリ→ッ 切りて→きって
Iシ→ッ
Jヒ→ッ 買ひて→かって(東日本方言)
撥音便:K舌内(ン音便) 死にて→しんで
L唇内(ム音便) 噛みて→かんで、呼びて→よんで、病みて→やんで
ところでウ音便の中には「イモヒト」→「イモウト」(妹)のように[ヒ」が「ウ]に変わったようにみえる特殊な変化をしているものがあります。そこで「ヒ・ビ→ウ」の変化について、次の文章をみておきます。(山口・秋本 平成13:65)
「Aヒ・ビ→ウ。『倭名類聚抄』の「妹(伊毛宇止)」「舅(之宇止)」、活用語尾の場合は相当遅れて室町時代末期の『天草本平家物語』(文禄2)の「忍ウデ」「呼ウデ」などがある。これは@と異なり母音の脱落した形態で、imofito→imouito→imoutoのようにハ行転呼音(語中尾のハ行音のワ行化)を前提にした音便で、必然的に@よりも時代は遅れて現れる。なお、「舅シウト」「妹イモウト」「弟オトウト」「夫ヲウト」に対して、「蔵人クラウド」「間人ハンウド」「賓マラウド」は濁音化するが、後者は連濁形「ビト」の音便化で、清音形は親族関係に濁音形は親族以外にという機能負担のあることが注目される。バ行四段のウ音便形は、室町時代末期に盛んになるが、やがて併存する撥音便形の「シノンデ」「ヨンデ」に吸収される。」
またウ音便のFのガ→ウ(例:「冠」(かがふり))も不思議な変化をしています。そこで上のイ・ウ音便をわかりやすいように、次のように分類してみます。(促音便についてはこちら。撥音便はこちら)
A.規則変化
1.イ音便。例@:書きて→書いて
2.ウ音便(両唇音以外)。例C:お寒く→お寒う
B.特殊変化
3.特殊ウ音便(両唇音)。例D:買ひて→こうて(関西方言)
C.個別変化
4.「人」との複合語。例D:いもひと→いもうと(妹)
5.「冠」。例F:かがふり→かうぶり(冠)
*3・4の変化は特殊ウ音便ということにします。
*特殊ウ音便と促音便・撥音便は交替するときがあります。(例:「買うて」-「買って」。「呼うで」-「呼んで」)
上のようにわけてみましたが、5の「かがふり」はk・kpuri(「かふる」→「かぶる」(被る):kkpuri→kauburi)の変化であると考えられます。また3と4はともに両唇音の「ヒ」「ビ」「ミ」がウにかわるという特殊な変化をしていますが、このイがウに変わるという点を除けば、1・2の子音脱落と見える規則変化と同じと考えられます。つまり3と4の変化は両唇音の場合で、何か特殊な変化をしたためにウに変化したと考えることができます。そう考えると上のそれぞれの変化は、次のように考えることができるでしょう。
1:Ci-----→i------→i(両唇摩擦音以外の変化。イ音便)
2:Cu-----→u-----→u(両唇摩擦音以外の変化。ウ音便)
3:Pi-----→u------→u(両唇摩擦音の変化。特殊ウ音便)
4:Pito----→uto---→uto(「人」:特殊ウ音便)
5:kkpuri--→kauburi(特別変化)
つまりイ・ウ音便の変化は、規則変化(イ・ウ音便)と両唇摩擦音の場合の特殊変化(特殊ウ音便)、そして個別語の特別変化にわけることができます。そして5の特別変化をのぞけば、他のイ・ウ音便は最初に紹介したハ行転呼音のB式を流用すれば、次のように考えることができます。
Ci/Cu--→Ci/Cu--→C'i/C'u--→i/u--→i/u
*C:閉鎖音(p・t・k)。C:Cの喉頭化音。C':Cの摩擦音。i・u:i・uの喉頭音化音。i・u:母音イ・ウ
*上の変化を「イ段転呼」と名づけます。
*ただし、特殊ウ音便(Pi→u→u)の変化は次回の更新(2004.03.01:「人の語源」)で考えます。
ところで「イ音便は、口蓋音・舌音の子音が脱落したもので、発音位置の奥のものから順次音便化が生じている。」(山口・秋本 平成13:p35)という観察があり、k行(軟口蓋閉鎖音)→t行(歯茎閉鎖音)の順にイ音便が起こったことがわかっています。またp行の両唇摩擦音の音便化もハ行転呼音の変化と同じころです。しかしt行(歯茎閉鎖音)がs行(歯茎摩擦音)・行(硬口蓋歯茎摩擦音)に変化したのは奈良時代まえであったと考えられ、またp行(両唇閉鎖音)がf行(両唇摩擦音)にかわったのは、いま問題にしているハ行転呼音が起こった平安時代以降です。そうすると上の「イ段転呼」が起こる順序が正しいとすれば、それを準用すればハ行転呼音の変化が一番最後におこったと考えられます。そうするとまずk行の摩擦音化がおこりx行(軟口蓋摩擦音)になり、その後t行がs/行に、そのあとp行がf行にかわる摩擦音化が起こったと考えられます。つまり古代日本語にハ行転呼音のような変化(転呼現象)がカ・タ行にもおこったと考えるならば、次のような事実を古代日本語のなかに確認すべきでしょう。
A.k行がx行にかわった事実があること。
B.x行への変化がs・行やf行よりも早く起こったこと。
*k:軟口蓋閉鎖音。x:軟口蓋摩擦音。s:歯茎摩擦音。:硬口蓋歯茎摩擦音。f:両唇摩擦音。
さてこのような疑問を解決していくために、まずAの軟口蓋閉鎖音の摩擦音化の問題を考えます。軟口蓋摩擦音(/x/)については山口方言で、以下の報告がなされています。そこでもう一度「鏡」の例を引用します。(國廣 1983:86)
「・・・語頭では[gakko:]であるけれども、語中にはいるといまの[kaami]というふうに口の奥の摩擦音になる。単語の頭だと「が」は破裂するが、語中では破裂でなしに摩擦音になる。・・・(以下省略)」
*筆者注:は有声軟口蓋摩擦音(//)。上の[gakko:]は「学校」。[kaami]は「鏡」(共通語では[kaami])。
上の山口方言の「かが1み」(「鏡」)は、次のように「かか1み」の連濁として考えることができるでしょう。
「かか1み」------→「かが1み」
*「か1」:無声軟口蓋摩擦音([xa])。「が1」:有声軟口蓋摩擦音([a])。
このような方言例から無声軟口蓋摩擦音(/x/)は和語に存在したと考えることができるのですが、上のような中近世といった最近のことではなく奈良時代以前の日本語に無声軟口蓋摩擦音が存在していたのでしょうか。この問題を考えるには通称『魏志倭人伝』の記述が多いに参考になります。森博達氏は『魏志倭人伝』の記述の信頼性をいうためにはまずその音訳表記の信頼性を確保することが大事と考えられ、音訳語に用いられた漢字を検討された結果、三世紀倭人語(同氏による命名)が以下の性格をもっているとされました。(森博達 昭和57:p179)
「前二節によって判明した倭人語の音韻結合の特徴を整理すると、次のとおりである。
T 音節の構造
(1) 原則として開音節であり、閉音節は存在したとしても体系的なものではない。
(2) 「ワ行音」と見なしうる音節を除いて、母音の前に-u-が入る音節はない。
U 位置による音韻の種類の制限
(1) 「ア行音」は語頭以外の位置に立たない。
(2) 「ラ行音」は語頭に立たない。
(3) 濁音音節は通例として語頭に立たない。
これらの特徴は、そのまま上代日本語の特徴でもあり、逆にまた、上代日本語の音韻結合の特徴のうちで三世紀倭人語に合致しないものはないといえる。
さらに、子音には、清・濁の区別はあっても無気・有気の対立はなく、しかも清子音の音価は無気音的であった。これらも上代日本語とほぼ共通する特徴であった。
上代日本語と合致しない特徴はただ一つ、k-系統やp-系統などの子音以外にh-系統の子音が存在していたことである。
しかし、もしもこの唯一の相違点をとらえて、三世紀倭人語は上代日本語とは異なる系統の言語であると主張するならば、穏当でない。四〇〇年の間にはh-系統の子音の消失・置換といった変化も考えられないことではない。また、倭人語を、畿内の方言ではなく、他の地方の方言と見なすことも可能だからである。」
そしてこのような性格は上代日本語にもみられることから、「倭人語が上代日本語と同一系統の言語であった蓋然性まで示唆している。」(森博達 昭和57:167)と考えても間違いではないでしょう。しかし森氏も指摘されるように通説では上代日本語には今のハ・ヘ・ホ音の行(声門摩擦音/h/)はなく、カ行(軟口蓋閉鎖音/k/)とパ行(通説ではファ行:両唇摩擦音F(//))しかなかったと考えられているので、h-系統の子音が存在したとするならこれは大きな問題です。そしてこの3世紀倭人語には上のk-系統(カ行)やp-系統(現在のハ行)の音しかなかったのかどうかという問題は「卑彌呼」の「呼」字の読みにもつながるもので、以前から問題になっている点でもあるのです。そこでこの問題を考えるために森氏の考えを、次に引用しましょう。(それぞれ森博達 昭和57:167-8,176)
「それは、「卑彌呼」の「呼」字の訓みに象徴される問題である。
「卑彌呼」の「呼」字の声母は喉音の〈暁〉母(h-)であり、牙音の〈見〉母(k-)とは異なる音素である。(・・・・途中一部省略)
上代日本語では、「ハ行音」はp-またはF-のような唇音だったので、日本の漢字音では、〈暁〉母字は「ハ行音」ではなく、〈見〉母字と同じく「カ行音」となり、両者の本来の差異は捨象される。したがって、そのような日本の漢字音によって日本語の「カ行音」を表記する場合には、〈見〉母字のみならず〈暁〉母字も用いられることになるのである。」
「『日本書紀』α群には有坂「倭音説」の第一の論拠が当てはまらなかった。それゆえ、α群の万葉仮名に拠れば、上代カ行子音の音価(音の実質)がhのような摩○擦○音○ではなくて、kのような破○裂○音○の方に近かったことまでわかる。(・・・・以下省略)」
*筆者注:森博達氏のα・β群についての考えは同書(また森氏の著作)をみてください。
上の森氏の文章から古代日本語のカ行音はkx(無声軟口蓋破擦音/kx/)、もしくはx(無声軟口蓋摩擦音/x/)と考えることができるでしょう。つまり古代カ行子音は軟口蓋閉鎖音(/k/)から無声軟口蓋摩擦音(/x/)をへて声門摩擦音(/h/)への変化の途上にあったといえるでしょう。その変化は、次のように考えることができるでしょう。
k----→kx----→x----→h
*k:無声軟口蓋閉鎖音。kx:無声軟口蓋破擦音。x:無声軟口蓋摩擦音。h:声門摩擦音
ここまで古代日本語のカ行音の変化を推定してきたのですが、この変化式を思いついたたあと服部氏の著作を読んでいて服部氏もいいところに気づいておられたことを知りました。そこで現代方言を探求すればまだまだ日本語の起源を解くためのヒントがたくさんあることの一例として、それを紹介しておくことにします。すべてを引用するのは長くなりますので阿伝方言と与那覇方言の例を三例のみ抜きだし、それをまとめると、次のようになります。(服部 昭和34:314)
<語頭> <語中>
風カゼ 亀カメ 噛カむ 中ナカ 若ワカい 蛸タコ
阿伝方言 :hadi hami hanjui na: wa:sai t‘o:
与那覇方言:hai: ha:mi: hami nah waha:e t‘hu:
*阿伝は奄美群島喜界島。与那覇は沖縄本島今帰仁村。
そしてこのような方言の比較から、服部氏は次のような見るべき考えを出されています。(服部 昭和34:314)
「右のうち阿伝方言の形は、(naha→na:)(waha→wa:)(t‘ahu→t‘au→t‘o:)のごとき音韻変遷の結果生じたものであろうから、これらも両方言においてkとhとが一致している例となる。例外が割合にあるので確かな事はいえないが、地理的に随分離れた両方言の間に見出されるかくのごとき一致は、一寸偶然事とはいえないような気がする。首里・那覇地方や八重山などの方言では、右(筆者注:上)のhに対して多くkがあらわれるようだが、今後の調査によって、右の例に一致してkとhのあらわれる方言区域が相当広い事がわかれば、いまのところアクセントその他の条件に規定されていないように考えられる故、或いはこのkとhとの区別が少なくとも原琉球方言(というものが仮りにたてられるとすれば)において存した[k]と[x](ドイツ語のAch-Lautのごとき音)の区別をこれらの方言が保存せるものと考えなければならぬことになるかも知れないのである。(・・・以下「補註」は省略)」
*筆者注:阿伝方言・与那覇方言のhと首里・那覇・八重山方言などのkの対立から、xとkの対立を考えられたのは立派です。その考えを発展させればk→x(その後h)の変化を考えつくのはやさしいことでしょう。
さてkからhへの変化をみれば、『日本書紀』に音訳されているカ行音が〈見〉母字(k-)のみならず〈暁〉母字(h-)も用いられている理由がわかってきます。それは当時のハ行音がhでなかったため、音がわりと近いkとhの「両者の本来の差異は捨象され」(同上)kもhもカ行音を表記しうる位置にあったためなのではなく、カ行音がkからxへの変化の途上にあったため、kだけでなくそれに近いhでも表記されたからなのです。このようなことがわかってみると、まず軟口蓋摩擦音が3世紀頃から生じ(k→x)、その後五世紀頃からt→s・(歯茎・硬口蓋歯茎摩擦音)、それに遅れて奈良時代頃からp→F(両唇摩擦音)が生じたと考えることができます。つまりこのように考えてくると、先に紹介したイ音便が「発音位置の奥のものから順次音便化が生じている」(山口・秋本 平成13:35)という事実とよく合致していることがわかります。
このような閉鎖音の摩擦音化が古代に起こったことがわかったので、「イ段転呼」がカ行から順におきたことやハ行転呼音が平安時代以降に生じたことをうまく説明することができました。しかしまだちょっと問題が残っています。それはカ・タ・ハ各行に起こった「イ段転呼」はハ行転呼音の変化が生じたころとあまり違わない時期に起こっていることです。そしてそのうえハ行転呼音のようには全段に起こらずイ段のみに起こっていて、その結果はイ段(一部はウ段)へ変化していることです。そこで「全段転呼」と「イ段転呼」の違いを、例をまじえて模式図であらわすと、次のようになります。(例はそれぞれ山口・秋本 平成13:35,
65)
イ.全段転呼の変化
3世紀 5世紀 平安時代
カ行:(ki---→)xi---→?
タ行:(ti-------------→)si・i--→?
ハ行:(pa----------------------------→)Fa--→ハ行転呼音
*カ・タ行は母音「イ」、ハ行は母音「ア」で示しています。
*カ・タ・ハ行の全段に起こる転呼音現象を「全段転呼」とよぶことにします。
*模式図はおおよその年代を示したもので、具体的な年代を示したものではありません。
*カ・タ行の摩擦音化が起こった頃は上代特殊仮名遣いがおこなわれていたと考えられますが、それについては今は考えません。
ロ.イ段転呼の変化
平安時代 中世
カ行: 例:ツイテ(「次」)
タ行: 例:オコイツ(「起」)
ハ行: 例:シノウデ(「忍」)
*ハ行(「ヒ」)は特殊ウ音便化して「ウ」に変化しました。
上の変化式でわかるようにイ段転呼と全段転呼がカ・タ・ハ行の順に起こっていたと考えられるのですが、もしそうであるならば、次のような疑問が出てきます。
1.一番最後に起こったハ行転呼音化ではその変化の最後が母音(wa・i・u・e・o)になっていますが、そうであればカ・タ行の全段転呼(摩擦音化:xとs・)のその後はどうなったのでしょう。
2.全段転呼は各母音に起こっているのに、イ段転呼はイ段に(その変化後の音は一部ウ段に)しか起きていないのはなぜでしょうか?
たしかにこれらの疑問は大きな問題です。詳しいことは「上代特殊仮名遣い」のページで考えることにして、ここでは簡単に説明しておきます。
まず1の問題であるカ・タ行の全段転呼のその後の変化について。
カ・タ行は奈良時代以前に全段転呼を起こし、それぞれkV→xV→V→V、tV→sV/V→V→Vのような変化をおこし、その変化で生まれた新しい母音が前音節の母音と結合したため「上代特殊仮名遣い」を生み出したのです。(簡単な考察はこちら)
*現代の喉頭化音の例はこちら。倭人伝の時代の喉頭化音は森氏の表8の喉音の項を参照してください。また書記歌謡のカ行音訳字はこちら(ともに森博達 昭和57:186-7,172より引用)
次の2の問題であるイ段転呼はなぜイ段にしか起こらなかったのか。
全段転呼の場合は全段転呼を起こした原因である前接辞がいろんな音節間に結合したのですが、イ段転呼の場合はある限られた特別な語基(動詞連用形や形容詞の語尾など)にのみ結合したためです。そしてその後その前接辞自体がどの音節間にも結合しなくなったため、転呼音現象そのものが消失してしまったのです。つまり転呼音現象の原因である前接辞の消失(前接辞を添加しないこと)が「係り結びの消失」といわれるものです。(このことは先の更新「動詞活用の起源」・「係り結びの起源」で考えることにします)
さてイ・ウ音便の変化は転呼音現象の中のイ段転呼で、ハ行転呼音は同じく全段転呼現象であるとわかってきたのですが、一つ面白い現象があったことを忘れてはなりません。それはウ(イ)音便は促音便・撥音便と交替するときがあることです。この問題は次のページ(「促音便ってなに?」)で考えることにしたいと思います。
最後に一言。
音便の生じた理由として、「@国語の発音運動の自然の推移」(山口・秋本 平成13:115)などというあたりさわりのよい言葉や「A漢語の移入により国語の音節構造が変化し、語の単位が文節単位へと変化したため」(同書同頁)、あるいは「発音をなるべくなまけること(馬淵和夫)」(同書同頁)などといったつじつまあわせが「国語学」でいまだにおこなわれているようです。しかし来年から国語学会も日本語学会にかわるそうですから、ラベルどおりに国語学も日本語学に変身してほしいと願っています。(国語学会は2004年1月に日本語学会に改称されました)