「連濁はいつ起こるのか?」


(2004.06.01 更新)

 このページでは「西」と「右」の語源を考えます。

 01.はじめに
 02.
連濁とは何か
 03.
清濁と連濁の関係
 04.
清む(清音)と濁る(濁音)
 05.
ガ行鼻濁音
 06.
サ行の直音化について
 07.
タ行の破擦化について
 08.
ツァ行音について
 09.
四ツ仮名について
 10.
すずめはスズと鳴いたか?
 11.
ラ行音について
 12.
日本語にはなぜ行音(V-)がないのか
 13.
『どれが梅(むめ)やら梅(うめ)ぢややら』
 14.
「母」は「ハワ」から「ハハ」に先祖がえりをしたのか?
 15.
「ハワ」から「ハハ」への変化を仮定する
 16.
みたびハ行音の変化を考える
 17.
促音便ってなに?
 18.
特殊ウ音便と撥音便・促音便の交替はなぜ起こったのか
 19.
「人」の語源を探る
 20.
「西」と「右」の語源を考える

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20.「西」と「右」の語源を考える

 今回は前回やり残した「西」と「右」の語源を考えることにします。まず「西」の語源です。「西」には次のような説明がみられます。上代語辞典編修委員会編 1985:544-5)

「にし[西](名)@方角の一。西。西方。西側。・・・・(例は省略)・・・・A西の方角から吹く風。西風。「大和へに尓斯にし吹き上げて雲離れ退き居りとも我忘れめや」(記仁徳)【考】ニシのシはヒガシのシとも同じく、アラシ・ツムジなどのシで、風の意か。風位の名が方角にも使われることはめずらしくない。ただし、ニの語義は不詳。なお、ニシに「金」の字をあてるのは五行説による。-の海路うみつぢ・-の道。」

 上の語源解はニシのシを「風」の意と見ているのですが、これまでの考察からニシのシは方角のシ(←チ)と考えるのがよいでしょう。そうするとシをのぞいた前部要素のニはネ(根)の交替形ニ(丹)ではないかと思えてきます。そこでその考えを検証するために、ネ(根)とニ(丹)の言葉を見てみましょう。(それぞれ上代語辞典編修委員会編 1985:557,、p540)

「ね「根」(名)@植物の根。・・・・(例は省略)・・・・A接尾語として、名詞に直接、あるいはガを介してつく。大体、生えているもの・地についているものの意の名詞に接し、それゆえ根の名詞的意味を保っているかどうか決めにくいことが多い。「暇イトマなく人の眉根マヨねをいたづらに掻かしめつつも逢はぬ妹かも」(万五六二)・・・・(以下省略)」

「に「丹・土」(名)@土。・・・・(例は省略)・・・・A赤色の顔料。赤土。辰砂(硫化水銀)や鉛丹(酸化鉛)を含む赤土が、顔料として使われたため、その顔料としての赤土をいい、またその赤色そのものをもいう。・・・・(以下省略)」

 ところでネ(根)とニ(丹)は上代特殊仮名遣いの甲乙の区別が不明なので、ニがネの母音交替形であるかどうかはわかりません。しかし上のネとニの語義の近さを考えればネ(根)とニ(丹・土)を関係づけることは許されるでしょう。そしてネ(根)は「根の国」、つまり「黄泉の国」と考えられるので、もしニがネの交替形であるとすれば、「西」は、次のように「東」と対比することができるでしょう。

   日に関する                月に関する
日月:高天原(日)               根堅州国
(黄泉)(夜)
神 :天照大御神(日神)           月
ツクヨミ(夜見・黄泉)尊(月神)
東西:日御子
ヒムカ・方(日の方向:東)   丹・方(月の方向:西)

 またネはn(ノ:月の古語)にi(〜なるもの)が接尾されてnとなる変化(n+i→n→ne:月なるもの、すなわち「根」)からできたと考えることができ、根と丹は母音交替形(ne/ni)となり、ニシは月の方向(丹方向)と考えることができます。つまり上のような日と月の対比をみとめることができるのではないでしょうか。このように考えると、うまく「西」の語源を説明できるのではないかと考えたのですが、上の考えには問題点もあります。それは上代には月の古語「ノ」が見られず、また古語「丹」への変化(n+i→n)を想定した、そのもとの「ヌ」の語も中世には見られないからです。根と丹はたしかに古代に存在したと考えることができ、また月の語源を「ノ」と想像することは可能ですが、そこからの変化を仮定した「ヌ」が上代にみられず、また月の「ノ」は上代以降にできた新しい語であると考えられるので(月の古語については「のんの」をみてください)、上の変化式は成立しそうにありません。
 ここでそれらの言葉のアクセント(以下、アクセントのみ)を比較します。(それぞれ
日本大辞典刊行会編  16巻 昭和50:36,36,同書 15巻 昭和50:402,445,605,653)

        〈京都アクセント〉      〈ア ク セ ン ト 史〉      〈標準アクセント〉
                      平安    鎌倉    江戸
 のの    :―            ―      ―     ―       ●○または○●
 ののさま :●●
             ―      ―     ―        ●○または○●
 に(土・丹):●●           ○○(?)  ―     ●○     ●
 にし(西) :●●           ―      ●●
鎌倉末  ―      ○● ね(根)  :○●           ○○     ○○    ○●     ●
 ねのくに(根国):●○○○     ―       ―     ―      ●○○○
 の(野)  :○●           ○○     ○○    ○●     ●  *のの(さま):月の古語、ノの二重語。「ののさん」「のんのさま」のアクセントは「ののさま」に同じ(ただし京都アクセントは葉記載なく、標準アクセントのみ)。
  *●は高アクセント、○は低アクセント。
  *「ね」(根)は「の」(野)と関係するかもしれませんが、今は調べていません。


 上のアクセントの対応をみると「に」(土・丹)と「のの(さま)」(月)を関係づけることは可能かもしれません。それはノ→ヌの変化(n→n+u→n)、そしてその後ヌ→ニの変化(n+i→n→ni)を考えることによっていちおう説明をつけることができそうです。しかし今考えた変化にあらわれるヌという「月」の中世語が文献に見られないことから、この変化は認めることはできないと考えられます。このように考えてくると、「西」の前部要素「ニ」の語源を月の古語「ノ」に比定することはできないようです。
 さて次に「右」の語源を考えることにします。「右」にはミギの語だけでなくミギリという二重語があるので、それらの両方を引用することにします。
(それぞれ上代語辞典編修委員会編 1985:699,日本大辞典刊行会編  18巻 昭和50:517-8,520)

みぎ[右](名)右。ヒダリの対。・・・(例は省略)・・・・【考】亭子院歌合などをはじめとして、現代の方言に至るまで、ミギをミギリということがあり、江戸時代以来ミギリを古形とする説が有力である。両者に関係があることは否定できないが、現在の段階ではミギリ古形説は証明できない。ミもギも甲乙不明。-手・左-」

「みぎ【右】〔名〕@正面を南に向けた時の西側にあたる側。人体を座標軸にしていう。人体で通常、心臓にある方と反対の側。また、東西に二分した時の西方。右方。・・・・(例は省略)・・・・A古く、官職を左右対称に区分した時の右方。通常左を上位とした。右大臣・右大将など。・・・・(例は省略)。B(省略)C(古代中国で列位の右方を上席としたところから)上座・上席。・・・・(例は省略)D(以下も省略) 発音ミギ〈なまり〉ニギ〔八丈島・岐阜・静岡・鳥取〕ニギ〔岩手・秋田〕ニギリ〔山形・八丈島〕ニギリ〔津軽語彙・岩手・秋田〕ニンギリ・ミンギリ〔岩手〕ミギリ〔山形〕ミギリ〔秋田〕メギ〔鳥取〕〈標ア〉○● GHIは●○ 〈ア史〉平安・鎌倉・江戸●●〈京ア〉●● 古辞書 色葉・名義・和玉・天正・饅頭・易林」

みぎり 【右】〔名〕(「ひだり」の語形に合わせて「みぎ」に「り」を添えた語か。また、一説に「にぎり」の変化したもので、「みぎ」の古い語形かとも)「みぎ(右)」に同じ。・・・・(途中省略)・・・・語源説(1)右のほうが力が強いところからモチキリ(持切)の義〔名言通〕。(2)南を正位とすると右は西にあたるところから、日の入るのをミキル(見限)意か〔和訓栞・言葉の根しらべ=鈴江潔子〕。(3)ミギ(右)の訛。ヒダリ(左)に伴って変化したものか〔大言海〕。・・・・(以下省略)」

 上の語義説明から「左」の対である「右」はミギリがミギに変化した、あるいはミギにリが付加されてミギリになり方言などに残ったと考えることができるでしょう。また「左」と「右」では古代では「左」のほうが「右」よりも優位(つまり上位)であると考えられていたことがわかります。(右を優位とするのは古代中国の文化影響です)ところでミギリが古形と考えるとしても「ギ」が連濁を起こしているので、ミギリはミとキリ(→ギリ)の言葉からできていると考えてよいでしょう。そうするとミギは「ミ」と「キ」、ミギリは「ミ」と「キリ」の複合語と考えることができるでしょう。つまりどちらにしても「ミ」は何らかの前部要素と考えることができるでしょう。ところでミギリの「リ」を方向詞チの連濁変化(ti→di→ri)と考えれば、ミギリは「ミ+キ+チ」(チは方向詞で、その当時の発音はti。ti→di→ri)からの変化であると考えることができます。そう考えると、「ミキ」からできたミギは常用され、それが共通語になったためと考えることができ、そして「ミキ」に方向詞チが添加され連濁したミギリとが並存することになり、いつしかミギリも勢力をまし、それが方言として残存することになったと考えることができます。このように考えることによって、ミギとミギリの並存をうまく説明できると思われます。
 ところでそれではこのように考えた、もともとのミキの語源は何なのでしょうか。そこで考えついたのが「ミ」(御)と「キ」(棺)の複合語ではないかとアイディアです。そこでそれに関係する語の語義を引用することにします。
(それぞれ上代語辞典編修委員会編 1985:237、日本大辞典刊行会編  5巻 昭和48 :457,同書 17巻 昭和50:6-7,41,同書 18巻 昭和50:517)

「き[棺](名)人の屍を納める木造のはこ。ヒトキ・ヒツキとも。・・・・(以下省略)」
 *ヒトキ・ヒツキの説明(p614,p615)も同じなので省略。ミキは「神酒」(p699)、ミギは「右」(p699)、ミギリは「砌」(p699)の説明しかありません。

「き【棺】〔名〕死体を入れるもの。ひつぎ。かん。・・・・(以下省略)」

「ひつ-ぎ【棺・柩】〔名〕(古くは「ひつき」)死体を入れて葬る箱。かん。かんおけ。・・・・(途中省略)・・・・語源説 ヒトキの転。ヒトキはキトキの転。〔箋注和名抄〕。ヒトキ(人木)の転。人の入る木の意〔日本釈名・俚言集覧・名言通・和訓栞・語■〕。ヒトギの転。〔大言海〕。ヒトキ(人城)の義。キはオクツキ(奥城)のキに同じ〔俗語考〕。・・・・(途中省略)・・・・〈標ア〉○●● 〈京ア〉●●● (以下、古辞書名は省略)」
 *ヒト(人)のアクセントは〈標ア〉○●、〈京ア〉●○、〈ア史〉平安来●○。(
日本大辞典刊行会編  17巻 昭和50:29より)
 *キ(棺)はキ(城)と同根かもしれません。(
日本大辞典刊行会編  5巻 昭和48:456-7より)

「き[城・柵](名)柵をめぐらして区切った一廓。外敵の侵入を防ぐためのとりで。・・・・(以下、例は省略)・・・・【考】とりでの種類と構造により、水城ミヅキ・稲城イナキ・磐城イハキなどと呼ばれるものがある。・・・・(以下省略)」

「き【城・柵】〔名〕外部からの侵入を防ぐために、柵をめぐらして区切ったところ。とりで。しろ。造語要素のように用いられることが多い。・・・・(以下省略)」

「ひと-き【棺・人城】〔名〕(後世「ひとぎ」とも)人の屍(しかばね)をおさめる箱。ひつぎ。かんおけ。・・・・(例は省略)・・・・語源説 ヒトキ(人城)の義。キは四辺を取り囲んだ地の意〔日鮮同祖論=金沢庄三郎・日本語源=賀茂百樹〕。発音〈ア史〉平安●●● 〈京ア〉●●● 古辞書 字鏡・和名・名義」 

「み-き【御棺】〔名〕(「み」は接頭語)「き(棺)」の敬称。おんひつぎ。*播磨風土記宍禾「於和(おわ)。我(あ)が美岐に等(まも)らむ」・・・・(以下省略)」
 *〈標ア〉〈京ア〉はわかりやすいように、●(高アクセント)と○(低アクセント)に書きかえました。
 参考(それぞれ
上代語辞典編修委員会編 1985:236-7,日本大辞典刊行会編  5巻 昭和48:457)

 接頭語ミ(御)のアクセントを知るために、ミキ(御酒)とミケ(神酒)のアクセントを見ると、次のとおりです。(それぞれ日本大辞典刊行会編  18巻 昭和50:517,525より)

        〈標ア〉       〈京ア〉
ミキ(御酒):○●または●○  ●●
ミケ(神酒):○●         ●●

 そこで接頭語ミ(御)の京の都のアクセントは高アクセント(●)で、ヒトキ(棺)をヒト(人)とキ(棺)の複合語と考えると、キ(棺)の京の都のアクセントも高アクセント(●)と考えられます。そうするとミキ(●●:御棺)とミギ(●●:←ミキ)のアクセントと矛盾しないことがわかります。このように考えてくると、ミギの語源は「ミキ」(御・棺)、ミギリは「ミキ・チ」(御棺・方向)と考えることができます。
 はなはだ不十分な考察ですが、とりあえず「西」と「右」の語源の考察をおわることにします。