「連濁はいつ起こるのか?」
(2004.03.01 更新)
このページでは特殊ウ音便と撥音便・促音便の交替がなぜ起こったのかを考えることにします。
01.はじめに
02.連濁とは何か
03.清濁と連濁の関係
04.清む(清音)と濁る(濁音)
05.ガ行鼻濁音
06.サ行の直音化について
07.タ行の破擦化について
08.ツァ行音について
09.四ツ仮名について
10.すずめはスズと鳴いたか?
11.ラ行音について
12.日本語にはなぜ行音(V-)がないのか
13.『どれが梅(むめ)やら梅(うめ)ぢややら』
14.「母」は「ハワ」から「ハハ」に先祖がえりをしたのか?
15.「ハワ」から「ハハ」への変化を仮定する
16.みたびハ行転呼音の変化を考える
17.促音便ってなに?
18.特殊ウ音便と撥音便・促音便の交替はなぜ起こったのか
目次(「連濁はいつ起こるのか?」)へ
18.特殊ウ音便と撥音便・促音便の交替はなぜ起こったのか
今回は前ページで考察しなかった特殊ウ音便化(この用語は筆者が考えたものです)の変化をまず考えます。この変化はハ行の「ヒ」がウ音便化するものをいいますが、次のようなことが知られています。(山口・秋本 平成13:65)
「Aヒ・ビ→ウ。『和名類聚抄』の「妹(伊毛宇止)」「舅(之宇止)」、活用語尾の場合は相当遅れて室町時代末期の『天草本平家物語』(文禄2)の「忍ウデ」「呼ウデ」などがある。これは@と異なり母音の脱落した形態で、imofito→imouito→imoutoのようにハ行転呼音(語中尾のハ行音のワ行化)を前提にした音便で、必然的に@よりも時代は遅れて現れる。なお、「舅シウト」「妹イモウト」「弟オトウト」「夫ヲツト」に対して「蔵人クラウド」「間人ハシウド」「賓人マラウド」は濁音化するが、後者は連濁形「ビト」の音便化で、清音形は親族関係に濁音形は親族以外にという機能負担のあることが注目される。バ行四段のウ音便形は、室町時代末期に盛んになるが、やがて併存する撥音便形の「シノンデ」「ヨンデ」に吸収される。・・・(・以下省略)」
上にでてきた「妹」の変化はハ行転呼音との関係があきらかで、「母音の間にはさまれた両唇摩擦音の[]の緊張がゆるくなって[w]に変ったもので、いわば労力の経済である。」(秋永 1990:82)と考えられているハ行転呼音の変化を援用していると思われます。そこで上の「妹」とハ行転呼音の「貝」の変化を通説によってみると、次のようになります。
「妹」:(imopito--→)imofito(--→imowito--→)imouito--→imouto
「貝」:( kapi-----→)kafi(-----→kawi-----→)kai
*p:両唇閉鎖音。f:両唇摩擦音。w:半母音。
ところで上の著者によれば「妹」の場合はfi(→wi)→uiを、「貝」の場合はfi→wi→iのように考えています。つまりこのように特殊ウ音便の変化ではf→w→u(ただし、後続母音iの消失)、ハ行転呼音の変化ではf→w→(消失:fi→iの変化)と二通りの変化を考えています。しかしもしこのように違う変化を考えるのであれば、それらの変化の違いに対するそれなりのきちんとした説明が必要でしょう。(ハ行転呼音の変化についての疑問はこちら)このような疑問にきちんと向き合うことなく、その場その場かぎりの他愛もない、上のような説明をつづけていてはとても日本語の起源は解けるはずがありません。
それではこれからハ行転呼音と特殊ウ音便の二つの変化をうまく説明できる考えをさがしていこうと思います。普通イ・ウ音便は各行のイ・ウ段がそれぞれイ・ウに変化しているのですが、「人」との合成語や「買ひて」「呼びて」などにかぎってウ音便化しています。それでこの特殊な音便を私は特殊ウ音便と名づけたのですが、では、なぜこのように特殊な変化をしたのでしょうか。この問題を考えるためにまず、特殊ウ音便とハ行転呼音・普通のイ・ウ音便の変化の違いがよくわかるように例をあげて比較すると、次のようになります。
イ音便 :(taka+ti----→)takasi---→takai(「高い」)
ウ音便 :(yo+ku----→)yoxu----→you(「良う」)
ハ行転呼音:(ka+pi-----→)kafi-----→kai(「貝」)
特殊ウ音便:(imo+pito--→)imouto---→imouto(「いも」+「人」→「妹」)
特殊ウ音便:(ka+pi+te--→)kaute---→koute(「こうて」:関西方言「買って」)
*いも【妹】(名) セの対。@男から妻や恋人・姉妹などの親しい女性を呼ぶ称。・・・・(中略)・・・・【考】・・・・また、和名抄に、「妹、女子後生為レ妹、以毛宇止イモウト」・・・・(以下省略)」(上代語辞典編修委員会編 1985:102。「いも」の右にある甲類アクセント記号は省略)
これらの変化は前に考察したイ段転呼の変化式であらわせば、次のようになります。
ハ行転呼音:pi-----→pi-------→fi-------→i------→i
イ・ウ音便 :pi/u---→pi/pu---→fi/pu---→i/u---→i/u
特殊ウ音便:pi-----→pi-------→fi-------→u------→u
*p:閉鎖音(/p/)。f:pの摩擦音(//)。:喉頭化音(//)。i・u:母音イ・ウ。i・u:i・uの喉頭音化音。
このように特殊ウ音便の変化は上代のハ行転呼音やイ音便の変化と違っています。では、なぜこのように違った変化をしたのでしょうか。そこでこの問題を考えるために、前回の更新で考察した各音便の発現順序の模式図を、もう一度引用することにします。
喉頭音化--→特殊ウ音便化
└--→入りわたり鼻音化
└----→母音の無声化
「買ひて」:kapte--┬-→kate--→kaute(--------------→kaute-→こうて:特殊ウ音便)
└----------------------→kapte(--→kate-→買って:促音便)
さて問題はkapteがkateになった理由ですが、上の変化式でわかるように「買ひて」にはもうひとつ、のちに「買って」となる促音便の変化があります。そしてこの「買って」はよく知られているように関西方言の「こうて」と対立しています。それゆえkapteからkateとkapteへの変化を、摩擦音化と無声化の違いにもとめることができるでしょう。その違いを示せば、次のようになるでしょう。
摩擦音化:kapte---→kafte---→kate---→kaute---→「こうて」
無声化 :kapte-------------→kapte---→kate---→「買って」
*本日(2003.12.18)上の変化を予想している文章をみつけましたので、次に紹介しておきます。(奥村 昭和47c:130)
「この場合、特に注目すべきは、ハ行促音便が関東方言に著しいという事である。関東では、中央語よりもおそくまで、ハ行子音の破裂音(又は破擦音)的性格が残存していたと見るべきであろうか。つまり、ここでは、つぎの如き考え方ができそうなのである。すなわち、《中古期の近畿方言では、ハ行子音がすでに摩擦音Fだったため、ウ音便を起したが、関東方言のハ行子音には、なお、破裂音(又は破擦音)的性格が著しかったため、促音便を起こした。》
ここで上にでてきた母音の無声化について、次に見ておきます。(外山 昭和47:239-41)
「(2) 母音の無声化
現代日本語(たとえば東京語)には、母音の無声化、つまり無声子音と〔i〕・〔〕で作られる音節が、無声子音の前や語(文節)末に来るばあい、その有声母音を失い、「草(くさ)」は、〔ksa〕(あるいは〔ksa〕)のごとくになる、という現象が見られる。
(改行。・・・・一部省略)
無声化に関する記述と思われるもののうち最も早いのは、コリャード(D.Collado、一六一九〜一六二二在日)の『日本文典』(Ars Grammaticae Iaponicae Lingvae 一六三二年ローマ刊、大塚高信訳、風間書房、昭三二刊)の序に見える次のごとき記述であろう。
i(イ)又はv(ウ)で終る語が日本人によって発音される時には最後の母音は初学者にはほとんど聞きとれない。例えば、gozru(ござる)を聞く場合、gozrと聞え、fittu(ひとつ)を聞く場合には単にfittのように聞えるし、また、xi n fra(芦の原)を聞いても単に、x no fraと聞えるのである。(五ページ、大塚高信訳)
右の文によれば、語末における母音の無声化が当時(一七世紀前半)起っていたらしい。ただし、それより約三十年前に出た、ロドリゲスのものなどには、この点についての記述は見えない。
語末のみでなく語中のばあいにも見られるのは、元禄年間に来日した(一六九〇〜一六九二)ケムペル(E.Kampfel 1651〜1716)の記した日本誌の中の表記が早いといわれる(宮島達夫、「母音の無声化はいつからあったか」国語学四五 輯、昭三六・六)・・・・(以下、ケムペルなど明治にかけての外国人の記述は省略)・・・・
また、母音の無声化は、東国において早かったろうと云われており、前述、コリャードのころも、あるいは語末・語間とも無声化がかなり進んでいたのかも知れない。」
ところで特殊ウ音便には別のもうひとつの撥音便と交替する変化がありました。それは次のようなものです。
喉頭音化---→特殊ウ音便化
└---→入りわたり鼻音化
└----→母音の無声化
「病みて」:yamte-┬-→yate-----→yaute(-------------→yaude(やうで:特殊ウ音便)
└------------------------→yamte(--------→やんで:撥音便)
上の変化をみればわかるように特殊ウ音便の「やうで」は「こうて」(←「買ひて」)と同じように特殊ウ音便化しています。しかしそれらのもうひとつの変化である「病んで」は「買って」と同じように母音の無声化を起こしているのですが、促音便ではなく撥音便となっていて、その変化が違っています。しかしこの違いはすぐわかるように母音の無声化を起こしている連用形語末の子音が鼻音(m)であるか、閉鎖音である(p)かの違いによるものです。よくわかるように「病みて」と「買ひて」の変化を比べると、次のようになります。
A.連用形語末子音のちがいによる
「病みて」:yamte---→yamte---→yamte---→yante---→「病んで」
「買ひて」:kapte---→kapte----→kapte---→kate----→「買って」
*「買ひて」にみられる母音の無声化(p→p)については柴田氏が半世紀近くも前に主張されています(柴田 昭和33 p60)。(2004.7.16 追記)
このように「病んで」は喉頭化音()がさきに消失したために、その後語末鼻音(m→n)が次項の語頭子音を連濁させ撥音便化したのに対して、「買って」はさきに語末子音(p)が消失したために、語末に残った喉頭化音()の影響で促音便化したと考えることができるでしょう。つまり「病んで」(撥音便)と「買って」(促音便)の違いを連用形語末子音(m・p)の違いとして説明することができます。さてここで同じ特殊ウ音便化を起こした「こうて」と「やうで」を比べてみると、そこには連用形語末子音(p・m)の摩擦音化のあるなしの違いが影響していることがわかります。その違いをよくわかるように、「こうて」と「やうで」にいたる変化を比べてみると、次のようになります。
B.摩擦音化のあるなしの違い
「病みて」:yamte-------------→yate---→yaude---→「やうで」
「買ひて」:kapte---→kafte---→kate---→kaute---→「こうて」
*kapteの摩擦音化の前に起こっていた破擦音化(kapte→kapte→kafte)は、以下の考察に影響しないので省略してあります。
ところで上の「こうて」と「買って」はそれぞれもと上方と江戸の言葉であるという違いがあり、「こうて」は摩擦音化を起こしたため、「買って」は摩擦音化を起こさなかったため、その後の変化が違ってしまったと考えることができ、「こうて」と「買って」の違いを方言差として説明することができます。また「やうで」と「病んで」も「やうで」のほうが「病んで」よりも早く文献に出現しているという時間差がみられるので、「やうで」と「病んで」の違いを(その変化の違いの理由はともかくとして)時代差と考えてよいでしょう。このようにこれらは方言差や時代差として変化の違いを説明できるのですが、しかし上の「やうで」と「こうて」はどちらも都の言葉で同じ頃に出現しているので、そこに方言差や時代差といった理由を考えることはできません。ではなぜ「病みて」は摩擦音化せずに特殊ウ音便化を起こし、「買ひて」は摩擦音化したあと特殊ウ音便化したのでしょうか。このように摩擦音化をしても、しなくても特殊ウ音便化するというのは少し不思議な感じがしませんか。そこでこの疑問を解消し、かつ特殊ウ音便化と撥音便・促音便の変化のすべてをうまく説明できるように、前の変化式を手なおしすることにして、これからひとつずつ考えていくことにします。まず特殊ウ音便化と撥音便の変化の違いから、考えます。
A.特殊ウ音便化と撥音便の変化の違い
無声化 無声化音消失 喉頭化音消失 鼻音ウ音化 1b.yam
ite--→yamte----→yamte----→yamte-----→yate-----→yaude(「やうで」)
無声化 無声化音消失 喉頭化音消失 n音化 連濁 2b.yam
ite--→yamte----→yamte----→yamte(----→yante)----→yande(「病んで」)
*:iの無声化音。鼻音のウ音化(m→n→ng(//)→)はこちら。
次に特殊ウ音便化と促音便の変化の違いです。
B.特殊ウ音便化と促音便の変化の違い
摩擦音化 無声化 無声化音消失 喉頭化音消失 3b.kap
ite--→kafite--→kafte-----→kate----------→kate---→ko:te(「こうて」)
無声化 無声化音消失 語末子音消失 喉頭化音消失 4b.kap
ite-----------→kapte----→kapte------→kate--------→katte(「買って」)
*ただし、斜体字はローマ字表記。
*:iの無声化音。kaftからの無声化音消失は橋本氏の表記(f=)を使用。
さて上の特殊ウ音便と撥音便・促音便の変化をよくわかるようにまとめてみると、次のようになります。
摩擦音化の有無 母音の無声化 無声化音消失 喉頭化音消失の有無「病みて」:yam
te-----------→yamte---→yamte----→yamte---→yate-→「やうで」
「病みて」:yamte-----------→yamte---→yamte----→yamte---→yante-→「病んで」
「買ひて」:kapte--→kafte--→kafte----→kate----→kate-----------→「こうて」
「買ひて」:kapte-----------→kapte----→kapte--------------→kate--→「買って」
*「こうて」はkateの無声化音の口構えの影響で、ko:te(ローマ字表記:「こうて」)となったもので、kaute(uは有声音)がko:teになったものではありません。
つまり特殊ウ音便と撥音便は母音の無声化(その後の無声化音の消失)、最後に喉頭化音が消失していく変化で、促音便は母音の無声化(その後の無声化音の消失)の変化であると考えることができるでしょう。そして「病みて」の場合はその喉頭化音消失のあと鼻音ウ音化が起こり「やうで」が誕生したのですが、時代がくだると鼻音ウ音化が起こらずに、語末鼻音の影響で連濁を起こし「病んで」が生まれてきたのです。また「買ひて」の場合は上方(都など)では母音の無声化が起こるまえに摩擦音化が起こったため「こうて」が誕生したのですが、東国(江戸など)では摩擦音化がなかなか起こらなかったため母音の無声化がはじまり、また語末子音が閉鎖音だったため喉頭化音()がなかなか消失せずに、語末閉鎖音が先に消失してしまい、「買って」が生まれたと考えられます。このような変化を考えると特殊ウ音便と撥音便・促音便との交替をむりなく統一的に説明できるでしょう。そして上の母音の無声化とその後の喉頭化音の消失変化を考えるアイディアの良い点はハ行転呼音やイ(ウ)音便の変化も、また同時にうまく説明できることです。そこでハ行転呼音とイ(ウ)音便の変化も、次に見ておきましょう。
C.古い変化(母音は無声化せず)
5.全段転呼:kapi--------------------→kai-------→kai(「貝」:ハ行転呼音)
6.イ段転呼:kakite------→kaxite-----→kaite------→kaite(「書いて」:イ音便)
7.イ段転呼:samuku-----→samuxu----→samuu----→samuu(「寒う」:ウ音便)
*ただし、ハ行転呼音の「ワ」の変化はのちに考察します。
このように母音が無声化しない変化は上のようなハ行転呼音やイ音便・ウ音便に見られ、そうじて古い変化であることがわかります。それに対して促音便の「買って」の変化はそれらより新しい変化であるので、母音の無声化の有無による変化の違いを、次のように比べることができます。
T.母音の無声化の有無
C6.無声化せず:kakite------→kaxite-----→kaite------→kaite(「書いて」:イ音便)
3b.無声化した :kapite------→kafite-----→kafte-----→kate(「こうて」:特殊ウ音便)
上の変化は、次のようにあらわすことができるでしょう。
喉頭化子音--┬-→母音の無声化せず--→喉頭化音消失--┬-→全段転呼(「貝」:ハ行転呼音)
│ ├-→イ段転呼(「書いて」:イ音便)
│ └-→イ段転呼(「寒う」:ウ音便)
└--→母音の無声化----→無声化音消失-------→喉頭化音消失(「やうで」)など
ここでくり返しになりますが、よくわかるように特殊ウ音便化・撥音便・促音便の変化の違いを対照させると、次のようになります。
U.摩擦音化の有無(また喉頭化音消失の有無)
3b.摩擦音化した:kapite------→kafite-----→kafte-----→kate(「こうて」:特殊ウ音便)
4b.摩擦音化せず:kapite------------------→kapte----→kate(「買って」:促音便)
V.鼻音ウ音化の有無
1b.鼻音ウ音化した:yamite--→yamte----→yamte-----→yate(「やうで」:特殊ウ音便)
2b.鼻音ウ音化せず:yamite--→yamte----→yamte-----→yamte(「病んで」:撥音便)
W.連用形語末子音の違い(鼻音・閉鎖音)
1b.語末子音が鼻音 :yamite------------→yamte----→yate(「やうで」:特殊ウ音便)
3b.語末子音が閉鎖音:kapite--→kafite---→kafte-----→kate(「こうて」:特殊ウ音便)
これらの変化を、次にまとめておきます。
喉頭化子音┬--→母音の無声化-→喉頭化音消失-┬-→鼻音ウ音化---→喉頭化音消失(「やうで」)
│ └---┬---------→喉頭化音消失(「病んで」)
│ └---------→喉頭化音非消失(「買って」)
└→摩擦音化-→母音の無声化-→無声化音消失---------→喉頭化音消失(「こうて」)
このように特殊ウ音便、撥音便・促音便(またハ行転呼音とイ・ウ音便)の変化を統一的に説明できたので、次ページでは特殊ウ音便の例である「人の語源」を考えることにします。