「連濁はいつ起こるのか?」
(2004.12.01 更新)
このページでは再びワ行音と合拗音の関係について考えます。
01.はじめに
02.連濁とは何か
03.清濁と連濁の関係
04.清む(清音)と濁る(濁音)
05.ガ行鼻濁音
06.サ行の直音化について
07.タ行の破擦化について
08.ツァ行音について
09.四ツ仮名について
10.すずめはスズと鳴いたか?
11.ラ行音について
12.日本語にはなぜ行音(V-)がないのか
13.どれが梅(むめ)やら梅(うめ)ぢややら
14.「母」は「ハワ」から「ハハ」に先祖がえりをしたのか?
15.「ハワ」から「ハハ」への変化を仮定する
16.みたびハ行転呼音の変化を考える
17.促音便ってなに?
18.特殊ウ音便と撥音便・促音便の交替はなぜ起こったのか
19.「人」の語源を探る
20.「西」と「右」の語源を考える
21.再び「母」の変化を考える
22.再びワ行音の変化を考える
23.ワ行音と合拗音の関係を考える
目次(「連濁はいつ起こるのか?」)へ
23.ワ行音と合拗音の関係を考える
前回は古代日本語の語末には何らかの一音節語が添加されていて、それが無声化現象により現代日本語では母音終わりとなっていることが多いことを説明しました。特に関東においてはその語末母音も再び無声化が進み子音終わりとなっている場合もあることを見ておきました。そしてまたこのような母音の無声化は語頭でも中世にイ・ウの消失現象として観察されていました。このように母音の無声化は過去から現在に至るまで、また語頭でも語中・語尾でも起こっているのですが、この母音の無声化がハ行転呼音の問題とつながっているのです。この思いがけないつながりをこれから説明していこうと思うのですが、まずそのための準備として、ワ行音の変化を振りかえってみることにします。
ワ行音はよく知られているように以前はワ・ヰ・ヱ・ヲで、古代においてもウ段は欠けていました。また中世頃よりヰ・ヱはア行音のイ・エに合流し、現在ではヲはオに発音されることが普通になっています。しかしワはいまだアに変化する兆しが見えていません。そこでこの変化の起こる時代差の原因を考えると、ワ行音とア行音の音の差がウ段で一番小さく、イ・エ段・オ段、ア段の順にだんだん大きいためであると考えることができるでしょう。そしてワとアが現在もいまだに別の音であるのはワとアの音の差がかなり大きいためワがアに変化することができないと考えて良いでしょう。ところでこのようにワ行音の変化の違いをそれぞれの音の差に原因があると考えてみたのですが、これからその実際の発音の変化がどんなものであったのかを考えていくことにします。上で見たように中世以降ワ行音のヰ・ヱがア行音のイ・エに変化したことは私たちも身近に知るところです。また「カシ」(「菓子」)の古い発音が「クヮシ」であったこともこのHPを見ていただいてる老齢の方ならご存知の方もおられることと思います。しかしワ行音の変化はより身近であってもワ行合拗音の変化は若い方にはいま少し馴染みがないと思われますので、次に合拗音の変化を紹介しておきます(森田 1977:270-1)。
「2 合拗音クヮ・グヮの直音化
クヮ・グヮの直音化してカ・ガになる傾向は、すでに前代に兆し、この期にも例がある。
馬場兵衛カンノウ(勧農)ノ下地ノツヽミヲツクトテ(『山科家礼記』応仁二、五、二七)
予今日心経千巻まんかん(満願)也(同右、文明九、五、二一)
文明年間の『三体詩抄』に「下劣ノモノガ観カン音ト云タリ、正月ガチ二月ガチト云ハ」とある(29)のによれば、京都でも下層社会に直音化の傾向が強かったかと思われる。しかし『節用集』などにはその例がほとんど見えず、ローマ字でもクヮ・グヮ(qua gua)とカ・ガ(ca ga)とを明確に区別しているから、それが規範的であったのである。・・・・(途中省略)
江戸時代でも、初期の『片言』に、「流ながれ灌頂くはんぢやう」を「ながれかんぢよ」、「家督かとく」を「くはとく」という類を戒めているから、紛れることはあっても規範的には認めなかったのである。江戸では上方より進んでいたらしく、『音曲玉淵集』に、「くわの字かとまぎれぬやうにいふべき事」を注意している。江戸語では直音化が一般的になっていて、謡曲の発音にそぐわなかったからであろう。末期の『浮世風呂』(一八〇九ー一三)に、上方女が、江戸では「観音くわんおんさまもかんのんさま」と言うとけなしているのは、江戸ではすでに直音化が定着し、上方ではなおクヮ・グヮが保たれていたことを示すものである。上方の『謳曲英華抄』は、前の『音曲玉淵集』よりも約五〇年おくれているのに、右の直音化のことに触れていないのもそのためであろう。」
ところでワ行音とワ行合拗音の変化のあいだには、次のような関係がみられます。(奥村 1977:239)
「(1.2) 表記面からすれば、中央語における合拗音の衰退はいちおう、クヲ・クヰ・クヱ・クヮの順序に起こったようであるが、これは下記《ワ行とア行の混同がオ列・イ列・エ列・ア列(ワとアは今でも区別される)の順に起こった》らしいことと対応しており、わが唇音退化現象の一傾向という意味で、偶然とは見なし難いものがある。」
このようにワ行・ア行の混同とワ行合拗音の衰退の順序に同じ傾向がみられるのですが、奥村氏はその原因を唇音退化現象としてとらえられています。しかし考えてみればワ行音とワ行合拗音の変化にたいして上のような関係があるとしても、それを唇音退化現象であると説明して何か原因がわかるのでしょうか。たしかに唇音退化現象という説明は言語学で多用される決まり文句ですが、このような説明では何も問題は解決しないのは明らかです。そこでこれからこの問題をすこし考えていくことにします。
前回の更新でファ行音とワ行音の関係が「ウ」の無声・有声の対立に関係していることを述べましたが、もう一度その違いを、次の文章で見てみることにします(小泉 1993:28:同書同頁の発音器官図はこちら)。
「(c) 上下の器官の接近がゆるく,そこに作られるすき間が広いので,摩擦音を出さないものに半母音(または近接音)がある。半母音はそのかまえを持続することなく,すぐに後続母音に移行するので,わたり音の性格を帯びている。
日本語では,「フ」[]の子音[]は両唇の摩擦音で狭く接近して,両方の唇の間から息がもれる。これに対し、半母音「ワ」[wa]の[w]では両唇がかなり近づくが、すぐに開いて[a]の母音のかまえに入ってしまう。」
また江戸時代の謡曲の伝統的発音法に、次のような記述がみられます(森田 1977:256-7)。
「・・・・かくて、室町時代末期には、〔e〕〔o〕の母音音節はなくて、それに当るのは〔e〕〔o〕であったろう。
その〔e〕〔o〕が〔e〕〔o〕になった時期は明らかでないけれども、謡曲の伝統的発音法を教えた『謳曲英華抄』(一七七一)に、
〇 江はいより生す、江といふ時舌に触て最初に微隠なるいの音そひてい江といはる。
〇 をハうより生する故に初に微隠なるうの音そひて脣にふれてうをといはる。
とある。これは〔e〕〔o〕を示しているが、・・・(途中省略)・・・すなわち、エ・オが〔e〕〔o〕になったのは、大体一八世紀の半ばごろでもあろうか。」
*イ・エの発音の変化については「追補:ア行のエとヤ行のエの混乱の問題について」を見てください。
これらの引用からワ行音はuからア行音へのわたり音として存在していると考えることができます。そして母音図を見ればわかるようにウとオはともに後舌、イとエは前舌で、そこには後舌音と前舌音の違い、それにくわえて舌の位置の高低の違い、つまり高母音・中母音や低母音といった違いもあることがわかります。そこでワ行音がわたり音の性格をもっていること、また前舌・後舌の違いを考慮すればuからウ・オやイ・エへの口構えへの移行は前舌のイ・エにくらべて後舌のウ・オのほうがより少ないことがわかります。その結果u・i(ウ・イ)→wi(ヰ)、u・e(u・エ)→we(ヱ)への変化にくらべて、u・u(ウ・ウ)→wu、u・o(ウ・オ)→wo(ヲ)への変化はより容易であると考えることができるでしょう。また低母音であるアは母音のなかで口の開きが一番大きく、それゆえu・a(ウ・ア)→wa(ワ)への変化は他の変化よりも一番遅くなると考えられます。そして同じ後舌音であるウ・オのそれぞれのあいだおける違いはuからoへの変化(→wo)よりもuからuへの変化(→wu)のほうが口の開きがより小さい(高母音的)ためと考えることができるでしょう。つまりこのように考えてくると、より後舌の母音から、またより高母音的な母音から必然的にワ行音へ変化すると考えることができるでしょう。この考えを先の母音図を参考にしてまとめると、次のようになります。
前舌母音 後舌母音
高母音:u・i(ウ・イ)---→3wi(ヰ) u・u(ウ・ウ)---→1wu
中母音:u・e(ウ・エ)--→4we(ヱ) u・o(ウ・オ)---→2wo(ヲ)
低母音: u・a(ウ・ア)---→5wa(ワ)
*左肩の数字はその変化の起こる順序を示します。wuは上代すでにuに変化ずみ(阿米都知詞の時代のワ行音にすでにwuが見られない)。
*上代特殊仮名遣いやuの平唇・円唇については、今は考えません。
ところでここまではワ行音への変化の順序を考えたのですが、ワ行音は中世にア行音に一部変化しています。そこでワ行音からア行音への変化を考えると、ワ行音への変化と同じように前舌・後舌、また高・中・低母音の違いが影響していると考えることができ、その変化の順序は次のように考えることができるでしょう。
前舌母音 後舌母音
高母音:3wi(ヰ)---→i(イ) 1wu---→u(ウ)
中母音:4we(ヱ)--→e(エ) 2wo(ヲ)---→o(オ)
低母音: 5wa(ワ)---→a(ア)
*左肩の数字はその変化の起こる順序を示します。ただし、ワ→アの変化は共通語では起こっていません。
*wu→uの変化は上代までに完了ずみ。
*上代特殊仮名遣いやuの平唇・円唇については、今は考えません。
さてこのような考察からワ行音がuからア行音へのわたり音であったと考え、そのうえ語末母音が鼻音化していると考えればワ行音はu(は母音Vの鼻音化音)であったと考えることができます。またワ行音(u)がア行音()に中世以降変化したのはそれらの前部要素であるuが無声化し、その後その無声化音が消失したと考えるとよいでしょう。このように考えるとワ行音への変化、そしてその後のア行音への変化は、次のようにあらわすことができるでしょう。
A.ワ行音への変化
u------→w-------→wV
B.ア行音への変化
無声音化 無声化音消失 鼻母音化音消失
u------→-------→------------→V
*V:母音。:Vの鼻音化音。:u(ウ)の無声化音。
*上代特殊仮名遣いやuの平唇・円唇については、今は考えません。
*「ヰ」「ヱ」「ヲ」の変化はそれぞれu→→→i、u→→→e、u→→→o。
*ハ行転呼音の「ワ」(ua→wa)については、もう一度考察します(→次回)。
ところで上のような変化を考えると古代に起こったワ行音への変化、そして中世以降に起こったワ行音からア行音への変化をうまくつなぎあわせて説明できるように思われます(以下鼻音化は考えずに考察します)。つまりわたり音であるワ行音のuの無声化を考えれば、そのuの無声化(ウの口構えをしなくなること)は自然な現象で、またワのみがいまでもアに変化せずにワにとどまっているのは低母音のためにuの無声化が起こりにくいため、いまもその変化が進行している最中だと考えればこれまた問題はないでしょう。このように考えればuV→wV(変化式A)、そしてwV→Vの変化を考えることは理にかなっていると言えそうです。たしかにこのように考えれば過去から現在のワ行音をうまく説明できそうですが、しかし問題も残ります。それは最初に考えたBの変化式はwV→Vの変化ではなくuV→Vの変化なのですからそれ以降の無声化の変化(V→V)を考えることができます。しかし中世までにすでにwVにかわっていたワ行音がそこから再びuの無声化をすると単純に考えていいのでしょうか(wuは古代すでにuとなっていたので、ここでは考えません)。
簡単にこの疑問をいうといったんワ行音(wV)になってしまった音はuVではなくwVであるのですが、そのワ行音の無声化は可能かということです。このワ行音の無声化が可能であれば、あるいは実際日本語の歴史上に起こった変化であればそれで問題はないのですが、本当にそうでしょうか。そこでこの問題を考えるために琉球方言のワ行音の変化を、次回は見ていくことにします。