「連濁はいつ起こるのか?」
(2004.09.01 更新)
このページでは再びワ行音の変化を考えます。
01.はじめに
02.連濁とは何か
03.清濁と連濁の関係
04.清む(清音)と濁る(濁音)
05.ガ行鼻濁音
06.サ行の直音化について
07.タ行の破擦化について
08.ツァ行音について
09.四ツ仮名について
10.すずめはスズと鳴いたか?
11.ラ行音について
12.日本語にはなぜ行音(V-)がないのか
13.『どれが梅(むめ)やら梅(うめ)ぢややら』
14.「母」は「ハワ」から「ハハ」に先祖がえりをしたのか?
15.「ハワ」から「ハハ」への変化を仮定する
16.みたびハ行転呼音の変化を考える
17.促音便ってなに?
18.特殊ウ音便と撥音便・促音便の交替はなぜ起こったのか
19.「人」の語源を探る
20.「西」と「右」の語源を考える
21.再び「母」の変化を考える
22.再びワ行音の変化を考える
目次(「連濁はいつ起こるのか?」)へ
22.再びワ行音の変化を考える
はじめに
以前の更新(1999.09.03)でハ行転呼音の変化がワ行音の変化とつながっていることを述べました。しかしそこで、「ワ行音の変化はどうして起こったのか」という問題を宿題としましたが、前回の更新でその問題の解決の糸口となる「母」の変化を解くことができました。そしてその中世語ハワ(「母」)にいたる変化でp・X・p→pではなく、p・X・p→puのような変化を考えました。このように語中にXを想定し、その後それがuに変化したことについては以前やり残してある問題とつながるもので長い考察が必要です。そのため今回あらためて、ここで詳しく考えることにしました。
さてこれからワ行音の変化を考えていくのですが、以前ハ行転呼音とワ行音の変化を、次のように考えました。
1.喉頭化音の消失(ワ行音とハの転呼音の変化)
pV→wV→wV
*例:wa→wa。pa→wa→wa。
2.半母音wの消失(ハ以外の転呼音の変化)
pV→V→V
*例:pu→u→u。
このように考えるとハ行転呼音の変化をうまく説明することができることがわかったのですが、どうしてハ行転呼音はハとハ以外では違った変化をしたのでしょうか。この問題を考えていくために、まず上代語のケ(「日」)について見てみるとにします(上代語辞典編修委員会編 1985:279)。
「け乙(名) @時間の単位としての日。日かず。「君が行き気け長くなりぬ」(記弁恭)・・・(以下途中省略)・・・【考】フツカ・ミカなどのカと一連のものであり、暦コヨミのコもこれにつながるものであろう。従来、来経キへのつづまったものと説明されてきたが、従えない。フツカなどのカは一日の場合には用いられず、ケは、ナガシ・ナラブなどに冠して用いられることが多いので、これを複数名詞とみる説もある。・・・(以下省略)」
上の引用から「ケ」を複数名詞とみる考えがあることがわかりますが、そこで大野氏の考えを、次に引用してみます(大野 1978:55)。
「・・・つまり、「ヒ」とは単数の「日」を表わし、「カ」とは複数の「日」を表わす。そして今日では滅びてしまったけれども、奈良時代にはこのカ(日)が独立して使われる場合があった。その場合にはケと音が変わるのだが、
君が行き日ケ長く成りぬ(アナタノ旅行ハ日数が長クナリマシタ) (万葉八五)
などと使った。この「ケ」は英語に直せばそのままdaysを意味する単語だった。こういう例も稀にあるけれども、日本人はともかく単数と複数とを言葉の上で区別しない。」
さてこれらの引用からわかるように、フツカ(二日)・ミカ(三日)のカやユキケ(行き日)のケは「時間の単位としての日」(上代語辞典編修委員会編 1985:602)の複数名詞であると、いちおう考えることはできるでしょう。しかしカやケが複数名詞であるとするなら、これとペアになる「時間の単位としての日」の単数名詞は何でしょうか。こう考えてくると単数名詞にはコヨミ(暦)のコがそれにあたると考えることができるでしょう。なぜなら上のケ(日)は上代特殊仮名遣いは乙類で、コ(乙類)とケ(乙類)の交替、またコ(乙類)とカ(日)との交替を、次のように考えることができるからです。
k(コ乙)+i→k(ケ乙)
k(コ乙)+k(コ乙)→ka(カ)
*コ乙・ケ乙:それぞれコ(乙類)・ケ(乙類)。
*コヨミ(「暦」):「日コ・読ヨみ」から。ケ・カも時間の単位としての「日」。
*ただし、コ乙→カの変化については、とりあえずこちら。また中国語との関係はこちら。
さてコが単数名詞としての「一日」、ケ・カが複数名詞としての「日々」をあらわすと考えると、少し問題になる点があります。なぜなら日本語では「単数と複数とを言葉の上で区別しない。」(上の大野氏の言葉より)と考えられ、もしそうであるならこのコ(単数)とカ(複数)の対はただ一つの反例(特殊例)となるからです。ここでわかりやすいように、英語と比較しておきましょう。
単数 複数 単数 複数
日本語:コ・イ-→ケ コ1・コ2---→カ
英語 :day・s-→days (day・day-→days)
*上代特殊仮名遣いは省略しました。
*英語にdaydayのような表現はありませんが、比較のために造語しました。
*接尾語「イ」については、とりあえずこちら(ずっとのちの「係り結びとは何か」で考えます)。
上の比較をみれば、結果としてケが「一日」(単数)に対する複数名詞のようにみえるのは事実ですが、コ(単数)とケ(複数)のような語対が他に見られないことから、上のイを英語のsのような複数表示語(接尾語)とみることはできないでしょう。またカについては、次のような観察が役にたつでしょう(大野 1978:53-4)。
「日本人が単数・複数を語形の上で全然区別しないかどうかを少し考えてみると、日本語にはヒトビト(人々)、ヤマヤマ(山々)、クニグニ(国々)、イエイエ(家々)という同語反復による複数表現の方法がある。この同語反復による複数表現は、何にでも使えるというわけではなく、ツクエツクエ(机々)とか、アシアシ(足々)などとはいわない。だから一般的な複数表現とはいえないのみならず、トコロドコロ(所々)といえば、トコロの複数であるよりも、「あちこち」とか「ところによっては」という意味になる。イエイエ(家々)という場合も、家の複数を表わすこともあるが、「家それぞれ」という意味になることもある。しかしともかく、同語反復によって複数を表わす場合があることは日本語の一つの特色といえる。ところで日本の近隣にもこういう表現法を持つ言語があるかどうか。・・・(改行以下は省略)」
*筆者注:このあとアイヌ語(例:pon-pon(ごく小さい意))、マレイ語(orang-orang(人々の意))などの同語反復の例があがっています。
上のような観察から、上のカは複数表示語とみるよりはコ1の同語反復語と考えるのがよいと思われます。つまりケにしても、カにしても結果として複数を表示しているとしても、その形成過程を考えると英語のような複数表示語ではないと考えるほうが理にかなっています。ところでケを形成する接尾語「イ」については後の更新で考えるとして、これから同語反復語について考えることにします。
同語反復語は上の引用にある「人々」「山々」「国々」といったものだけではなく、次のようにいろいろな二音節語にみられます。
1.名詞反復形 :家々・国々・人々
2.形容詞語幹反復形:黒々・赤々
3.動詞終止形反復形:行く行く(「行きながら」の意)
4.動詞連用形反復形:行き行きて(「どんどん行きて」の意)
5.擬態語 :たらたら・だらだら
6.擬音語 :かあかあ・があがあ
*人の語源についてはこちら
また上代には次のような一音節の同語反復語もみられます。
1.非連濁形
しし:肉・宍(「獣・鹿・猪」の意)
ちち:父(東国方言ではシシ。幼児語でトト)
ちち:乳
つつ:筒
なな:七
みみ:耳
もも:桃。股。百々
2.連濁形
きぎ:木々
すずめ:雀(スズメの語源はこちら)
はは:母(中世ではハワ。カカとも)
ひび:日々
ほおべに:頬紅(「ほほ」+「べに」より)
*「宍道湖」(しんじこ)は「宍しし湖こ」(獣が通う湖)と考えることができるのでは。
*「はは」(母)、「ほほ」(頬)を連濁形にした理由はこちら。「母」の変化はこちら。
さてここまで上代の同語反復語をみてきたのですが、より古いとみられる一音節の同語反復語をこれから考えてみます。前回の更新でハハ(「母」)の変化を、次のように考えました。
(p・X・p→)pu--→fu---→fu(=fw)---→f(=ff)--→hah---→haa
ところで上の変化を正しいと考えると、語中のXの変化は、次のように考えることができるでしょう。
喉頭音化 喉頭化音消失 母音の無声化 無声化音消失
X-----→u--------→u------------→------------→
さてこのように同語反復語の語中にX→u→u→→と変化するXなるものを仮定すると、「母」の言葉の変化をうまく説明できることが前回の更新でわかりました。しかし日本語においてこのような母音の無声化をへて、消失するXなるものがあったのでしょうか。上の「母」といった言葉だけにこのようなXなるものが存在したとすれば、上の変化もあやしいといわなければならないでしょう。そこでこれからこのXの無声化への変化が日本語のなかの大きな流れであることをこれから見ていくことにしましょう。
まず古代語には一音節語がかなりあることはよく知られていますので、次にいくつかあげることにします(上代語辞典編修委員会編 1985:概説48)。
ア段:あ(足) か(蚊)
イ段:い(寝) き甲(杵) き乙(木)
ウ段:う(鵜) く(処)
エ段:え甲(榎) け甲(異) け乙(毛)
コ段:こ甲(子) こ乙(此)
*もちろんここにはあがっていない「ア」(網)や「エ」(枝)といった一音節語もあります。
*上の本にあげられているその他の一音節語はこちら。また次の本(島田勇雄ほか 昭和48:132)にあげられている例はこちら。
*上代特殊仮名遣いの甲類と乙類をあらわす右・左の傍線は甲・乙の小字(甲・乙)で代用しました。
ところで上の一音節語は今ではそのままで使われる事は少なく、そのかわりに次のような二(三)音節語が日常ではよく使われています。
あ(足)ーあし(足ア・シ)
え(榎)ーえのき(榎エの木)
え(枝)−えだ(枝エ・ダ)
き(杵)ーきね(杵キ・ネ)
上の二音節語アシ・エダ・キネは次のような言葉の比較からア(足)・エ(枝)・キ(杵)にそれぞれシ・ダ・ネといった接尾語がついたものと考えることができるでしょう。
シ:あし(足ア・シ)・おもし(重オモ・シ:名詞)
タ:えだ(枝エ・ダ)・まるた(丸マル・太タ)・たかた(高タカ・田タ)
ネ:きね(杵キ・ネ)・はね(羽ハ・根ネ)・いはね(磐イハ・根ネ)
*シ:サ変(使役)動詞連用形のシや形容詞終止形語尾のシ(例:「重し」)や形容詞形成語尾のジ(例:「馬自ジもの」(上代語辞典編修委員会編 1985:346)については今回は省略。
*タ:場所・方向をしめすタ(例:「海ノ畔ヘタ」「曲ワタノ浦ウラ」(それぞれ阪倉 昭和41:328)や副詞的機能のタ・ダ(例:「アマタ」「ココダ」(それぞれ阪倉 昭和41:328)については今回は省略。
*ネ:「【考】この語はキ(杵)に羽ネ・岩ネ・島ネなどにおけるとおなじ接尾語ネのついたものである」(上代語辞典編修委員会編 1985:244)と考えられています。
上の比較からアシ・エダ・キネは一音節語ア・エ・キが不安定となり、他の語との識別性を高めるためにそれぞれシ・(←タ)・ネの語を接尾したものと思われます。このことはアシ・エダ・キネの語のほうが新しいと感じられることによってもうなずけます。つまりこれらの二音節語はもと一音節語のア・エ・キからできていると考えることができます。しかし日本語は二音節語が基本とみられるので、それらの一音節語ア・エ・キはもっと古くはそれぞれ二音節語であったと考えることができるでしょう。このように考えてくると日本語祖語の時代は不明としても原始日本語の時代には二音節語であり、上の言葉が使い古され、原始時代から上代にかけて一音節語になり、一音節の同音語が多くなりそれらの語の識別性を高めるために接尾語シ・ダ・ネが添加されたものと考えることができるでしょう。ところでこのように短縮化された一音節語に接尾語をつけて二音節語にするという造語方法だけではなく、「イ」や「ウ」を添加して新しい二音節語を作ることが上代まで見られました。そこでこの馴染みのうすい「イ」「ウ」の添加という造語法をこれから考えていくことにします。そのために上代語の特色に触れた文章を、次に引用することにします(春日 昭和53:109-110)。
「………「思おもふ」「言いふ」「棄うつ」「出いづ」「飢うう」「去いぬ」「妹いも」「家いへ」「石いし」「磐いは」「上うへ」「面おも」は本来「お思もふ」「い言ふ」「う棄つ」「い出づ」「う飢う」「い去ぬ」「い妹も」「い家へ」「い磯そ」「い石し」「い磐は」「う上へ」「お面も」の二語であったらしく、「思もふ」「言ふ」「棄つ」「出づ」「飢う」「去ぬ」「妹も」「家へ」「磯そ」「石し」「磐は」「上へ」「面も」はすでに古語となっていて、「網あ」「足あ」「鳥と」「鹿か」「道ち」「下し」などと同様、「片思もひ」「わが家へ」「いろ妹も」「漕ぎ出づ」の複合語に化石的に残っているにすぎない。」
ところで上の「片思もひ」「わが家へ」「いろ妹も」「漕ぎ出づ」とそれらの言葉に化石的に残っていると考えられている「思もふ」「家へ」「妹も」「出づ」との関係は、次のように説明されるのが一般的です(それぞれ上代語辞典編修委員会編 1985:747・p647・p737・p458)。
「思もふ」:「オモフのオの脱落形」
「家へ」:「第一音節の母音イが上の語の尾母音に接して脱落した形」
「妹も」:「妹イモのイが約音のため消えた形」
「出づ」:「出ヅのイの省略された形」
しかしながら上の説明では脱落・消失や省略といった言葉が使われているだけで、それらの関係をきちんと説明しているわけでないことは明らかです。つまりこのような脱落・消失や省略といった言葉で何かを説明したように納得するよりは「複合語のなかに古語が残る」といわれるように、「思もふ」「家へ」「妹も」「出づ」になんらか語が添加されて「思おもふ」「家いへ」「妹いも」「出いづ」ができたと考えるほうが理にかなっているでしょう。そしてこのように考えると、上の言葉にはイやウ(またオ)の添加による造語法がみられ、添加されたイやウは中世において脱落していると考えることができるでしょう。そこでこれから一音節語の語頭に添加されたイについて、次に見てみることにします(《日本語の歴史》編集部編 昭和38:304-5)。
「………しかし、たとえば、豚は、古語では「ゐのこ」であって「ぶた」ではない。「でる(出)」や「だく(抱)」が「いづ(る)」「いだく」から派生したことは明らかである。「ざる(笊)」も古くは「いざる」であった。「どれ」「どこ」も同じように語頭の「い」が落ちてできたものなのである。「いづれ」「いづこ」とならんで、「いどれ」「いどこ」という形が古く俗語に行なわれ、「どれ」「どこ」はその系統をひくのである。………(以下、省略)」
*語頭のイが消失した「いづ」(「出る」の古代語)についてはこちら。
*接頭語イの例:「細螺シタダミの伊イ這ひ廻モトホり撃ちてし止まむ(記神武)」(上代語辞典編修委員会編 1985:65)
*接尾語の古い助詞イについてはこちら。
*これらの接頭語・接尾語などのイとオーストロネシア語族との関係は崎山氏の考察(崎山 平成2:99-122)に詳しい。また日本語とオーストロネシア語族にみられる地名と人名にあらわれているイ・シの相関についてはこちら。
*接頭語イ、助詞「イ」(接尾語)、動詞連用形の接尾形(-i)や形容詞終止形語尾シなどの関係については後の更新(「動詞活用の起源」「係り結びとは何か」)で考察することにします。
またウの消失も、次の文章からわかると思います。(城生 1977:138-9)
「(三) 東京方言の無声子音[t][ts][k]が、[mado](的)、[mdz](蜜)、taga(鷹)のように母音間で[d][dz][g]に近く発音される現象を「有声化」と呼び、有声子音[b][d][dz][g]が、[kb](首)、[mado](窓)、[mdz](水)、gomi(ごみ)のように直前に入りわたり鼻音(8)を伴って発音される現象を「鼻音化」、[kaami](鏡)のように文節の初頭以外に現われる[]を「ガ行鼻音」と称するならば、これら三者間には互いに密接な関係が認められる。
通時的観点からは、ロドリゲスの『日本大文典』にTonga(科)、Vareranga(われらが)、Nangasaqui(長崎)などと見えるところから室町時代の中央語では鼻音化が行われていたものと考えられる。ところが、一般に中世語の特徴を最もよくとどめていると見られる九州方言では、例えば頴娃えい町(薩摩半島)の[ibo](ひも)、[ado](跡)や、種子島の[saba](鯖)などわずかな地域にしかその痕跡をとどめておらず、むしろ鼻音化は東北(福島南部を除く)、新潟(阿賀野川以北)、高知、徳島、淡路島(南部)などで盛んに行われているのが現状である。しかも東北、新潟などでは語中だけに生じるとともに有声化が併存しているが、高知などでは語頭にも生じ、有声化は行われていない(表7)。
以上の結果から、柴田武(一九六四)は九州方言でも一時代前には全域にわたって鼻音化が行われていたものが、東北などのような維持因子としての有声化が存在しなかったために消滅してしまったのではないかと推定している。このように考えると、「バラ」「ムバラ」「ウバラ」「イバラ」(茨)などはいずれも[baa]のような音声にさかのぼると見られ、「ダス」「イダス」(出す)、「ドコ」「イヅコ」(何処)、「ダク」「ムダク」「ウダク」「イダク」(抱く)なども同様にして無理なく説明することができる。」
*「有声化」「鼻音化」「ガ行鼻音」の関係を示した表7(城生 1977:139)はこちら。
*入りわたり鼻音についての原注8は、次のようになっています(城生 1977:142)。
「(8) 単音連続において他の単音からある単音へ移る際、直前で呼気が鼻腔に抜けるような音声。例えば[b]では[b]の閉鎖が始まる直前に呼気が鼻腔に抜ける。」
このように語頭のウの消失を入りわたり鼻音と関係づける考え方は以前からいくつか見られます。そこで上の引用にでてきた柴田氏の考え方も、次に見ておくことにします(柴田 1988d:631)。
「高知県などの鼻音化音は東北地方のそれよりも歴史的に古い段階に属するものであろう。古語で「抱く」は「いだく」とも「うだく」とも書かれたが、この「い」と「う」のように揺れるのは、高知方言のような入りわたり鼻音を伴った語(ンダク)を表わそうとしたからではないか。長崎県島原半島にはンダク(ndaku)のように「ン」の発達した形も聞かれる。同類の語には、「いばら」「うばら」「むばら」「ばら」(茨)、「いだす」「だす」(出す)、「いづる」「づる」(出る)、「いづこ」「いどこ」「どこ」(何処)などがある。」
またもっと古くには故村山氏が「鰻」や「抱く」の語源に関して同じような考えをだされていますので、次にそれもみておきます(それぞれ江上・大野 昭和48:166,171)。
「*tuNa>*nuNa>muNa-qi>na-nqi>ngi
T U V W X
TからUへの変化は鼻音代償によって説明されます。B・ビッグス復元の原始東オセアニア語の「ウナギ」の祖形*ntuna(Bruce
Biggs. Direct and indirect inheritance in Rotunan. Lingua 14,p.395)も参照。Uを鼻音代償形とするのは泉井教授の御教示によります。UからVへの変化は異化によるものであり、-qiはアタヤル語にも見られます。VからWへの変化はmの弱まりとqiの前鼻音化によるものであります。
・・・(中途省略)・・・しかし、ウナギのギは、とくにアタヤル語にのみ見られる接尾語-qiと共通らしいことを指摘しておきます。私の研究によって、*tuNaの分布範囲は日本にまで及んでいることが明らかになりました。」
「(・・・前略・・・)ムダクはついでウダク(ウは鼻にかかるウ)となり、現代語のダクにつらなっています。
mdak-(<*m|n|dak-)>dak->ndak-
ムダクは南島祖語の*dak p「抱くこと」に対応します。マライ語で、この言葉が活用するとき、たとえば「私は抱く」は sayaサヤ m|n|dakapムンダカプとなります。接頭語m-がつき、それと語幹とのあいだにnという鼻音が増加します(鼻音増加)。これと酷似したのが古代語ムダクです。」
*筆者注:特に最初の「鰻」の変化式はまちがっていますが、「鰻」の語頭ウが鼻音化していること、また「抱く」の考察で、ウがmのような音にさかのぼることを想定されたことは卓見です。
*語頭のウが消失した「うだく」(「抱く」の古代語)についてはこちら。「うばら」(「薔薇」の古代語)についてはこちら。また「梅」の発音の変化についてはこちら。
さてこれらの引用から古代日本語には語頭のイ・ウの消失現象があるのがわかりましたが、これらの語頭のイ・ウの消失はイ・ウの音そのものの消失と考えるよりは表記された語イ・ウの消失と考えるほうが理にかなっているといえるでしょう。この考えをわかりやすいように、表記と発音の変化を、次に比較しておきます。
「イ」の消失 「ウ」の消失
表記:いづ-----→づ うばら-----→ばら
発音:du------→du bara-----→bara
*ここでは城生氏の考えを模式化しました。発音はローマ字で代用しました。
このように古代の語頭のイ・ウの消失現象はイ・ウ音そのものの消失ではなく、語頭の鼻音の消失と考えることができるでしょう。ここでこのような表記と発音のあいだに見られる相違に注意をむける必要性が大いにあることを故服部氏が述べられているので、次に紹介しておきます。(服部 昭和34:319)
「5. 「ハ行の子音」語頭にある場合は、首里語では、標準語の「ヘ」「ヒ」にあたる[i]の子音は明瞭な[]、「フ」「ホ」にあたる[u]は[hu]とも発音される。「ハ」に当るものは大抵[ha]である。[a:]葉ハ、[aa]母ハハ。国頭や八重山でこれらがすべてp(有気・無気)になっているのは有名である。阿伝方言では[]が普通で、老人や女に[p‘]の発音があるとのことだったのでさらによくただしたところ、語頭にこれらの音を有する語が文中にある時には必ず[]に発音するようだといわれた。即ち老人の発音においても、[p‘ujui](降フる)、[aminuujui](雨が降る)。これは甚だ興味ある現象で恰度p→の状態にあるものといえる。奈良朝の文献に語頭のハ行音と語中のハ行音とが同じ仮名で書いてあっても、それらが同じ発音であったかどうかはわからないのである。何となれば、阿伝方言と同様に[panaa・・・](花は・・・・)、[knanaa](この花は・・・・)という状態であったと仮りにするならば、[pana](花ハナ)の[pa]と[kaa](河カハ)の[a]との間に差異のあることに当時の人は気附かないだろうから。また気がついても書き分ける必要はなかったろう。」
さてこのように中世における語頭のイ・ウの消失を語頭の鼻音の消失と考えたのですが、その語頭鼻音の消失はなぜ、どのように起こったのでしょうか。これからこの変化を解いていきたいと思いますが、その変化を解く鍵のひとつに母音の無声化があります。そこでこれからこの母音の無声化をみていくことにします。母音の無声化とはkusa(「草」)がksa(あるいはksa)のごとく発音される現象で一七世紀前半には起っていたらしく、また東国において早かったろうと云われています(母音の無声化についてはこちら)。この母音の無声化は、次にように解釈することができるでしょう(柴田 昭和33:104-5)。
「東京語は歯切れがいいといわれる。これは、母音の[i][u]が条件によって落ちるという東京方言の性質に関係がある。東京語の「草」の発音は、発音記号で、[ksa]と書いてさしつかえないほどだ。「あります」の発音も[arimas]である。終りに母音のないのが普通である。また、「息」の発音が、単語の最初に母音もなにもない[ki]であることがある。このことはソナグラフで記録すると、はっきり出てくる。
この現象は普通「母音の無声化」といわれる。もともと有声である母音の声(声帯の振動)がなくなった、という考えである。しかし、「草」や「あります」は、つねに母音がない。母音があって、それが無声化しているのではない。これは母音があると解釈されるところ(音韻論で、母音音素という)に母音がないということだと、考えるべきである。なぜ、母音があると解釈されるかというと、[ksa]は音節として、[k]と[sa]とにわかれるが、[k]のように子音一つで音節をつくることがほかにはない。[sa](「三」)の[]とか、[mikka](「三日」)の前の[k]とか、子音一つで音節をつくることもあるが、それはまた条件がちがう場合である。だから、解釈として[k]の次に母音が一つあると考える。子音の次に母音一つという組みたてが東京語の音節として一番普通の型だからである。そこに母音(母音音素)として[i]があると解釈するか、[u]があると解釈するかは、別のことで決まる。もし[i]があると解釈する場合は、[sama](「貴様」)のように、[k]が口蓋化しているとき、[iri](「霧」)とか[i](「金」)とかの[i]と同じkになっているときである。そうでないときは、[u]があると解釈することになる。」
母音の無声化現象については、また次のような観察もあります(柴田 1988c:630-1)。
「【無声化】 ある条件のもとに母音のひびきが消えること。音声学的には、声帯の振動がなくなることと説明できる。東京方言では、「北(kita)」のiが全然ひびかないが、京都方言ではよくひびく。「あります」の末尾のsuのuは、東京方言では消えて、[arimas]に近く聞こえるが、大阪方言などでは「スー」と長めに聞かれるほどsuのuがよくひびく。
東京方言式の無声化は、無声の子音と無声の子音とに挟まれた狭母音(i・u)に起こる。kitaのk・tは無声子音、iは狭母音である。[arimasu]の場合も、末尾に続いて無声の子音があると考えれば(ときには、実際に、のどをつめる声門閉鎖音[]のあらわれることがある。すなわち、[arimasu])、sも無声子音で、間に狭い母音(u)が挟まれている。・・・(以下省略)」
*以下省略した文章のなかでは熊本方言などの「柿」(kak)、鹿児島市方言の「柿」(カッ:kat)、沖縄県宮古平良市方言の「人」(ptsu)や同市大神方言の「「鏡」:カカム[kakam]」の例があげられています。これらの語末の無声化(とその変化)についてはこちら。
このように母音の無声化は語頭・語中・語末をとわず母音i・uにおいて見られ、東京方言は京都方言にくらべて母音i・uの無声化が進んだ方言であることがわかります。そしてこの母音の無声化の傾向は先の引用にあるように上代の「東国において早かったろう」といわれていることと矛盾しないことがわかります。
さて上の引用にあるように「息」がki、「草」がksaのように母音i・uがないように発音されることから母音の無声化を上のように解釈すると、母音i・uの無声化は、次のような変化であると考えることができるでしょう。
京都方言 東京方言
母音イ:i-------→-----→
母音ウ:u------→-----→
(無声化) (消失)
*ここではウの円唇(/u/:京都方言)と平唇(//:東京方言)の違いは考えず、uで表記してあります。
*・:i・uの無声化母音。は無声化母音・の消失をあらわす。
*もちろん京都方言も中世に母音の無声化は起こっている(例:gozr(ござる))ので、東京方言との比較として模式化したものです。
このように母音の無声化を上のように解釈し、また先ほどの城生氏の考えを援用すると、語頭のイ・ウの消失を母音の無声化現象として、次のように考えることができるでしょう。
鼻母音 入りわたり鼻音化 無声化 無声化音消失 鼻音化消失
語頭イの消失:CV------→iCV-----------→CV----→CV---------→CV
語頭ウの消失:CV-----→uCV-----------→CV----→CV---------→CV
*ここではもと二音節語の無声化を考えています。
*・:i・uの鼻音化母音。・:i・uの無声化音。~:鼻音化。C:子音。V:母音。
*ただし、「茨」は「うばら」「いばら」と表記がゆれることから、語頭のイ()とウ()がよく似ていた音(たとえば)であったと考えると、その変化がbara→bara→bara→bara→baraとなり問題はなくなるでしょう。
ところでここまで語頭のイ・ウの消失をイ・ウの無声化の変化として考えてきたのですが、ここで語末の無声化について考えるために、その例として「あります」をとりあげることにします。「あります」は東京方言ではarimasのように聞こえますが、上の引用にあるようにarimasuのようにも発音されるようです。そして大阪方言などではarimasuu(ここでは語尾の長音をuuで表記)と長めに聞こえます。ところでこのような東京方言と大阪方言の語末の発音の違いはどのように考えればよいでしょうか。ふつう母音の無声化はarimasuの語末uが無声化されてarimasになったことと説明されるのですが、ではなぜ大阪方言では「スー」のように長めに発音されるのでしょうか。また東京方言ではarimasuのような、のどをつめる声門閉鎖音[]がなぜあらわれるのでしょうか。このような疑問をもてば「あります」はarimasuがarimasになったと解釈するよりはarimasuCv(Cvは一音節語。C:子音。v:母音)がarimasuを経てarimasやarimasuuになったと考えるほうが理屈にかなうでしょう。このように考えると、arimasにいたる変化は、次のようになるでしょう。
arimasuCu-→arimasuu-→arimasu-→arimasu-→arimasu-→arimas-→arimas
*C:子音。:声門閉鎖音(//)。:ウの無声化音。
*大阪方言の変化はarimasuu→arimasuu(ここでは語尾の長音をuuで表記)のように、まず母音の無声化が起こるまえに声門閉鎖音()が消失したためと考えられ、その後二つの母音が融合、長音化したものです。
*喉頭化音についてはこちら。
つまり語末母音の無声化は原始日本語時代には語尾に一音節語(CV)が付加されていたと考えられます。さてこれまでの考察でわかるように語頭のイ・ウの消失や語末の無声化という日本語における変化をうまく「無声化」という言語学の言葉で説明することができました(なお語尾に一音節語(CV)が付加されていたことについては、後の更新(「係り結びとは何か」)で詳しく考察します)。