「連濁はいつ起こるのか?」
(2005.06.01 更新)
このページでは琉球語の助詞「ヤ」の起源について考察します。
01.はじめに
02.連濁とは何か
03.清濁と連濁の関係
04.清む(清音)と濁る(濁音)
05.ガ行鼻濁音
06.サ行の直音化について
07.タ行の破擦化について
08.ツァ行音について
09.四ツ仮名について
10.すずめはスズと鳴いたか?
11.ラ行音について
12.日本語にはなぜ行音(V-)がないのか
13.どれが梅(むめ)やら梅(うめ)ぢややら
14.「母」は「ハワ」から「ハハ」に先祖がえりをしたのか?
15.「ハワ」から「ハハ」への変化を仮定する
16.みたびハ行転呼音の変化を考える
17.促音便ってなに?
18.特殊ウ音便と撥音便・促音便の交替はなぜ起こったのか
19.「人」の語源を探る
20.「西」と「右」の語源を考える
21.再び「母」の変化を考える
22.再びワ行音の変化を考える
23.ワ行音と合拗音の関係を考える
24.琉球語の助詞「ヤ」について
25.琉球語の助詞「ヤ」の起源について
目次(「連濁はいつ起こるのか?」)へ
25.琉球語の助詞「ヤ」の起源について
前回の更新で琉球語の助詞ヤは本土方言の助詞ハに対応すると考えられていることを紹介しました。ところでもしこの考えが正しいとすれば、次のようなウチナーグチ(沖縄方言)やそれらの語源もうまく説明できるでしょう。
1.tk nērang←‐→tku nai(遠くない)(山口栄鉄 2005:166)
2.miyarabi? (名)娘。おとめ。「めわらび」に対応する。農村の未婚の娘をいう(国立国語研究所 昭和51:377)。
3.yabi:nについては、以下のチェンバレンの考えを参照ください(山口栄鉄 2005:151)。
「(前略)yabngの語源は判然としない。琉球在住のある本土知識人にその意見を求めると、日本語のhaberuと同一のものではなかろうかとの意を表していた。これは中世時代を通じ敬語の意を表わす語として盛んに用いられた動詞である。しかし、この憶測に対しては、これら二言語間にはhおよびyの交替が全く認められぬという事実を提示しなければならない。日本語のyは琉球語でもyであり、日本語のhは琉球語ではhまたはfである。」
4.「洗ゆん(ラ行ユン活)」(吉屋 1999:91)。
筆者注:
1のtk nērangは本土方言の「遠くない」の強調形である「遠くはない」(tookuハ nai)に由来していると考えれば、「煙草は」(tabakuハ)がtabako:と発音される音韻変化と同じものと考えることができます。そしてここで琉球語の助詞ヤが本土方言の助詞ハに対応(takakuヤ~takakuハ)すると考えると、このtakako: neenには本土方言の助詞ハに対応する助詞ヤが内在していると考えることができるでしょう。また2のmiyarabiは古語「女童」(めわらべ)が琉球方言でme→miと変化し、「わらべ」のハ(wa)は琉球方言のヤと対応すると考えられていますが、もし助詞ハと琉球方言の助詞ヤが対応することを認めれば、ここでも「ハrabe」(→ワラベ)と「ヤrabi」という対応が成り立ちます。このように本土方言の助詞ハと琉球語の助詞ヤの音韻対応を認めれば、3のyabi:nにもハberu→ヤbi:nの変化が考えられ、yabi:nが古語の「侍る」に遡ぼると考えられるでしょう。また4の「洗ユン」も「洗フ」(→「洗ウ」)に対応すると考えることができます(「買う」については4の筆者注3をみてください)。このように琉球語の助詞ヤが本土方言の助詞ハに対応すると考えると、上のような言葉の語源をうまく説明できるでしょう。
ところで琉球語の助詞ヤが本土方言の助詞ハに対応するという結論は論点の先取りというものです。なぜなら琉球語の助詞ヤが本土方言の助詞ハに対応しているとするならば上のような語源もうまく解けるというものであって、助詞ヤが助詞ハに対応していることを証明しているわけではありません。しかしこれらの助詞ヤとハの文法機能がまったく同じであるという、この重大な機能の一致を考えれば助詞ヤと助詞ハが同一起源であると断定しても間違いないでしょう。そこで問題は振り出しに戻ります。ではなぜこれらの助詞はこのような大きな音の違いが生じたのでしょうか。チェンバレンが上の引用文で疑問をだしているようになぜ本土方言の助詞ハが琉球語の助詞ヤに対応するのか、つまりこれらの助詞のあいだにどのような音韻変化が起きたのかということです。この問題が解けてこそ琉球語の助詞ヤが本土方言の助詞ハと同一起源であり、それゆえにそれらが対応するということができるでしょう。そしてもしその対応が正しいのであれば上のmiyarabiが「女童」に、yabi:nが「侍る」に、また「洗ゆん」が「洗ふ」に由来することもいえることになるでしょう。
ではこの難問をこれから考えていくことにしましょう。助詞ヤが付加されるときの語尾の音韻変化をもう一度上げておきます(中松 1973:71。例は船津 昭和63:14-5)。
1./-a/+/ja/>/-aa/ 例:くま(ここ)+や(は)→くまー(ここは)
2./-i/+/ja/>/-ee/ 例:くり(これ)+や(は)→くれー(これは)
3./-u/+/ja/>/-oo/ 例:はく(箱)+や(は)→はこー(箱は)
4./-/+/ja/>/-noo/ 例:ちゃわん(茶碗)+や(は)→ちゃわのー(茶碗は)
ただし、/wa/+/ja/>wanee 例:わん(我)+や(は)→わんねー(私は)
*筆者注:wami(我・身)+ja(は)→wani+ja→wannee(私は:2式の変化)と考えてよいでしょう。
ところで上の変化式はちょっと考えるとおかしなところがあります。なぜならi(イ)のあとにja(ヤ)がくればそれらの2音が融合すると考えることは可能ですが、ではもし融合すればどんな音になるでしょうか。実際発音してみればわかるように変化式2の語尾i(イ)とja(ヤ)が融合すればija(イヤ)→ja:(ヤー)と変化するはずで、e:(エー)とはなりません。同じことは変化式3の語尾のウについても同じで、u(ウ)とja(ヤ)が融合すればuja(ウヤ。あるいは、それからヤー)に変化するでしょう。そして変化式4の語尾(ン)とja(ヤ)が融合してnoo(ノー)になるというのもやっぱりおかしいと言わざるをえないでしょう。このようなことを考えると、上の変化式はまちがっていることがわかります。しかし現実の那覇方言の発音を聞けば変化式1-4のような発音に変化しているのです。つまり頭で考えたヤを付加する上のような変化式は現実の那覇方言の発音を導きだせないのですから、ここは那覇で現実に話されている発音を導き出せる理論的な変化式を考えつかねばなりません。
そこで上の変化式で付加される助詞ヤが本土方言の助詞ハに対応している事実から、上の難問を解くために助詞ヤのかわりにハを仮定して考えることにします。そうすると上の変化式は次のように考えられるでしょう。
1a.-a+ハ>-aa
2a.-i+ハ>-ee
3a.-u+ハ>-oo
4a.-+ハ>-noo
また本土方言のハが沖縄方言のアに対応することが知られています。その例を次にあげます(中本 1976:434)。
沖縄方言(奥武) 本土方言
1.「川」:ka: カワ(←迦波カハ)
*「迦波」は『時代別国語辞典上代編』(上代語辞典編修委員会編 1985:206)より。
上のように本土方言のハが沖縄方言のアに対応しているので上式のハのかわりにaを考え、このaへの変化には本土方言のハ行転呼音の変化(「母」の変化はこちら)を考えあわせると、上の変化式は次のように書きかえることができます。
1b.-a+pa>-a+a>-aa
2b.-i+pa>-i+a>-ee
3b.-u+pa>-u+a>-oo
4b.-+pa>-+a>-noo
*:喉頭化音(//)。
しかしこのように考えても変化式1bはうまく説明できるのですが、変化式2b・3b・4bはそれぞれia(ヤ)・ua(ワ)・a(ナ)となり現実の発音と合いません。そこで変化式1b・2b・3b・4b(また単独に付加される場合のヤ)をうまく説明できるようにもう少し上の変化式を手直しする必要があります。そのためにまず本土方言に見られる係助詞ハが使われている「アルハ」について見てみることにします(上代語辞典編修委員会編 1985:60)。
「あるは[或](副) ①あるものは。あるときは。アルイハとも。「或あるいは聚二党類一、而犯二辺界一、或あるいは伺二農桑一、以略二人民一」(景行紀四0年)・・・(以下中略)②あるいは。もしくは。~も~も。・・・(以下例文省略)・・・「或アル時ニハ国王ト作リ、或あるは復王子ト為リシカドモ」(西大寺本最勝王経古点)【考】不特定の二つのことを例示的に並べる使い方が多い。上代の確例はないが、古訓点によれば、①のようにアル人(物)が主格にたつときにはアルイハをも用い、②のように接続詞的な場合にはアルハを用いたようである。アルイハのイは助詞。・・・(以下省略)」
このように上代においてアル人(物)が主格にたつときには助詞ハのまえに助詞イがみられたので、次にこの助詞イについても見てみることにします(上代語辞典編修委員会編 1985:65)。
「い(助詞) ①連体修飾語の下について、指示強調の意をあらわす。「青柳の糸のくはしさ春風に乱れぬ伊い間に見せむ子もがも」(万一八五一)・・・(以下例文省略)・・・②多く主格に立っている体言、あるいは体言相当の語について、指示強調の意をあらわす。「いなといへど語れ語れと詔らせこそ志斐伊いは奏マヲせ強言といふ」(万二三七)」・・・(以下例文省略)・・・【考】「伊イ賀所二作仕奉一於二大殿内一者」(記神武)の指示詞イと同源であろう。その用法は同様の事情をもつ助詞シと極めて近い。ただ、上代においてその機能は既に固定していたようである。・・・(以下省略)」
*古代日本語の指示詞とオーストロネシア語族との関係は、崎山氏の考察(崎山 平成2:99-122)に詳しい。
*琉球語の古典「おもろさうし」における助詞イについては「おもろ語「い」の文法的性格」(外間 昭和56:219-37)を見てください。
*指示詞イ・シの相関については「日本語とオーストロネシア語族にみられるイ・シの相関について」を見てください。
さてこのように上代においては体言相当の語を指示強調するために係助詞ハとのあいだに助詞イが存在していたことから体言相当の語と係助詞ハのあいだに助詞イを考え、その後その助詞イが消失したと考えると、その変化は次のようになるでしょう。
体言相当の語+助詞イ(指示強調)+助詞ハ――→体言相当の語+助詞ハ
そしてこの助詞イの消失変化は、助詞イの無声化、その後の無声化母音イの消失と考えることができるので、この考えを次のように表わすことができるでしょう。
イハ:ipa--→pa--→pa--→wa(本土方言)/a(琉球方言)
*pa→waの変化はこちら。本土方言と琉球方言の対応はこちら。
さてこのように考えてくると琉球語の助詞ヤを本土方言の助詞ハに置きかえた、さきほどの変化式は次のように考えられるでしょう(語末鼻母音()についてはこちら。喉頭化音()についてはこちら)。
1c.-+p>-+>-+>aa
2c.-+pa>-+>-+ai>-i+e:>-ee
3c.-+pa>-+>-+au>-u+o:>-oo
4c.-+pa>-+>-+au>-+o:>-noo
*1cは語尾がu音化する前に喉頭化音()が消失、それに対して2c-4cは語尾がu音化したあと喉頭化音が消失。2cの-i+e:>-eeの変化はu音化にはuとiがあるので、とりあえずiを想定しました。
5.単独に付加される助詞ヤ:p(イハ)>>>ya(ヤ)
*助詞イが無声化する前に語尾の前にある喉頭化音()が消失し、その後がヤに変化。つまり助詞イの無声化の先後で助詞ヤと2c-4cの語尾の融合変化との違いがでたと考えられます。
6.本土方言の助詞ハ:p(イハ)>>u>ua>wa(ワ)
*助詞イが無声化するとともにその鼻音化音()がu音化した後、無声化音()とうしろの喉頭化音()が消失融合し、ワに変化。つまりu音化の違い(6は、2c-4cは)により、本土方言でワ、沖縄方言で語尾の融合が起こったと考えられます。
このように本土方言の助詞ハ(wa)と琉球方言の1c-4cの語尾融合変化の違いはともに助詞イの無声化によるものですが、その後のu音化の有無(6は、2c-4cは)に関係しています。また本土方言の助詞ハ(wa)と琉球方言の助詞ヤ(ya)との違いは助詞イの無声化の有無の違いであると考えることができます。つまりこのような変化を考えれば琉球方言の助詞ヤが本土方言の助詞イと助詞ハ、つまりイハと同源であることがわかります。そしてこの助詞ヤと助詞結合イハの同源性を認めれば形容詞終止形の否定融合形(例:遠コー)が「遠くイは」に、miyarabiが「女イ童」に、yabi:nが「イ侍る」に、また「洗ゆん」が「洗イふ」と同源であるということができるでしょう。
ところでずっと以前の更新でハ行転呼音はハとハ以外でことなった変化(発音はそれぞれワとイ・ウ・エ・オに変化)した理由を宿題としていました。今回上式6の変化から助詞の結合イハの変化からワ(wa)を導きだせたので、このような変化がワ行音の発生の原因と考えることができるでしょう。そこで次回はハ行転呼音のこれまでの考察を整理してワ行音の発生、またハ行転呼音がハとハ以外でことなった変化をした理由をまとめてみたいと思います。